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朝日カルチャーセンター「僕はこんな作品を見てきた。─1995年とメディアの変遷」メモ

2/25に朝日カルチャーセンターで開講された講座に参加してきました。
これで最終回かと思うと大変名残惜しいですが、満員御礼ということですし続報を待ちましょう。

 

例によってメモを元に作文していますので、こんなことあったよ程度で何卒。

 

※以下敬称略
※各見出しは配布されたレジュメを参考にしていますが、当てはまりきらなかったので、少しアレンジした見出しを半ば無理矢理入れています。話の内容が切り替わったタイミングで入れるようにしてはいますが、見出しの親子関係等レジュメのとおりではありません。ご了承を。

 

◆あいさつ

幾原:3回目ですし、今日もうまく話せたらいいなと思っています。
藤津:ついに90年代ですね。
幾原:うまく話せるか、一番自信がないなあ……。
藤津:第2回までは映画や小説が中心でしたが、幾原監督ご自身がそういった作品を一番見ていない時期ということですので、今回は切り口を替えて、メディアの変遷といった内容を中心にお話したいと思います。

 

バブル経済の終わり

上田:幾原監督は1986年に東映に入社されているので、1990年はバリバリ働かれているころですね。その頃の暮らしというのは?

幾原:1990年は、業界4年目でディレクターになった年でした。
忙しさの質が変わり、自分の中にあるものを表現できるところまで来たかな、というあたり。

藤津:朝は早かったんですか?

幾原:制作は基本10~11時にスタジオ入りでしたが、朝が苦手なので……。
午前中にはスタジオ入りしてましたね。

ディレクターになれたといっても、任され度は「試しにやってみる?」程度で。
でもうれしかったですよ。

それまでは、上京するための口実としてアニメをやってるみたいなところがあって。
どうしてもアニメをやるんだ!といった情熱はなかったと思いますね。フラフラしてるというか。

それが(ディレクターになって)やれそうだとなって、これが自分のやるべき仕事だったのかと考え始めたんです。

その時までは、僕はメディアの受け手でしたが、発信側になったんです。

ディレクターになる前もTV画面に名前は出ていましたが、意識はあまりなくて。

今思うと、人生を総括したり、これまで感じていたものへのリスペクトを感じる時間が多かったかな。
メディアから与えてもらった感性とは、一体どういったものだったのか?
ストーリーや物語を追体験することはあったけど、それをどう感じるかということですね。

TVに名前が出たことはうれしかったですよ。
それまでは、ちょっと頭でっかちで、上から目線なところがあったかな。謙虚じゃなかったというか。そのおかげで、いろんな人に可愛がられました(笑

ただ、アニメの仕事をやりながらも違和感があって。それをディレクターになった時に回収しようとしたんです。まあ、できなかったんですが(笑

つまり、90年代は自分が送り手になって、メディア体験を総括するようになったんですね。

 

藤津:当時、TVってなんだろうといったことを考えましたか? 作品をどういった人に楽しんでほしい、など。

幾原:僕の印象ですが、90年代はまだ業界が狭くて、情報もあまりなかったんです。
アニメ雑誌をめくって、どういう作品があるのかやっと知るみたいな。
世間でも、アニメが流行ってるとはいうものの、見ていないんですよね。

そういう意味では、まだ実験できた時代だったんです。
僕らの世代がどっと出てきたところで。東映でも正規雇用が10年くらいなくて、その後に僕らが入ったので。

藤津:東映の世代交代ですね。

 

上田:当時、他のスタジオなど横のつながりはありましたか?

幾原:アニメ雑誌などで、これからの若い世代をあおりはしたけど……。
自分たちが食うので精一杯。なので、(言っていることと)やってることとのギャップがありましたね。

上田:やはりお忙しかったですか? ご帰宅時間など……。

幾原:帰るのは夜半すぎでしたね。なので、普通のバブル時代の若者の楽しみはなかった……。

 

上田:バブルの空気を感じるときはありましたか?

