LIVE GATE 2018 かってに授賞式経過報告

1/11に開門したLIVE GATEに参加しています(進行形)。突然ですが、ここでサイコーにイカれた開催概要を紹介するぜ!


Day1 日本武道館

Day2 日本武道館

Day3 日本武道館

Day4 日本武道館

Day5 日本武道館

Day6 日本武道館

Day7 日本武道館


異常だ!

ひょっとして武道の一種なのでは。


いつもならもうちょっと落ち着いてから感想をアップするのですが、あまりに日程が詰まっていてバテバテ確定なので、一旦まとめておきたいという思いです。

 

Poison Lilyちゃん賞:Poison Lilyちゃん

いきなりアレですが今回の贔屓曲なので。しかも本編1曲目固定っぽくてうれしい。

 

ちょっと病的というか、自覚のある没入感が歌ににじんでいて大変グッと来ます。ラブラブでも悲恋でもなく、ダメな大人の恋愛って感じがいい……。

 

ここでひとつドヤ顔入りまーす。

 

( ・´ー・`)やったぜ。

 

やっぱチェリボってかっこいいわ賞:TESTAMENT

イントロの「飛び立て 声を翳して〜」後のバリバリライブ感がマジパネェ(IQ低下)。良すぎて思わずフヒヒってなってしまった。


あと、シンフォギア曲って打ち込みドコドコ系からどんどん生っぽい音になって、ライブ映え度が増してきている印象。

 

聞き惚れた賞:Destiny’s Prelude、粋恋

今回はアゲ感やGATE繋がり重視からか、聞かせる枠自体が少ないんですが。

その分、この2曲は「今の水樹奈々は脂乗ってるぜ〜!!!」という濃厚さが良かった。


ところで、粋恋の歌詞はヒメムラサキと比べて1.5人称くらいの距離感になってるのが、役どころと合っててすごいんだよな。ちなみに、HOT BLOOD歌詞あてクイズは見事惨敗しました\(^o^)/

 

お気に入り衣賞:ダンス曲用のマルチヒョウ柄☓黒レース

あの悪女感!手玉に取られたい!!

ちょっと挑発的な感じで、とくにGUILTYに激ハマりだった(FLIGHTのギラギラピンクも良かったけど)。

髪型は初日のハーフアップツインテみたいなほうが良かったかな〜というところ。あのエリアだけバチバチの囲み目メイクっぽく見えるけど、ちょっと自信ないな。

 

解釈が変わった賞:Rock Ride Riot

NEOGENE CREATIONのなかでもとくに好きな1曲ですが、ダンスはまだしもまさかタオル化するとは(あまりに解釈違いすぎて初日はテンションが0になった)。


もともと、「ネガくて根性なしでダメダメだけど、それでも変わらなきゃと思って前を見据える曲」みたいな印象でしたが、タオルをブンブンしている間に盛り上がってきて、開き直りソング化してしまった。いいのか。


逆に、GLORIAはもっと聞かせる方向でもいいけどな〜こればっかりはな〜という気持ち。

 

演出編:で、結局どの辺がGATEなの?


正直、初日は「とっ散らかってんな〜」という印象でた。


フル◯ウスを彷彿とさせるGGBのステージ、登場はハーレー、刑事ものの映像、と思いきやブリッジムービーはSFっぽかったりして。

ストーリー仕立てのZIPANGUがお気に入りだったぶん、とにかく世界観を統一してくれ〜!!という思いが強く……。


でも、LIVE GATEはそのまま門がコンセプトなんですよね。とにかく、門に関するいろんな連想をしていく。そのなかで、楽しそうなもの、やったことがないものを集める。だから、それぞれはバラバラに見えるけど、それば全部LIVE GATEに繋がる要素なんですね。


7日間のアドベントカレンダーをひとつずつ開けるように、そのなかに入っているいろいろな”門”を楽しんでいきたいな〜。

 

企画編:なぜ今LIVE GATEなの?


わたくしも多分に漏れずPOWER GATEという曲が好きで、それは曲自体ももちろんですが、ライブと共に育ってきた歴史を特別強く感じるから。奈々ちゃんも、どこかのMCで「いろんな扉を開けさせてくれた曲」と言っていたような記憶があります。勘違いだったらすまん。


というわけで、ライブタイトルが決まったとき「これはちょっと重すぎるぞ」と思いました。このタイトルを冠するからには、超々スペシャルな何かがあるだろうと。


こうして変な方向にハードルを上げまくったからか、SF仕立て?のブリッジムービーがなんだかチープに思えてしまって。企画コーナーも「大物アーティストとコラボか〜」くらいにしか考えていなかったんですが。

 

2日目に「今まで自分のライブでご一緒したことがないアーティストを招いている」というMCがあったことで、この企画やこのライブ自体が新しい扉のひとつなんだと改めて気付きました。


