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朝日カルチャーセンター「万博から世紀末まで‐僕はこんな作品を見てきた。」メモ(前編)

幾原監督ファンクラブの皆様、お疲れさまでした。

藤津氏による最高の司会進行により、メモを取る手が攣るほど饒舌な幾原監督が見られる大変貴重な機会でしたね。

120人近くの大入りで大変良い体験でした。

 

例によってメモをとりましたので、アップします。例によって精度は微妙で、抜け漏れミス勘違い聞き間違いがあります。

 

これはレポートなのか?メモなのか?
テーブルの上のお菓子がパンなのかパイなのかは食べた人しかわからないように、これがレポートなのかメモなのかは、読んだ人にしかわかりません。

 

ゲスト:幾原邦彦
司会進行:藤津亮太氏、上田麻由子氏(以下敬称略)


※実際のイベントでは、話に上がった各作品について、藤津さんによる丁寧な解説がついていました。が、そこは参加者のみの特権ということで何卒。藤津さん、本当に良い仕事をありがとうございました! 


◆イントロ

幾原:(挨拶)今日は自分の作品ではなく、自分の世代が体験してきたカルチャーを紹介。マニアックな話などしていければと思います。

藤津:まず、幾原監督にお話を聞こうと思った動機についてお話します。
ユリ熊嵐のイベント用パンフレットのインタビューで、作品は時代を映す(地球へ…など)という話が出たのを覚えていたんです。
また、他のプロデューサーと、見ていた作品・見なかった作品は年齢によってちがうという話もしていて、監督がどんなものを見て自己形成してきたのかを聞きたいと考えました。

 

1. 1960年代から1970年代へ


藤津:まずは、生まれてからのメディア体験について伺います。生まれてから、見て・覚えている映画やTVはありますか?

幾原:一番古いのはキャプテンウルトラ小林昭二氏時代)ですかね。次はウルトラセブンかな。アンクルトリスのアニメーションだった、トリスのCMも覚えています。僕は最初からTVがある世代でした。爆発的にTVが普及し終わって、変わっていく時代が子供時代。映像メディアが変遷していく時期ですね。50年代は映画が主流で、60年代にTVが普及するに従って、そちらにに移行していきました。映画が斜陽になったというよりは、楽しみ方が変わっていく。
50年代のTVはドラマが中心でした(ニュースはあるけど、報告メイン)。映画とTVの差は、同時代性ですね。TVは、そのとき起こったことを伝えられる。

藤津:映画は公開までに時間がかかります。一方で、TVはスポーツ中継などが人気で広がっていき、リアルタイムがあたりまえになりました。

幾原:見たTVの話を学校でするというのも、今までとはちがう体験ですね。

藤津:TVはみんなの共通体験になりやすいですね。小学校で楽しみだった番組は?

幾原:普通普通。ブームもあって、怪獣好きだったので。仮面ライダーとか。あと大きいこととしては、小学校までは白黒だったテレビが、70年代になってカラーテレビに。爆発的に普及しました。

藤津:初任給の10倍くらいの値段でしたね。カラーテレビは70年をすぎてから普及してますね。75年で90%。

幾原:急激な変化でしたね。今思うと。

藤津:映画はどうでしたか?

幾原:最初に見た作品は覚えてないですが…
アニメ:空飛ぶゆうれい船(1969年7月20日公開。東映まんがまつり)
実写:怪獣総進撃(1968年8月1日公開。東宝チャンピオンまつり)

藤津:徳島でご覧になったんですか?

幾原:ちがいますね。父の転勤の都合で、いろいろ地方をまわっていました。各地の駅前映画館などで見ましたね。70年代には減少していましたが…。

藤津:鮮烈に覚えていることはありますか?

幾原:まんがまつり、チャンピオンまつり以外だと、大人に連れて行かれずに子供だけで入った初めての映画は「日本沈没」でした。特撮があって子どもたちの間で話題になっていて。話は超アダルトで話がわかりませんでしたが(笑)

藤津:終末ブームでしたね。

幾原:みんなの意識から、「戦後」が薄くなってきた時期にあって、「日本沈没」なんかは、戦後を思い出させる映像でした。

藤津:ノストラダムスは?

幾原:流行りましたね。

藤津:わくわくしました?それとも、未来を悲観しました?

幾原:子供の頃は、99年は遠いと思っていました。そして、自分には間違いなく子供がいると思っていた…終末が来ることを子供になんて伝えようか…と思っていましたが、大きく予想と違いました。
ゴジラヘドラなんかは、公害問題の最中で出てきた作品でしたね。今は中国の郊外なんかがいわれてますが、日本があんな感じだったんです。川なんか汚かったですね。

藤津:60年代は公害問題が多かったですね。そんな流れから、万博のテーマは進歩と調和に決まりました。

幾原:ゴジラなんかは公害ネタですよね。トラックに子供がはねられて亡くなったりしていました。

藤津:合唱のチコタン - Wikipediaって知ってますか?交通戦争がテーマで、チコタンは最後は交通事故で死んでしまうんですが。そういうことに社会的関心があった時代なんです。監督は公害の実感はありました?

幾原:今と比べると、自分のすぐそばをトラックがすりぬけていってましたね。すごく危なかったです。

藤津:中学時代はどうでしたか?