幾原:上京した時は渋谷が流行ってて。逆に、東映の池袋はダサかった印象がありますね~。
今はかなり逆転してますよ! かなり!

IWGPがなかったですからね。かなりちがいますよ!  あれができてからだいぶ変わって、若い人の町になりましたね。

藤津:街にカラーがある、という点はインパクトがありました?

幾原:いろんな国や街を見てきましたが、東京ほど街にカラーがあるところはない!
都市の表情が違って、歴史があるんです。
たとえば、浅草や銀座は戦前。新宿は戦後、渋谷は70年代以降の街ですよね。
そういう歴史がおもしろい。

以前、新宿ピカデリーのある通りのビルで打ち合わせがあって。エレベーターに乗ったんですが、違う階で降りちゃったんです。そうしたら、店のドアがなくていきなり店の中で。みんなカードを持って歌ってるんです。歌声喫茶だったんですよね。

 

◆メディアの変遷

ワープロとパーソナルコンピュータ

藤津:PCによるコミュニケーションテクノロジーの話を伺おうかと。昔は文通などが一般的でしたが、幾原監督は筆まめでした?

幾原:うーん。あんまり投書とかはしてないですね。

藤津:作品の応募くらい。

幾原:しとけばよかったですね。
ただ、ワープロは80年代には持ってましたよ。東映にはMacユーザーもいましたし。

上田:何用でしたか?

幾原:企画書とか、小説めいたものとかを書いてました。

上田:小説など、そういう方向も?

幾原:当時はストレスがあってね(笑
ただ、今思うと、書いててよかったなと。表には出なかったものの、なにかをアウトプットするということを(しておいてよかった)。

上田:アニメのように絵にはされなかったですか?

幾原:アニメーターに(小説の)絵を書かせてましたよ。今でもノーギャラだったと怒られてる(笑
ストーリーに絵をつけてくれみたいな感じで依頼するんです。そうすると絵があがってきて、この人はこう感じるんだなって。

 

藤津:ワープロの機種は?

幾原:(当時シェアが大きかった)シャープかも。空き巣に入られて、2、3台回買い直してて。ショックでした……。その次はMacを買いましたね。

藤津:それまでは手書きだったわけですよね?

幾原:だから画期的でした! でも、ひらがなしか入力できなかったんですよね。
PCを使うようになると、それは疲れるよと言われて。ローマ字入力を練習しました。「北斗の拳」のタイピングソフトで何度も死んで。

藤津:流行りましたね~。

幾原:最後は汎用性でPCに行きましたね。ウテナが終わるくらいにMacbookを買って。インターネットもその時に知りました。かなり変わりましたね。

 

◆コミュニケーションの変化

●インターネット

上田:インターネットでは何をされました?

幾原:1998年くらいなので、ジオシティとかニフティとかかな。
同人誌や二次創作の世界がネットに登場して。いきなり二次創作を目にするようになったんです。

藤津:Yahoo!検索でファンアートが……。

幾原:当時、二次創作はコミケとか行かないと見られなかったから。えっ! みたいな。

 

藤津:インターネットで、何が一番変わったと思います?

幾原:そうですね……。俗っぽいことを言いますが、ネットリテラシー耐性がなくて。
たとえば、有名な人が炎上したりするのか、こんな有名な人がこんなこと言うんだ……みたいな。そして、そこに突然の飛び蹴りが。

メディアをつくっていると、気づいたら傲慢になっていて。
一方的に情報を下ろそうとするんです。
そういった人たちがネットに情報を下ろしていこうとすることへのカウンターが、メディアの変遷にともなってあったのでは。

藤津:上から下に下ろすものではなくなっていったんですね。

幾原:本当は、僕の世代はわからないのかもしれない。
若い人が、価値やサクセスをどう捉えているのかということが。とくにサクセスですね。

藤津:ここ20年で変わってきていますかね。

幾原:俗っぽいことを言うと、フロンティアがなかったですよね。
若い人には閉ざされていたんです。
よく、バブルにはチャンスがあったみたいに言われますが、僕なんか酷い目に遭ってますからね!

