魔法少女リリカルなのは Detonationがすごかった話

聡明な皆さんにおかれましては、魔法少女リリカルなのは Detonationはもうご覧になりましたね?
というわけで、Detonationがすごかった話をします。
シャマルはチート


何が良かったのか

高町なのはという個人に、ここに来てようやく向き合ったことです。
つまり、それはシリーズタイトルの回収でもあります。

 

なのははいつも「つらい思いをしている人や泣いている人を助けたい」と言っていました。まあそれはわかるんですが、君は衛宮士郎的なトラウマでもあるのかね?という原点や理由は、1stの戦闘シーンで一瞬差し込まれるカットから推察するほかありません(もしくは地上波を見るか)。

 

また、限られた尺で救助される側の背景をしっかり描く劇場版では、なのはは人助けが好きな心優しい女の子という見え方と、救助マシーン的な役割や強さが強調されがちです。

 

その結果、なぜそこまで救助にこだわるのか、なのははなんのために対話したり戦ったりしているのかが描かれていなかった点が、1st~Reflectionにおける不満な点でした。

 

フェイトはお母さんに愛されたい・認められたい、はやてはようやくできた家族と一緒にいたいという気持ちが最初に描かれていたので、そこからの変容も比較的すんなり受け入れられましたが、なのはは本当にそのままでいいのか?

 

なのは自身の話は、いつになったら描かれるのか?
それともなのはは強くて完璧超人なので、そんな必要はないのか?

 

そんなモヤモヤに対する回答が、Detonationでした。


何がすごかったのか

衝撃的だったという意味では、高町なのはを、作劇上一度死亡させたことです。

 

具体的な流れとしては、以下のとおり。

  • 衛星兵器、衛星防衛用アンドロイド、黒幕のバックアップの3つを撃墜する必要が発生し、なのはとアミティエが大気圏外へ向かう
  • アミティエがバックアップを撃墜するが、アンドロイドによる致命傷で負傷離脱
  • なのは1人でアンドロイドと戦闘後、衛星兵器を撃墜するが、アンドロイドがなのはを巻き込んで自爆
  • おそらくBJの一部パージにより全身が吹き飛びこそしなかったものの、右腕喪失、右目失明
  • さらにRHが破損し生命維持が困難に
  • 最後の詰めが甘かったことを後悔しつつも、皆(地球)を守れたことに安堵し、なのはは目を閉じる

もちろん絶命してはいないのですが、撃墜というレベルではないうえ、完全に一度生きることを諦めています。

 

しかし、なのはは再び目を覚まします。

 

その後、子供のころ(今も子供ですが)の自分と向き合うことで、魔法という力を手に入れて無力ではなくなった自分が誰かを助けたことを噛み締めつつ、助けた誰かにまた自分も助けられていることに気づきます。ふたたび目を開けると、そこには自分を助けに来たフェイトとはやてが。

 

Detonationはほぼ全編クライマックス状態ですが、最も重きを置いたのはこの流れではないでしょうか。

ただ、映画としてはイリスとユーリ、フローリアン姉妹の話に決着をつける必要があるので、なのはの話をじっくりやるわけにもいかず。というわけで、もちろん個々のキャラクターをメインストーリーに沿って立ち回らせつつも、おそらく「最後のシーンにどれだけ強度をもたせられるか」という意図で、それまでのシーンを組み立てたのでは。
具体的には、なのはと防衛用アンドロイドの戦闘を劇場版なのはシリーズ自体の総決算とし、かつそれに続くシーンをなのはの新たな一歩として際立たせるということです。

 

以下、自分にはこのあたりがクライマックスの補強に見えましたシリーズです。


Reflectionの役割

まず単純に、ReflectionとDetonationでなのフェイが棲み分けています。
Reflectionは、フェイトはリンディさんとのサブエピソードがスポットを浴びており、かつなのはに庇われるシーンも印象的でした(当社比)。
一方Detonationでは、フェイトはレヴィとの絡みもありつつ、なのはを一番近くで支える人という位置づけが強化されています(ブラストカラミティまでの流れなど)。

また、Reflection締めの絶対に守る宣言も、当初は「なのはの決め台詞とドアップで締めるんだな」くらいにしか思っていませんでしたが、Detonationラストへの布石になっています。


アンドロイド(群体イリス)の設定

地下鉄でのシグナム対アンドロイドの会話にあった「会話できる個体とそうでない個体がある」という話。階級があるのは自然なことですが、会話できる個体は量産型よりも明らかに強く、さらに見た目も異なっていました。