幾原:ヤマトがでてきたころですね。そこまではテレビ漫画と言われていて、アニメという言葉がなかった。手塚さんはアニメーションと言っていましたが「アニメ」が認知されるようになったのはヤマトですね。推測ですが、オリジナル作品だったので「アニメーション」と呼ぶのに抵抗があったのでは。

藤津:正解ですね。ヤマトのPは宣伝の戦略上、子供向けではないことを意識して「アニメ」という言葉で売り出そうとしたそうです。

幾原:それまではアニメは子供向けのもので、中学になったら見なかったんですよ。あしたのジョーなんかはスポ根だったし、ちょっとちがう文脈ですね。いわゆるオタクが観測されたのもここからでは。
ヤマトを見て、まだ漫画やアニメを見られる!見ていいんだ!と感じた。当時はヤマトかヤマト以外かというくらいだったんですよ。作品のディティールについて考えるようになったのもそこからで、マニアックに映画を見るようになった。
また、小6で始めてみた映画がジョーズでした。それまで外国映画には興味がなかったんです。宇宙船や怪獣が出てこないと映画体験ではないなと。そこにきて、ジョーズは怪獣がでてくるわけです。画期的な映画だったし、スケールの大きさにびっくりした。一般的にも、これを着にハリウッド映画が流行るようになりました。

藤津:そこからスターウォーズがでてきますね。

幾原:宇宙船ですね。

藤津:映像の仕事については意識されていましたか?

幾原:まあ、怪獣映画を撮ったら、毎日ぬい見られるじゃん!というあこがれはありましたね。でも、自分がその仕事につけるというリアリティはなかったです。

藤津:万博の影響は?

幾原:大きかったですね。自分にとって、オリンピックは過去のイベントですが、万博は世間を席巻していた。メディアジャックくらいの勢いでした。

藤津:国家をあげてですからね。

幾原:当時はディズニーランドなんかもなかったですし。テクノロジーをあつめたパビリオンは初でした。
あのパビリオンは、当時の子供の本に載っている未来都市の造形に近かった。そういう狙いのデザインだったらしいですしね。高度成長とイメージがリンクしています。

藤津:幾原監督にとっての時代の転換点はいつですか?

幾原:60年代後半のヌーベルバーグ運動で、映画が斜陽化しました。70年代は、学生運動で不穏な状況。60年代後半には、映画は大衆への娯楽だけではなく、若い人がコミュニティを形成するための場所になった。自分はウルトラセブンしか見てませんでしたけどね。
学生運動は急速に終わりました。経済も成長もあり、良い生活をするのにいっぱいいっぱいだった。想像ですが、いわゆるサブカルという言葉が登場したのではこの頃なのかもしれませんね。カルチャーではなく装置だった映画や演劇が、運動と関係なく、装置そのものを楽しむというふうに捉え方が変わった。同じ映画でも、サブカルとして評価しているものと、60年代のものは意味合いが違うんです。

藤津:政治ですからね。(略)監督に挙げていただいた作品が、「太陽を盗んだ男」。

幾原:監督やスタッフが運動の人だった。アイドルに、自分たちの意見を代弁させようとしたんです。今度こそ運動で勝つんだ!という、世代の総括を娯楽でやっている。

藤津:時代の変化がつまった作品ですね。

幾原:ロマンチックですよね。娯楽だけの映画やマニアックな映画ともちがう。
60年代は、評論としての作品が出てくるんです。語るために、おもしろくないものをあえて作る。この作品はなんか難しいけど、徳があるのでは?みたいな…。そんな流れのなかで、あえてエンタメをつくったのが太陽を盗んだ男

藤津:日本映画に苦手意識を持つ人の多くは、この年代の印象が強いのかもしれないですね。

幾原:ヌーベルバーグによって、若い人とメディアの意識が一体化した。それが70年代でズレていって、二極化した。
角川映画が登場したのがこの時代。角川映画のすごさも説明しづらいが…一番の違いは、テレビとの関係性です。これまでの映画は、テレビを敵として触れないようにしていた。しかし、角川映画は、タイアップなどでテレビを利用するようになった。横溝監督は、ビジュアルが土着的なんです。ビルが立ち並ぶ高度経済成長期にも、みんなが過去(戦中戦後)のものだと思っていた家族のしがらみがあるということを思い出させる。メディアは戦中戦後をひきずっていて、総括して語りたがっているのでは。

藤津:ヤマトのPなんかは戦中派。40代くらいになった彼らが、戦争というファクターを入れたがりますね。

幾原:山口百恵のドラマでもマンションからの引き上げとかあったけど、今思うと、あれはメディアマンが視聴者と繋がれるテーマだった。戦争がなんだったのかということは、メディアにとって大事なテーマなんです。たぶん、視聴者からのリアクションもあったでしょうし。そういう点では、太陽を盗んだ男は安保戦争をテーマにした最初の作品ですね。

藤津:みんなの共通体験から、個人的な話に変わっていく。

幾原:個人的には、少女漫画のベルばらはフランス革命の話ですよね。これは推測ですが、池田さんは運動の世代ではないでしょうか?60年代に学生であれば、運動を身近に見てたのでは。男装をし、革命することでその決着を漫画で付けようとしたのではないでしょうか?現実がメタファーになっているのではないかという解釈をしてますね。
※原作者回想録の裏付けあり

ヤマトガンダム時代としては、「地球へ…」もあげられます。こちらは、学生運動とはちがって初代金八先生の時代。偏差値教育が導入されたころです。学生運動が終わって、社会を攻撃していた子供が、大人に管理されて仕分けされる世界になった。選別される管理社会を舞台に学生運動のエネルギーを転写しているのではないでしょうか?革命のロマンの話ですね。

 

なんかほんのりウテナっぽいキーワードが出てきたところで後編へつづく…