藤津:恩恵があったのは、ホワイトカラーのヤングサラリーマンくらいじゃないでしょうか……。

幾原:若い人に厳しかったですよね。「愛という名のもとに」とか。
先人に開拓され尽くされてフロンティアがなかったから、ネットはフロンティアになったのかも。当時はね。

運動が終わってからバブルまでの間、若い人たちは世間と闘争する姿を見せないんです。恩恵を受けるように見える。

僕は金八先生世代で、1期のときちょうど中3でした。
金八先生の2期で「腐ったみかん」というストーリーがあるじゃないですか、
あれは、運動を80年代のドラマで再現してるんですよね。若い人にはこうであってほしいという幻想です。
僕らの時代は学生が暴れたりしていたから、荒れ方に希望をもっちゃったんだよね。
ところが、暴れそうで暴れない。若い人のドグマは、90年代中盤まで押さえられているんです。

バブルが崩壊して就職氷河期になって、これは僕の想像ですが、若い人にとっては心の時代になったんじゃないかと。

バブルの時はお金でなく愛だと言うわけです。ユーミンなんかはそうですね。
お金なくなったら、心だと言われるようになったのかなと。そこで登場したのがインターネットでは。

心(の問題)が暴力として現れたのが、90年代の事件。心の問題は80年代にはすでによく言われていましたが、暴力として現れることを想定していなかったんです。心を置いてきたんですね。

 

藤津:90年代には終末ブームもありました。公害などにより「人間はダメだ」という意識が高まりましたし、それまでの豊かさに対するカウンター(という側面)もありそうですね。

幾原:ヤマトが74年、日本沈没と(第1次)オイルショックが73年。みんなショックを受けたました。失業の話を近くで聞いたりと、急に暗い感じになりましたね。

藤津:バブル崩壊とは違う陰りがありました。

幾原:運動の世代は70年代に就職するんですが、そこから10年経って彼らがカルチャーの発信者になるんですね。

藤津:ほぼ団塊の世代ですね。糸井重里さんとか。

幾原:その人達が、今のメディアのイメージをつくったんじゃないかな。

 


ポケットベル

藤津:1996年にポケットベルが最盛期をむかえます。ものすごく流行りましたね。

幾原:番号でメッセージができるらしいですね。

上田:0840でおはよう、とかですね。

藤津:あのあたりから、コミュニケーションの楽しみ方が変わったんでしょうか。

上田:ベル友とかありましたね。ランダムな番号に連絡をして、そこからやり取りが始まって……。

幾原:ポケベルでだけ? 実際に会うの?

上田:会うらしいですよ。

幾原:やっときゃよかった……。

藤津:幾原監督は使ってなかったんですか?

幾原:使ってなかったですね。逆に、携帯電話が早くて。それも1996年にやめちゃいましたが。
ウテナの準備をしているときですね。携帯をやめてすぐにiモードが出て。

藤津:便利でした?

幾原:すぐ連絡がつくのは便利でしたが、電話代は高くて……。

上田:なぜ携帯をやめられたんですか?

幾原:飽きましたね。そんなに連絡とっても……って。
それから10年くらい持ってなかったです。00年代は持ってなかったんじゃないかな。
ただ、ピングドラムをやろうってなったときに、ないと困ると言われて。
ドコモでガラケーを買ったんですが、知り合いでiPhoneを持ってるやつがいて。3ヶ月で解約して、スマホiPhone)に。iPhoneには驚きましたね~。

上田:どこに驚かれました?