しかも、音の通り道であるGATEの鍵って、共奏者と一緒に歌うことでしか得られないらしいんですよね。1人では開けられないというか。


今回のライブにあたって、私は奈々ちゃんが開けてきた扉にばかり目がいっていたけど、奈々ちゃんはこれからもどんどん新しい扉を開けていくんですよね。しかも、それにはいろんな人の力が必要で、きっと私もその一員だし、これからもその瞬間を見届け続けたい。


だから、LIVE GATEはベストアルバムという過去に開けた扉たちを振り返りながらも、未来の扉を開けていく時間になるはず。

きっとあっという間に終わってしまうから、一時も目を離さずに、歴史的な7日間に立ち会いたいですね。

S.C. NANA NETファンクラブイベントⅦ 大お疲れさまでした会

2017/11/18、19の2日間開催されましたS.C. NANA NETファンクラブイベントⅦ(以下FCイベ)、大変お疲れさまでした。
両日参加された方におかれましては、計12時間近くSSAにいたことになり
主にトイレの行列などで諸々試されたかと思います。
トイレの列整理係って初めて聞いたぞ!

 

今回は
7回目にちなんだ7コーナー編成だったり
カラオケではなくチェリボ参戦だったり
ベテラン方向に豪華なゲストだったりと
気合が入っていることが見て取れ、
そもそもSSA2日間ってどんなキャパシティだよと思いつつも
会場が大きい分にはまったく困りませんありがとうございました。

 

のべ35,000人近くが来場し、盛り上がったイベント…
として普通に幕を下ろしかけた、2日目6コーナー終了後の話をしましょうか。

 

会場から酸素が消えた

6コーナー終了後は、三嶋プロデューサー(以下三嶋P)が「次はライブコーナーです」と紹介してハケた後、MCなしで奈々ちゃんとチェリボがステージへ…という流れ。

 

ところが、暗転後もなかなか7コーナーが始まらず、一度ハケたはずの三嶋Pが再度登壇。
その後も、準備に時間がかかっている旨何度か説明があった後、しばらくしてその内容が変更に。

三嶋Pから「直前の障害物競走でがんばり過ぎてしまい、体調不良で声が出しづらくなっている」という説明がされると、会場から一瞬で酸素が消えたかのような苦しさが立ち込めました。

 

それでも、もし7コーナーが再開されたときは本当に問題ないんだろうと信じられたのは、三嶋P自身がFLIGHTの二の舞いには絶対にしないと何度も断言してくれたからこそ。
また、適宜体調の変化が報告されたことで、完全NGではなく回復が見込める状態だとわかったのも、明るい材料でしたね。

あのときの表情は、MCではなくプロデューサーの顔だったのではないでしょうか。

 

三嶋章夫氏のはなし

取締役という肩書きを背負いながらSSAでMCをこなし、足つぼマットにも負けない強さでファンに親しまれている三嶋P。

 

今回のイベントでは、奈々ちゃんが回復するまでの時間を稼ぐ必要に迫られるも、
50点ほどのプレゼントを急遽手配・抽選するという離れ業を披露。

時間にすると1時間程度の6.5コーナーでしたが、
その短い間でも、奈々ちゃんとそのファンのためにやれることをひとつでも多く探し続けて、それをがむしゃらにやってきた人なんだろうなと痛感しました。

ウケの良かった足つぼマットも、急遽買い取りでしょうし。

もちろん、イベントの時間をもたせるためではありますが、
長引く分最後までいられなくなってしまう遠征勢への埋め合わせも兼ねて
できるだけファンに還元できる方法を突発的な状況下で模索してくれたことには
本当にありがとうと言いたいですね
(そして郵送祭りになるFCスタッフにはがんばってほしい)。

 

そして、三嶋Pのリクエストにステージ裏で応え続けるスタッフ諸氏もお疲れさまでした。

ライブ後の感想でも毎回チーム水樹すごいっすねしか言ってなくて能が無いのですが、すごいと感じたことは都度表現していかないといけないですからね。

 

のべ35,000人のファンのはなし

主語ならぬ目的語クソデカ案件で申し訳ないのですが。

いくら大丈夫ですと言われても、ハイそうですかとファンのテンションが生き返るかというとそうでもないもので。

そんななかで、

会場のBGMにきっちり盛り上がっていくところ
登場直前には、ちゃんと奈々コールが起こるところ
プレゼントコーナーが長くても一喜一憂するところ
低確率すぎる300lv当選時の盛り上がり

といったある種の律儀さと温かさを持った空気ができたのは、ファンクラブイベントとしては「いい話」にしても良いのではないでしょうか。

ステージに戻ってきてほしいような
もう安静にしていてほしいようななかで
再登場を待ちわびる気持ちやイベントを楽しんでいる気持ちが示せたのは、「絶対に無理はさせないから、信じて待っていて」と何度も言った三嶋Pにとっても、良い材料になったはず。

サポーターズクラブを掲げるだけあって、
サッカーでいう12人目の選手的なサポートができたと胸を張れるいい空気でした。

 

2日間をふりかえって

もちろん、体調不良によるアクシデントなんかないほうが良いに決まっているんです。
万が一元気で戻ってきてくれなかったら、いまだに立ち直れていないに違いない。

それでも、7コーナー後のMCで「こういうこともあるんだと勉強になりました」と言った奈々ちゃんの前向きさを、少しくらい見習ってもいいと思うんです。

結果的に、あくまで結果的に、
ファンもチーム水樹も己の練度を見せつけあい、お互いに支え合った心に残るイベントになったと私は思います。
みなさん本当にお疲れさまでした!