ところが、なのはが最後に戦ったのは、強くて見た目も違うのに、会話ができない個体でした。
あのシーケンスは、特別な個体であるという以上に、まず対話してそれでもダメなら武力行使という定番スタイルの復習でもあります。


また、特定個人になのはが負けるのではなく、なのはを機械的に退場させる舞台装置というメタい意味合いも強いのではないかと。


フォーミュラ(アクセラレータ)と魔術の融合

シリーズが進むごとに装備をパワーアップさせてきたので、Reflectionの最後あたりから最早どういう状態なのかわからなくなっていましたが、Detonationではなのはがアクセラレータを無理矢理発動させてアミティエを助けるシーンがありました。

 

もともと、アクセラレータを使うと体に負荷がかかるのは、アミティエ自身で描写されてきたこと。
A'sでのベルカ式カートリッジの追加、Reflectionでのフォーミュラ追加ときて、Detonationでは体に鞭打ってまで使ったアクセラレータ。誰かを助けるためなら瞬時に自分を犠牲にする判断ができる危うさと、助けられない無力な自分への恐怖が短いシーンに込められていました。

 

もちろん、これはなのはが魔力とフォーミュラを融合させたことで山ちゃんのモチベーションがアップするというイベントでもあります。


消滅したディアーチェ

戦闘不能になったシュテルとレヴィから魔力を受け取ったディアーチェが、ユーリへの恩返しと称して全魔力を使った攻撃を放つシーン。
誰かを守るためなら死んでもいい、という点ではなのはのシーンと共通しています。

 

3匹組については、2人を消さずに3人で合体技的なこともあり得たとは思いますが、その前の時点でやっていることや、絵的にブラストカラミティと被るのでナシかなと。しかし、イリスはともかく、ユーリは何回倒されてるんだ? 2回?


アミティエとなのは

クライマックスで危険を顧みずに大気圏外に浮上したり、ボロボロの状態で山ちゃんに特攻したりと、しっかり者なのに意外と無茶をするアミティエ。キャラクターとしてはなのはに近いところもあります(なのはほど頑固ではなさそうだけども)。

 

ただ、あのシーンって別に2人とも浮上させる必要はなく、なんならなのは1人で上がったほうが今回のコンセプトには近い可能性もあります。
2人にした理由としては、アミティエが傷つきながらも帰還したことで、逆になのはは帰って来られないんだろうなと予感させる他に、途中離脱することで、なのはは最初から孤軍奮闘したいわけではなく、結果的に1人になってしまったことの強調でもあります。

 

これはフォーミュラが足りない問題も同じだと思っていて、本当は(それこそお商売としては)フェイトのフォーミュラバージョンとかあるべきなんですよね。だけど、フェイトやはやては強化させず、なのはだけが1人違う世界へいってしまう
でも、2人はなのはと同じところまで上がってきて、なのはを抱きしめてくれるんです。

ちなみに、アミティエは土手っ腹に風穴が開いても生還するので、右腕が吹き飛んだくらい大丈夫だろうという謎の安心感を与える役割もあります(あるのか?)。


キリエ覚醒シーン

不器用だが聞き分けがよく賢い姉に比べると、騙されたとはいえ視野狭窄に見えがちなキリエ…でしたが、なのはたちとの交流を経て、悲しい経験をしたイリスを守り、寄り添うことを決意します(挿入歌つき)。

なのはシリーズではお馴染みのコースですが、きっとイリスへもなのはの思いが引き継がれていくはず。

 


というような導線をたどった先にあるのがあのクライマックスだとすると、あのタイマン勝負にすべて詰まっているし、なのはとなのはの魔法がすべてを繋いだのだと思わずにいられません。

 

(そういえば、防衛用アンドロイドとの決戦ではなのはのBJがほぼパージされ、強烈なストレートを顔面に食らわせるのですが、あれってやっぱり地上波の対アリサビンタリスペクトなんだろうか……)

 

少なくとも小学生なのはの話はこれで終わりでは

お話がなのはに回帰しただけでなく、劇中で小学校を卒業していること、エンディング曲が地上波1期を意識していることからも、小学生のなのはの話は一旦幕引きでしょうね。
パンフレットでは、都築パパはなのはシリーズの新作を匂わせてはいるものの、Detonationの続きではないと思います。

 

いやー、なのは、長い間お疲れさまでした。そして、これからもよろしく。