幾原:UIですね。
あとはアプリの概念。PCにもアプリケーションはありましたが、やはりUIが違うしね。

藤津:そのインパクトが「ユリ熊嵐」にも生きているんですね。

 

◆1995年に起きたこと

地下鉄サリン事件

藤津:先ほど心の問題というお話が出ましたが、95年には阪神淡路大震災地下鉄サリン事件という大きな2つの事件がありました。
幾原監督は、地下鉄サリン事件はどこで知りましたか?

幾原監督:スタジオに行ったら、みんながニュースを見ていて。僕らもよく使う電車だったし、えっ!てなりましたね。すごい事件が起きてると。

ただ、予兆はありましたね。不穏なムードというか。80年代から西東京あたりでは見かけていましたが、ジョークとして流されていたんです。
今思うと、心が漂流していたのかな。

藤津:当時は雑誌などでも取材されてましたね。

幾原:メディアも伝え方に困っていたし、そう(事件に)なるとは思ってなかった。

藤津:僕も、学食前で空中浮遊すると言っている人を見たことがあります。

幾原:日本沈没ノストラダムスといったオカルトブームがありました。
そして、そういうカルチャーの影響を隠さないのが同世代っぽいですね。
逆に、カルチャーをつくってきたひとは一斉に口をつぐんでしまう。

どうリアクションしていいかわからなかったし、語れなかったんです。
アニメなどを巻き込んだ事件もあったので、そういうムードだった。

藤津:若い人の漂流ですね。「貧病争」をきっかけに新興宗教に入るといいますが、この時代はそうではなかったですね。

幾原:僕の印象では、新興宗教はコミュニティから溢れた人の救済だった。
一方で、新新宗教は、見えているコミュニティから溢れた人の心の救済だと思うんです。
若い人の流れに乗れない人をピックアップしていって。
乗れてないという意味では、僕の周囲の人が流されていてもおかしくなかった。十分ありえたんです。

 

藤津:幾原監督の宗教観、とくに宗教の役割などはどうお考えですか?

幾原:世代的なものだと思うんですが、宗教へのネガティブイメージが植え付けられていて。
世界では異例ですが、日本は多くの人が無宗教ですよね。
僕の印象では、景気が良い時は、国家という枠組みの中で、会社や学校というコミュニティにいるから落ち着くんです。

運動の時代は家長制度を攻撃していましたが、その実態は経済だったんです。
その強固な経済のほころびが心の問題だったのかも。

当時は、コミュニティからこぼれた人を弱者とするムードだったので、(新新宗教を?)信じてると言えないムードがあった。

ネガティブにいうと、日本人は宗教ではなく拝金主義だったんですよね。
それが、若い人にとって「フロンティアがないという絶望感」に結び付くのかもしれません。

 

藤津:今回の講座では監督作品には触れないということになっていますが、これだけはどうしても触れておきたくて……ピングドラムで「95年」に触れなきゃと思われた理由はなんでしょうか? 言える範囲でいいですので。お金や家長制度、弱者による運動がどうしてこうなってしまったのか……。

幾原:ひとつは、自分と近いところから事件の話を聞いたことがあって、ショックだったんです。事件が実は自分と近いものだったんだと。見ないふりをして生きてもいけたけど、自分はその怖さを知ってしまった。そこで、同世代としてそのことを少しでもメディアで形に残せるなら、語ったほうがよいと思ったんです。

藤津:メディアの役割ですよね。(ピングドラム)当時の幾原監督へのインタビューでも、事件が身近だったというお話を伺いました。

幾原:みんな身近なのに黙っているんです。自分が言わないと、というか(黙っていることが)気になったんです。このタイミングで言わないと、一生言わないと思った。
団塊の運動の世代にしか言えないことがあるし、言える理由があるんです。

たとえば、あさま山荘事件について僕らが語っても、それはフィクションじゃないですか。
それは悪いことではないけど、その世代でないと見えないディテールはあるんです。

 

藤津:村上春樹アンダーグラウンド」は、地下鉄サリン事件の被害者にインタビューしてつくられた本です(要約)。幾原監督も読まれましたか?