次のFCイベでは、8を横にして∞にまつわる人がゲストに…誰かな…。

The view from the audience was preciously "Beautiful" ─ミュージカル『ビューティフル』初日に行ってきました

ミュージカル『ビューティフル』初日公演@帝国劇場お疲れさまでした。正直想像を遥かに超えるパワーで、いつものライブとはまた違う「スゴいもの見た感」でいっぱいです。

 

そこで、舞台女優・水樹奈々を目撃した今「ビューティフルここがスゴかったんですよポイント」を書き留めておきます。

 

※自伝モノなのでネタバレも何もないのですが、演出や構成に言及しているので未見の方はご注意ください。

 

(1)時をかける舞台女優


この物語は、16歳のキャロル・キングがドニー・カーシュナーというプロデューサーに売り込みに行くシーンから始まり、最後はカーネギーホールでのコンサートで幕を下ろします。コンサートは1971年に実施されたもので、当時キャロルは29歳。劇中で13年経過していることになります。
しかも、イントロとしてカーネギーホールのコンサートを前にして?葛藤するシーンが挟まっているので、開幕すぐに人生経験豊富な29歳から若々しい16歳にギアチェンジが必要です。

 

29歳キャロルがハケた後、「今急いで早替えしてるんだろうな~」などとニヤニヤしながら再登場を待っていたら、おぼこいスクールガールに変身したので度肝を抜かれました(一瞬誰だかわからなかった)。
声優の特徴のひとつとして「年齢に縛られない演技ができる」ことがよく挙げられますが、小学生からOLまで幅広く経験していることがプラスに働いたのではないでしょうか。声が若いだけでなく、動きもちゃんとピチピチしていたので、いよいよ16歳感が高まっていました。17歳よりさらに若い。

 

(2)負の感情表現のパワーアップ


あくまで相対的な話なのですが、奈々ちゃんは「明るさ、優しさ、謙虚さ、真面目さ」方面と比べると「怒り、憎しみ、悔しさ、嫉妬」方面の表現がやや弱い(というか人の良さが透けがち)と感じていました。
その点で一皮剥けたのがクロスアンジュだったと思うのですが、とはいえアンジュのような役がそうホイホイ来る訳でもなく。せっかく良い側面を見つけたのにもったいないな......と思っていた矢先、まさかパワーアップした姿をミュージカルで目撃できるとは思いませんでした。

 

ミュージカルなので当然といえば当然ですが、劇中歌には登場人物の感情が織り込まれます。第1幕の最後に登場した"One Fine Day"は、ジェリー(キャロルの夫)からの愛情を受けるジャネール(シンガー)と、堂々とオレ不倫します宣言をされたキャロルが対照的に歌う曲。「君と離れたくはないけど、ジャネールとも一緒にいたいんだ!」という完全に舐め腐ったジェリーの宣言を受けたキャロルの歌唱は、ジャネールから引き継いだ出だしこそ動揺して弱々しいものの、曲のクライマックスに向けて失望と怒りを増幅させ、最後は怨嗟のような台詞を吐き捨てて第1幕が終わります。

 

このシャットアウトのような幕切れは衝撃的で、頭を殴られたような余韻がしばらく消えませんでした。そして、奈々ちゃんからこんな恐ろしい声が聞けるとは思っていなかったので、正直戦慄しました。

 

(3)最小限の情報で最大限の表現を

 

最近芝居を見ていないという予防線を張りつつですが、ビューティフルは(公演時間に比して)台詞量がかなり少ないのではないでしょうか。というのも、キャロルの人生を振り返りつつ、節目節目でヒット曲をいかに入れるかが見どころのひとつなので、日常芝居は最低限に留めたほうが良い訳です。そうなると、ミュージカルでよく見る「登場人物AとBがやり取り→Aハケる→残されたB、独白からの歌唱→シーン転換」といったフォーマットなんかをやっている時間がありません。あくまで「キャロルの人生のこのタイミングでこんな出来事がありました」というラインを辿っていくことになります(もちろん、メリハリをつけるために重要なシーンは肉付けされているはずですが)。

 

ということは、一般的なミュージカル以上に、歌でいかに感情を表現するかという点が重要になってきます。さらに、(1)で言及したように、年齢による変化があること、また短い時間で目まぐるしく環境が変わる人生を辿ることから、開幕~終幕までにかなり変化をつけて歌わないと、ストーリー自体が弱まりかねません。

 