幾原:読んで驚きました。
村上春樹も、自らが作家になった意味を考えたんじゃないかな。
実は自分の影響下にあったことなら恐ろしいと感じただろうし。
同世代的な意識はあったんだと思います。

藤津:自分の仕事の振り返りですね。

幾原:総括せざるを得ないです。

上田:この本では、インタビューを受けた人たちに感情移入して書かれています。村上春樹も、職業作家としてそれを世に出したいと。

幾原:同時代にメディアにいた人としては、触れておきたいですよね。

上田:ニュースと実像とのギャップを感じます。

幾原:それがこの本の狙いですよね。
新聞や雑誌では「被害者A」というように名前が伏せられていて、それ以上じゃないわけです。
でも、そこにあえて踏み込む。その人のディテールへ。
そして、その次代のバックグラウンドで語られるんです。
作家によるフィクションの色付けも含めて。

上田:ディテールが重要なんですよね。「アンダーグラウンド」では、インタビューを受けた人たちの背景に多くの文字量が割かれていて、その人の顔が見えてきます。

幾原:これは僕の想像ですが、メディア人として、メディアの罪を感じんじゃないかな。
メディアはピンポイントの情報しか出してこない。心の部分が抜け続けているんです。
そういた状況で事件が語られ続けることへの異議を感じます。
1人の人間として語られるように、ということですね。

傲慢な言い方ですが、メディアによって想像力が欠如してしまったのかもしれません。
個体ではなく個人として伝えるというメディアの役割放棄を、自ら感じたんですね。

 

上田:TVや新聞など、媒体ごとの役割も違ってくると思います。

幾原:時代によっても意味が違ってきますね。
たとえば、TVが生まれる前は、早い情報源はラジオでした。
雑な言い方をすると、TVが想像力を奪ったのかも。新聞だと半日待つから、その間にいろいろと想像しますよね。

藤津:TVには中継という強みがありますね。

幾原:欽ちゃんが「お笑いのライバルはあさま山荘」と言っていたかと思いますが、みんなお笑いではなくて事件が見たいんですよね。

注)ソースはこちら:http://www.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=selection016


阪神淡路大震災


藤津:もうひとつの大きな事件が阪神淡路大震災でした。甚大な被害の一方で、ボランティアが身近になるきっかけにもなったのは「心の時代」なのかもしれません(要約)。
当時のことは覚えていらっしゃいますか?

幾原:実家から電話がかかってきましたね。TVをつけたらすごいことになっていて。

藤津:人災ではなく天災ですが、世の中的な節目になりました。

幾原:ビル倒壊や高速転倒という現実を見ましたね。
オイルショックAKIRA、MAD MAX、北斗の拳といった作品で描かれたフィクション、ビルがなぎ倒されたり高速道路が倒れたりという破壊が、1995年で本当に起きてしまった。
世界リセットの夢が終わったんです。ナウシカなんかもそうですね。
世界再生という幻想が終わりました。

藤津:現実はロマンチックではなかったですね。

幾原:ナウシカとかいないしね(笑

藤津:そこから、経済もうまくいかず、混沌とした20年が始まっていますが(要約)。

幾原:若い人は、経済がうまくいってないと思っていないですよ。上の世代が言う「うまくいっていた」ときを知らないから。
逆に、僕らに見えていないフロンティアが見えているのかもしれない。

 

◆90年代の村上龍村上春樹

村上龍希望の国エクソダス

上田:村上龍希望の国エクソダス」の話を。1998年から2000年にかけて連載された小説です。

幾原:携帯を起点にした若い人の連動ですよね。メールコミュニティから革命を起こすという話。村上龍も「いよいよ(運動が)きた!」と思ったんじゃないかな。夢をフィクションに託して。

藤津:幾原監督は楽しく読まれましたか?

幾原:業界人で話題になりましたね。「来た!」と。インスパイアされた映画もあったんじゃないかな。

藤津:それは先ほどの「腐ったみかん」的な思いなわけですよね。

幾原:夢を見たんですね。

藤津:しかし現実は……。

幾原:2ちゃんねるでした。

藤津:皮肉ですね……。

幾原:ソーシャル上での連帯が、10年経って生まれてきたところです。

上田:村上龍は「希望の国エクソダス」で希望はあっても欲望がない中学生を描いています。語り手は30代のライターなんですが、欲望がない中学生を理解できない。さらに、中学生たちが姥捨て山を作り始めると、恐怖を感じています。

幾原:要するに、よくわからないけど運動には共感できる。世代の断絶はあっても共鳴できるということですね。

ちなみに、この小説には「オールドテロリスト」という続編があります。
今度は真逆の話で、老人が連帯して日本を沈没させるという話で。しかもその方法がアイドルのライブ会場に火をつけるとか(笑

藤津:時代風俗ですね~。「愛と幻想のファシズム」でもそうですが、村上龍さんは世の中がガラッと変わることを望んでるんでしょうか?

幾原:フィクションのガス抜き効果でしょうね。溜まったカオスやドグマに針をぷすりと指してガス抜きをすることは、あったほうがいいんです。

藤津:夢を書いてるでしょうか? 運動がうまくいかなくても、信じているのでは……。

幾原:村上春樹は、村上龍へのコンプレックスはありますよね。それは、時事ネタへのタイムリーな着眼点。村上春樹も、その影響は受けているかなと思います。

 

◆90年代のカルチャー


藤津:今まで、運動の波が引いたときの「心」のお話を伺ってきました。一方で、カルチャーはどうなってきたんでしょうか?

幾原:僕はTV世代だったんですよね。東京タワーが完成した「三丁目の夕日」世代です。
テレビが街頭ではなく、家庭のものになりました。

これは想像ですが、(この時代の)カルチャーをつくったのは、団塊の世代じゃないでしょうか。主流の映像メディアが映画だった時代は、若い世代がつくっていましたが。

「アングラ」や「サブカルチャー」って、隠語じゃないですか。
元々は、単なる演劇や運動の装置だったものが、運動がなくなったことで、演劇の見え方だけが継承された。その「わかってると通だね」みたいなポイントを、メディアが「アングラ」や「サブカルチャー」と呼び始めたんです。

そういう意味では、ポピュラーもアングラも作ったのは同じ世代じゃないですかね。

藤津:(主要なメディアが?)インターネットになった今は、そういう意識はありますか?

幾原:うーん……TVというメディアで遊ぼうとした人、野坂昭如さんとかですね、がやったことが開花したのは、80年代のひょうきん族とかだと思うんですよ。
つまり、デバイスで遊ぼうとしてる世代は、僕にはもう見えないんです。
今だとピコ太郎なのか……とかね(笑

youtuberなんかもわからないですね。
もちろん存在は知ってますが、それをサクセスとする感性はわからない。

今は、「食えたもん勝ち」なフロンティアなのかもしれません。今まではそう言えなかったけど、そこに夢があるのかもしれない。


上田:音楽でいうと、90年代は渋谷系が流行りました。今も、小沢健二がMステに出たり、村上春樹が新刊を出したりと、1997年かな?という感じですね。

幾原:僕はあまり接点がなかったけど、avexなんかはレンタルレコード屋ですよね。
もともと、レコード屋は先人による支配があったわけで、その隙間を狙ってるわけです。
90年代の音楽は、70年代の終わりくらいに先人が浸透させていったものの開花じゃないかと思っています。70年代のクラブカルチャーとCD時代のレンジが合っていたのでは。


藤津:今日のお話を伺っていると、「フロンティア」がキーワードになりそうですね。

幾原:憧れがありましたね。第一次宇宙ブームのアポロや第二次のスターウォーズ
アニメもそこを表現していました。

藤津:アニメはフロンティアにみえましたか?