(2)の "One Fine Day"までの曲は、若いときならではの軽やかさであったり、ジェリーとのラブラブ感や幸せ全開っぷりが伝わる歌い方がメイン。 "One Fine Day"を挟み、第2幕からは次第に厚みを増してきます。また、第2幕もジュリー決別前後では明らかに歌い方が変わっており(決別前はそもそも曲数があまりないかも)、とくに自身のアルバム制作を機に過去を乗り越えていく"Natural Woman"では、完全に覚悟が決まっている状態。ここまで来ると歌以前に音圧が凄まじく、波というより面で歌が迫ってくる感覚でした。反対に、 観客に聴かせるためでなく、友人に贈る歌である "You've Got a friend"は優しさに溢れていて、自然体で歌う奈々ちゃんを見て、思わず笑顔に。

 

クライマックスの"Beautiful"は、ピアノに向かう足取りからして輝かしく、シンガーソングライターとしての頂点に登りつめた喜びと、道のりの苦しさを思わせる厚さと豊かさでした。イントロでほぼ同じシーンを見せられているので、その対比が最高の瞬間をより盛り上げてくれます。 個人的には、湯川先生の訳詞と奈々ちゃんのキャラクターが相まって、キャロルという人間を作り上げた全ての人に感謝するという側面を強く感じました。

 

 

まだ初日公演が終わったばかりの『ビューティフル』。まだ何公演分かチケットを持っているので、リピートで見に行くつもりです。とくに、「ミュージカルは突然歌い出すのが苦手だし......」と尻込みしている方にこそ見て欲しいですね(シンガーソングライターの話ということもあって、無理矢理曲へ繋いだ感が少ない)。

ステージでの姿があまりにもハマっていて、なんなら「もともと舞台女優でしたけど?」くらいの貫録がありました。そのぶん、もっと早い段階でミュージカルに挑戦しても良かったのでは……と思わなくもないのですが、やはり今だからこそできること、ご縁があったからこそ実現したこともあると思うので、そこは今回 『ビューティフル』 を見られた幸せを大事に噛み締めます。

最高のステージをつくってくれたすべての人と、
「声優・水樹奈々」「アーティスト・水樹奈々」につづいて、「舞台女優・水樹奈々」との出会えた幸運に感謝を。

LIVE ZIPANGU 2017 演出こねこね スタジアム編

LIVE ZIPANGU 2017 埼玉 初日お疲れさまでした。

今までは初めて参加する冬ツアーたのしー!って感じでしたが、ここに来て「チーム水樹、このツアーに賭け過ぎでは?」というくらいパワーを感じております。

 

さてさて、アリーナとホールモードで終わりかと思いきや…スタジアムモードで思った以上に変更点があったり、今になって気付いたことがあったりで、改めて感じたことなどまとめていこうかと。

 

◆あなたこそがチェリボナイト 〜渡辺格さんおかえりなさい〜

いきなり演出の話じゃなくて恐縮ですが、イタルビッチ復活お待ちしてましたありがとうございました。
惜しまれつつもしばしお休み期間だった格さんが本編ラストにて参戦。しかも復活の狼煙となる曲がミュステリオン……MCなしでいきなりモニターに映ったため、絶叫の後曲の前半を棒に振りました。
その次の枠はDon't be longかと思いきや、意外にも初出のSCARLET KNIGHT

 

格さんのことじゃん……。

 

と妄想しながら聞いていましたが(こじつけ過激派)、モニターに格さんの名前が出たとき赤文字だったことに気づいてダメでした。
※ちなみに、ヒメムラサキから登場のアニキは紫文字。

 

しかし、Twitterでも「早く奈々ちゃんの隣でギターを弾きたい」とおっしゃっていた格さんへの回答が「導いて僕を…Endless light」とは……。

 

格さん完全復活(フル参戦)の日を心待ちにしています。出雲大社で実現しちゃうかもしれませんが。

 

◆花のはなし 〜蓮花に生まれ曼珠沙華へ〜

今度こそ演出の話を。

 

アリーナモードの時から花を上手く使ってるという印象はありましたが、スタジアムモードではそれがより顕著になりました。

 

まさか、オープニングを変えてくるとは。


アリーナモードでは椿のような花弁厚めの花だったのが、なんと蓮花に。何層にも渡る花が開いていくのは、それだけで見応えがありました。

 

わざわざ蓮花に変わったからにはいろいろと考えたくなるわけですが、なんといっても蓮花は仏教における象徴的な花。調べてみても、多彩な意味合いがあるようです。

 

よく聞くのは「泥中の蓮華」ですね。泥のような環境でも染まらず美しく咲く様子は、俗世を越えた存在として捉えられてきたようです。逆に、泥の中でしか咲かないそうなので、そうやって12年に一度のチャンスまで耐えてきた鳥さんの登場(=御所様との再会)としては、ピッタリではないかと。

 

また「因果倶時(いんがぐじ)」という仏法があるそうで。これは、蓮は花と実が同時に成ることから、原因と結果は常に一致するもの…という考え方だそうです。

 