幾原:そうですね。大人にはわからないものだから。
アニメや漫画って、大人や親に言ってもわからないんです。自分の時代にはなかったカルチャーだからね。20年かかって浸透してる。

藤津:インターネットが普及し始めてから20年経ちますが、これからなにかあるんでしょうか。

幾原:もうあったのかもしれないね。

 

◆まとめ:未来について

藤津:今回のまとめとして未来について伺いますが、予測していただくのではなく
運動やアングラといったものがどうなっていくのか伺いたいと思います。
(注:非常にメモが怪しい)

幾原:僕の世代は、団塊のおこぼれ世代だったんですよね。
先人があらゆるカルチャーを作ってしまって、しかもパワーを持っていたので刃が立たなかった。
でも、マンガ・アニメはまだカルチャーが作られていなくて。

藤津:スキマを見つけるということですかね。
どこかはわからないんだけど、後から見たらわかるという。

幾原:後から気づくものだよね。
今は消えちゃったものなんかもあるし。たとえば、携帯小説って今はどうなってるんだろう?

藤津:僕も読んだわけではないですが、内容が変わっていると聞きましたよ。
ジェットコースター的なドラマではなく、気持ちのすれ違いを描くような。

幾原:想像ですが、携帯小説のリアリティって「携帯を持っている女子的な空気感」ですよね。
以前はメディアが上から共感や感動を下ろしていましたが、それが手元にあるリアリティに置き換わったという。
すぐそばにある携帯に共感があるのかもしれないですね。

 

◆質疑応答

Q1. 執筆された自作小説を販売してください!
A1. 今日処分します!

藤津:やっぱりアニメになりそうな話なんですか?

幾原:そうですね。
怪獣が出てきたり、カップルの片方が動物(犬)だったり……。
あとは、学校の運動場下に恐竜が埋まってて。そのことは皆信じていないんだけど、1人だけ信じてる女の子がいて、その子が恐竜を呼び出そうとする話とか。
プロットとしては完結してますね。

上田:クラウドファウンディングとか……。

幾原:考えてみます(笑

 

Q2. 宮崎勤事件について、同世代の罪ではないのかという意識はありますか?
A2. そういう感覚はありました。

誤解を恐れずに言うと。70年代には「ロリコン」という言葉がネガティブではなく合言葉的に使われるようになったんです。アニメキャラの女の子に性的な意味でドキドキしたり好きだという感性も悪くないよね!という空気があったのですが、それに冷水をかけられたような気持ちになりました。

そんななかで、「アニメ・マンガ好きは心が外に向かない人だ」という報道をメディアがしていて。

おおっぴらに(アニメ・マンガが好きだと)言えないムードになっていきました。
率先して自分がアニメ監督だとは言いづらい感じ。
それは僕の世代ではもう拭えないことで、トラウマになっているのではないかな。自分の感性を総括できないんです。

ただ、上の世代にはまったくわからないでしょうね。アニメのキャラにドキドキするような感性がないとわからないんです。何かの病かなと思われてしまう。
でも、病だと捉えてしまうと、自分の中にある感性をどう解釈していいのかわからないんです。

 


Q3. ひょうきん族でTVというメディアへの仕込みが開花したというお話がありました。バラエティというフォーマットが確立していくなか、幾原監督のギャグ作品(きんぎょ注意報!など)にはどのような影響がありましたか?

A3. 僕はドリフ世代なんですよね。

歴史的には、最初のテレビのお笑いはクレイジー・キャッツ。その次が欽ちゃんで、しばらくその時代が続きます。
その欽ちゃんを倒したのがドリフです。ひょうきん族はその次ですね。「THE MANZAI」のような漫才ブームがありました。

藤津:アルファベットなのがポイントですね。

幾原:ひょうきん族以前は、TVで実験していたんです。TVが何か、よくわかってなかったんですね。
TVがどういうものかわかるようになるにつれ、みんなが事件性を求めているということがわかってきた。できるだけアドリブ重視で、素人を使ったりしてハプニングに見えるようにしていきました。
それまでのお笑いは、作り込まれて演習もいっぱいしていて、演劇に近かったんですね。

藤津:「きんぎょ注意報!」には生かされてますか?