めちゃくちゃバジリスクを感じる……。

 

バジリスクって1話を見たら、弦之介様と朧ちゃんの結末がわかるじゃないですか。あの運命に抗えず絡め取られていく感じがとてもいい。
そういや運命に抗おうアニメもCV.鳥海さんが

 

あとはシンプルに、仏教と開花というシンボルが揃うと、生まれ変わりを感じますよね。鳥から人になったという…おやゆび姫じゃないですが。

 

ここで時系列がとんで、ヒメムラサキのラストへ。
※ヒメムラサキの演出は次の段落で

 

最後、奈々ちゃんの背負っている翼の後ろのスクリーンが黄色〜赤色の花火のようになるんですね。
正面から見ていないのでわからないのですが、あれは曼珠沙華(もしくは彼岸花)のイメージではないでしょうか。
とくに、黄色い筋の末端だけ赤く色づいていたように見えたのがそれっぽいなと。

 

曼珠沙華は、サンスクリット語で「天上の花」「天界に咲く花」という意味だそう。
…なんかもうこれだけでイメージピッタリって感じがする!!!
ちなみに、仏教では赤い花弁が舞うのは良いことが起きる兆しということらしく。
映像でも、舞のときに舞っていた(紛らわしいな)花弁が再会を果たした後には止んでいたような。

 

WILD EYESの蓮花で始まり、 ヒメムラサキの曼珠沙華で終わるのも、なかなかステキではないかと。
おななどりの願いが叶った時間が一瞬だったように、花の命も短いですからね……。でも、そこを散って終わらせないのがよいのです。

 

仏教と花に関してはこちらの2記事を参考にしました。

視点・論点 「植物と仏教との関係」:解説委員室ブログ

彼岸花(曼珠沙華)が妖しいワケ [暮らしの歳時記] All About

 

◆鳥の行く先 ~おななどりの幸せを願って~

アリーナモードやホールモードでは「御所様と念願の再会を果たすも、年神様の力を死にゆく御所様に渡してしまったおななどり。元の鳥の姿に戻ると、1枚の羽を残して飛び去るのでした」というところからヒメムラサキが始まり、その後のことは歌でしか語られませんでした。

 

しかし、スタジアムモードでは翼の後ろにスクリーンがつき、曲に合わせた映像が流れていました。

正直、最初は過剰演出なのではとも思いましたが(ヒメムラサキの親和性が完璧なので)、これが思いの外良かった。

 

まず、映像は時間経過によって変わり、1番と2番でも違っていたような気がします。
最初は、翼から光が溢れていくイメージ(こぼれるでもあふれるでも良し)。これは「鶴の恩返しでは自分の羽を抜いて機を織っていた話」だったり、飛び立つ鳥が羽を落としていく様子だったりが思い浮かびました。
ただ、明らかに羽とわかる映像が2番以降で出てきたので、むしろ魔法が解けていくイメージかも。
実際には、御所様が追いかけたときにはもう契約が切れているわけですが、要するに「舞浜駅についても名残惜しくてミッキー耳つけちゃう」的な魔法のことです。

 

そんななかで個人的にお気に入りなのが「溢れた光の粒が、落ちるだけではなく空に上っていく」ところ。
これを落ちっぱなしにすると、羽は抜けるわ魔法は解けるわでどんどん悲しくなってきちゃうんですよね。
ところが、溢れた光の粒が空に上っていくことで、御所様への思いが昇華されるような、一瞬でも再会できた喜びが溢れてくるような、そんな切なくも優しい方向に持っていけているのでは。
しかも、思いとともに天に向かって羽ばたいていってからの天上の花なので、締めとしてはキレイかと思いますがいかがでしょうか。

 

◆番外編 ~御所様について考えてみる~

奈々ちゃんを見逃すまい!と思っているせいか、意外に御所様をしっかり見ていなかったことに11公演目で気づきました。
ごめんよ御所様。せっかくなので、御所様についても少し触れておこうかと。

 

出番の多くない御所様ではありますが、映像で見るかぎり、拾った羽を肌身離さず持っています。
拾ってから籠の中で倒れるまで、ずっと手に持っています。

 

あの羽、ひいては鳥さんは、御所様にとっての未練なんです。
死が近づいた病床で羽を眺めるっていうのは、そういうことです。
だから、鳥さんの舞を見て未練がなくなると成仏しちゃうわけですね。

 

そんな羽に触れた鳥さんには、御所様の思いが伝わっているといいなあ。
ずっと傍に置いてくれていて、死ぬ間際まで覚えていてくれたことを感じ取ってからの「ようやくお逢いできました」なら、もっと幸せな再会だったと言えそうな気がします。

 