幾原:いやあ……ギャグは難しくて。

藤津:参考にはされました?

幾原:自分のギャグのリズムは「がきデカ」ですね。
ア太郎やバカボンでギャグといえば赤塚不二夫の時代でしたが、小5になって「がきデカ」が登場して。
作者の山上さんはまさに団塊・運動の世代で、そのフラストレーションを漫画で晴らす!家長制度をめちゃくちゃにしてやる!みたいな。
その後に少し遅れてやってきたのが「マカロニほうれん荘」。僕が知った初めてのパロディ作品でした。

 

Q4. インターネットが普及する前は、番組への反応はどう調べて、どう生かしていましたか?

A4. 東映では、毎週月曜(毎日かも)ニールセンとビデオリサーチの視聴率が毎朝届いて、それが机の上に……。

藤津:力を入れた回で数字が良いと、やっぱりうれしいものですか?

幾原:必ずしもそうではないところがまた面白いですね。

藤津:裏番組にも左右されますからね。

幾原:土日の朝にやっているような番組は、視聴率を気にしているんじゃないかな。

藤津:スポンサー側から「こういうものを子どもたちが欲しがっているんです」といったリサーチ結果が届いて企画につながるといったことは?

幾原:ある玩具メーカーの話ですが、長い年数周期での「トレンド周期表」があるんですよ。今忍者が来ているから次は恐竜だ、とか。この世代は生まれたときにこういうのを見てるから……といったように、決まっているそうです。

藤津:その周期に合わせたアレンジが。

幾原:実際にそれを見ながらやってましたね。
自分の作品ではないですが、聞いて大変そうだと思ったのもあります。
作品(各話)ができると、スポンサーがそれを幼稚園まで持って行って上映会を毎週するんですよ。そのリアクションを撮影して、どこでよそ見してるのかまでバッチリ撮って、スタッフに見せてくる(笑
まあ、スポンサーのいうことだからね……。

 

Q5. 宮崎勤事件に関連して。酒鬼薔薇事件はゲームの影響だと報道されていたが、そちらはどう感じましたか?

A5. 僕はゲームをまったくやったことがなくて。
ファミコンが出たときは大学生。夜は女の子といっしょにいていいんですよ!? ゲームどころじゃないですよ! より深刻な問題があるんだ!
就職したときはスーファミが出ましたが、そんな状況でもなくて。

ただ、ゲームをやらなかったせいで、耐性がないんですよ。
ゲームトレンドがわかってないと、アニメを作っても嘘っぽくなるよと言われて。

18禁PCゲーが流行ったときにやったんですが、早くHシーンを見たいからって飛ばしまくったせいで、面白さがわからなくて……。


まあ、報道のつくる「わかりやすいドラマ」に僕らははめこまれやすいよね。

 

◆おわりに

藤津:幾原監督からの告知は?

幾原:まだ言えないですね。
ただ、今日質疑応答などでみんなと話をして、総括していなかった感情の再確認ができました。

藤津:朝日カルチャーセンターの講座も今回が最終回ですが、続報はお伝えできそうです。が、まだ言えません(笑

幾原:最初、藤津さんから「3回講座をやるよ」と言われていて、正直3回なんて無理だと思いましたが、藤津さん、上田さんがよく導いてくれて、なんとか話せました。ありがとうございました。
自分のなかでもやっとしてるところもありましたが、みなさんの意見を聞いて、まだやっていないことや目を背けていることに気づきました。まだやらせてもらえるなら、トライしたい題材はありそうです。
今日は本当にありがとうございました。