SSA 1日目の余韻に背中を押され、またモリモリ妄想してしまいました。
明日もスペシャルなステージが待っているかと思うと今から楽しみです。

朝日カルチャーセンター「僕はこんな作品を見てきた。─1995年とメディアの変遷」メモ

2/25に朝日カルチャーセンターで開講された講座に参加してきました。
これで最終回かと思うと大変名残惜しいですが、満員御礼ということですし続報を待ちましょう。

 

例によってメモを元に作文していますので、こんなことあったよ程度で何卒。

 

※以下敬称略
※各見出しは配布されたレジュメを参考にしていますが、当てはまりきらなかったので、少しアレンジした見出しを半ば無理矢理入れています。話の内容が切り替わったタイミングで入れるようにしてはいますが、見出しの親子関係等レジュメのとおりではありません。ご了承を。

 

◆あいさつ

幾原:3回目ですし、今日もうまく話せたらいいなと思っています。
藤津:ついに90年代ですね。
幾原:うまく話せるか、一番自信がないなあ……。
藤津:第2回までは映画や小説が中心でしたが、幾原監督ご自身がそういった作品を一番見ていない時期ということですので、今回は切り口を替えて、メディアの変遷といった内容を中心にお話したいと思います。

 

バブル経済の終わり

上田:幾原監督は1986年に東映に入社されているので、1990年はバリバリ働かれているころですね。その頃の暮らしというのは?

幾原:1990年は、業界4年目でディレクターになった年でした。
忙しさの質が変わり、自分の中にあるものを表現できるところまで来たかな、というあたり。

藤津:朝は早かったんですか?

幾原:制作は基本10~11時にスタジオ入りでしたが、朝が苦手なので……。
午前中にはスタジオ入りしてましたね。

ディレクターになれたといっても、任され度は「試しにやってみる?」程度で。
でもうれしかったですよ。

それまでは、上京するための口実としてアニメをやってるみたいなところがあって。
どうしてもアニメをやるんだ!といった情熱はなかったと思いますね。フラフラしてるというか。

それが(ディレクターになって)やれそうだとなって、これが自分のやるべき仕事だったのかと考え始めたんです。

その時までは、僕はメディアの受け手でしたが、発信側になったんです。

ディレクターになる前もTV画面に名前は出ていましたが、意識はあまりなくて。

今思うと、人生を総括したり、これまで感じていたものへのリスペクトを感じる時間が多かったかな。
メディアから与えてもらった感性とは、一体どういったものだったのか?
ストーリーや物語を追体験することはあったけど、それをどう感じるかということですね。

TVに名前が出たことはうれしかったですよ。
それまでは、ちょっと頭でっかちで、上から目線なところがあったかな。謙虚じゃなかったというか。そのおかげで、いろんな人に可愛がられました(笑

ただ、アニメの仕事をやりながらも違和感があって。それをディレクターになった時に回収しようとしたんです。まあ、できなかったんですが(笑

つまり、90年代は自分が送り手になって、メディア体験を総括するようになったんですね。

 

藤津:当時、TVってなんだろうといったことを考えましたか? 作品をどういった人に楽しんでほしい、など。

幾原:僕の印象ですが、90年代はまだ業界が狭くて、情報もあまりなかったんです。
アニメ雑誌をめくって、どういう作品があるのかやっと知るみたいな。
世間でも、アニメが流行ってるとはいうものの、見ていないんですよね。

そういう意味では、まだ実験できた時代だったんです。
僕らの世代がどっと出てきたところで。東映でも正規雇用が10年くらいなくて、その後に僕らが入ったので。

藤津:東映の世代交代ですね。

 

上田:当時、他のスタジオなど横のつながりはありましたか?

幾原:アニメ雑誌などで、これからの若い世代をあおりはしたけど……。
自分たちが食うので精一杯。なので、(言っていることと)やってることとのギャップがありましたね。

上田:やはりお忙しかったですか? ご帰宅時間など……。

幾原:帰るのは夜半すぎでしたね。なので、普通のバブル時代の若者の楽しみはなかった……。

 

上田:バブルの空気を感じるときはありましたか?

幾原:上京した時は渋谷が流行ってて。逆に、東映の池袋はダサかった印象がありますね~。
今はかなり逆転してますよ! かなり!

IWGPがなかったですからね。かなりちがいますよ!  あれができてからだいぶ変わって、若い人の町になりましたね。

藤津:街にカラーがある、という点はインパクトがありました?

幾原:いろんな国や街を見てきましたが、東京ほど街にカラーがあるところはない!
都市の表情が違って、歴史があるんです。
たとえば、浅草や銀座は戦前。新宿は戦後、渋谷は70年代以降の街ですよね。
そういう歴史がおもしろい。

以前、新宿ピカデリーのある通りのビルで打ち合わせがあって。エレベーターに乗ったんですが、違う階で降りちゃったんです。そうしたら、店のドアがなくていきなり店の中で。みんなカードを持って歌ってるんです。歌声喫茶だったんですよね。

 

◆メディアの変遷

ワープロとパーソナルコンピュータ

藤津:PCによるコミュニケーションテクノロジーの話を伺おうかと。昔は文通などが一般的でしたが、幾原監督は筆まめでした?

幾原:うーん。あんまり投書とかはしてないですね。

藤津:作品の応募くらい。

幾原:しとけばよかったですね。
ただ、ワープロは80年代には持ってましたよ。東映にはMacユーザーもいましたし。

上田:何用でしたか?

幾原:企画書とか、小説めいたものとかを書いてました。

上田:小説など、そういう方向も?

幾原:当時はストレスがあってね(笑
ただ、今思うと、書いててよかったなと。表には出なかったものの、なにかをアウトプットするということを(しておいてよかった)。

上田:アニメのように絵にはされなかったですか?

幾原:アニメーターに(小説の)絵を書かせてましたよ。今でもノーギャラだったと怒られてる(笑
ストーリーに絵をつけてくれみたいな感じで依頼するんです。そうすると絵があがってきて、この人はこう感じるんだなって。

 

藤津:ワープロの機種は?

幾原:(当時シェアが大きかった)シャープかも。空き巣に入られて、2、3台回買い直してて。ショックでした……。その次はMacを買いましたね。

藤津:それまでは手書きだったわけですよね?

幾原:だから画期的でした! でも、ひらがなしか入力できなかったんですよね。
PCを使うようになると、それは疲れるよと言われて。ローマ字入力を練習しました。「北斗の拳」のタイピングソフトで何度も死んで。

藤津:流行りましたね~。

幾原:最後は汎用性でPCに行きましたね。ウテナが終わるくらいにMacbookを買って。インターネットもその時に知りました。かなり変わりましたね。

 

◆コミュニケーションの変化

●インターネット

上田:インターネットでは何をされました?

幾原:1998年くらいなので、ジオシティとかニフティとかかな。
同人誌や二次創作の世界がネットに登場して。いきなり二次創作を目にするようになったんです。

藤津:Yahoo!検索でファンアートが……。

幾原:当時、二次創作はコミケとか行かないと見られなかったから。えっ! みたいな。

 

藤津:インターネットで、何が一番変わったと思います?

幾原:そうですね……。俗っぽいことを言いますが、ネットリテラシー耐性がなくて。
たとえば、有名な人が炎上したりするのか、こんな有名な人がこんなこと言うんだ……みたいな。そして、そこに突然の飛び蹴りが。

メディアをつくっていると、気づいたら傲慢になっていて。
一方的に情報を下ろそうとするんです。
そういった人たちがネットに情報を下ろしていこうとすることへのカウンターが、メディアの変遷にともなってあったのでは。

藤津:上から下に下ろすものではなくなっていったんですね。

幾原:本当は、僕の世代はわからないのかもしれない。
若い人が、価値やサクセスをどう捉えているのかということが。とくにサクセスですね。

藤津:ここ20年で変わってきていますかね。

幾原:俗っぽいことを言うと、フロンティアがなかったですよね。
若い人には閉ざされていたんです。
よく、バブルにはチャンスがあったみたいに言われますが、僕なんか酷い目に遭ってますからね!

藤津:恩恵があったのは、ホワイトカラーのヤングサラリーマンくらいじゃないでしょうか……。

幾原:若い人に厳しかったですよね。「愛という名のもとに」とか。
先人に開拓され尽くされてフロンティアがなかったから、ネットはフロンティアになったのかも。当時はね。

運動が終わってからバブルまでの間、若い人たちは世間と闘争する姿を見せないんです。恩恵を受けるように見える。

僕は金八先生世代で、1期のときちょうど中3でした。
金八先生の2期で「腐ったみかん」というストーリーがあるじゃないですか、
あれは、運動を80年代のドラマで再現してるんですよね。若い人にはこうであってほしいという幻想です。
僕らの時代は学生が暴れたりしていたから、荒れ方に希望をもっちゃったんだよね。
ところが、暴れそうで暴れない。若い人のドグマは、90年代中盤まで押さえられているんです。

バブルが崩壊して就職氷河期になって、これは僕の想像ですが、若い人にとっては心の時代になったんじゃないかと。

バブルの時はお金でなく愛だと言うわけです。ユーミンなんかはそうですね。
お金なくなったら、心だと言われるようになったのかなと。そこで登場したのがインターネットでは。

心(の問題)が暴力として現れたのが、90年代の事件。心の問題は80年代にはすでによく言われていましたが、暴力として現れることを想定していなかったんです。心を置いてきたんですね。

 

藤津:90年代には終末ブームもありました。公害などにより「人間はダメだ」という意識が高まりましたし、それまでの豊かさに対するカウンター(という側面)もありそうですね。

幾原:ヤマトが74年、日本沈没と(第1次)オイルショックが73年。みんなショックを受けたました。失業の話を近くで聞いたりと、急に暗い感じになりましたね。

藤津:バブル崩壊とは違う陰りがありました。

幾原:運動の世代は70年代に就職するんですが、そこから10年経って彼らがカルチャーの発信者になるんですね。

藤津:ほぼ団塊の世代ですね。糸井重里さんとか。

幾原:その人達が、今のメディアのイメージをつくったんじゃないかな。

 


ポケットベル

藤津:1996年にポケットベルが最盛期をむかえます。ものすごく流行りましたね。

幾原:番号でメッセージができるらしいですね。

上田:0840でおはよう、とかですね。

藤津:あのあたりから、コミュニケーションの楽しみ方が変わったんでしょうか。

上田:ベル友とかありましたね。ランダムな番号に連絡をして、そこからやり取りが始まって……。

幾原:ポケベルでだけ? 実際に会うの?

上田:会うらしいですよ。

幾原:やっときゃよかった……。

藤津:幾原監督は使ってなかったんですか?

幾原:使ってなかったですね。逆に、携帯電話が早くて。それも1996年にやめちゃいましたが。
ウテナの準備をしているときですね。携帯をやめてすぐにiモードが出て。

藤津:便利でした?

幾原:すぐ連絡がつくのは便利でしたが、電話代は高くて……。

上田:なぜ携帯をやめられたんですか?

幾原:飽きましたね。そんなに連絡とっても……って。
それから10年くらい持ってなかったです。00年代は持ってなかったんじゃないかな。
ただ、ピングドラムをやろうってなったときに、ないと困ると言われて。
ドコモでガラケーを買ったんですが、知り合いでiPhoneを持ってるやつがいて。3ヶ月で解約して、スマホiPhone)に。iPhoneには驚きましたね~。

上田:どこに驚かれました?

幾原:UIですね。
あとはアプリの概念。PCにもアプリケーションはありましたが、やはりUIが違うしね。

藤津:そのインパクトが「ユリ熊嵐」にも生きているんですね。

 

◆1995年に起きたこと

地下鉄サリン事件

藤津:先ほど心の問題というお話が出ましたが、95年には阪神淡路大震災地下鉄サリン事件という大きな2つの事件がありました。
幾原監督は、地下鉄サリン事件はどこで知りましたか?

幾原監督:スタジオに行ったら、みんながニュースを見ていて。僕らもよく使う電車だったし、えっ!てなりましたね。すごい事件が起きてると。

ただ、予兆はありましたね。不穏なムードというか。80年代から西東京あたりでは見かけていましたが、ジョークとして流されていたんです。
今思うと、心が漂流していたのかな。

藤津:当時は雑誌などでも取材されてましたね。

幾原:メディアも伝え方に困っていたし、そう(事件に)なるとは思ってなかった。

藤津:僕も、学食前で空中浮遊すると言っている人を見たことがあります。

幾原:日本沈没ノストラダムスといったオカルトブームがありました。
そして、そういうカルチャーの影響を隠さないのが同世代っぽいですね。
逆に、カルチャーをつくってきたひとは一斉に口をつぐんでしまう。

どうリアクションしていいかわからなかったし、語れなかったんです。
アニメなどを巻き込んだ事件もあったので、そういうムードだった。

藤津:若い人の漂流ですね。「貧病争」をきっかけに新興宗教に入るといいますが、この時代はそうではなかったですね。

幾原:僕の印象では、新興宗教はコミュニティから溢れた人の救済だった。
一方で、新新宗教は、見えているコミュニティから溢れた人の心の救済だと思うんです。
若い人の流れに乗れない人をピックアップしていって。
乗れてないという意味では、僕の周囲の人が流されていてもおかしくなかった。十分ありえたんです。

 

藤津:幾原監督の宗教観、とくに宗教の役割などはどうお考えですか?

幾原:世代的なものだと思うんですが、宗教へのネガティブイメージが植え付けられていて。
世界では異例ですが、日本は多くの人が無宗教ですよね。
僕の印象では、景気が良い時は、国家という枠組みの中で、会社や学校というコミュニティにいるから落ち着くんです。

運動の時代は家長制度を攻撃していましたが、その実態は経済だったんです。
その強固な経済のほころびが心の問題だったのかも。

当時は、コミュニティからこぼれた人を弱者とするムードだったので、(新新宗教を?)信じてると言えないムードがあった。

ネガティブにいうと、日本人は宗教ではなく拝金主義だったんですよね。
それが、若い人にとって「フロンティアがないという絶望感」に結び付くのかもしれません。

 

藤津:今回の講座では監督作品には触れないということになっていますが、これだけはどうしても触れておきたくて……ピングドラムで「95年」に触れなきゃと思われた理由はなんでしょうか? 言える範囲でいいですので。お金や家長制度、弱者による運動がどうしてこうなってしまったのか……。

幾原:ひとつは、自分と近いところから事件の話を聞いたことがあって、ショックだったんです。事件が実は自分と近いものだったんだと。見ないふりをして生きてもいけたけど、自分はその怖さを知ってしまった。そこで、同世代としてそのことを少しでもメディアで形に残せるなら、語ったほうがよいと思ったんです。

藤津:メディアの役割ですよね。(ピングドラム)当時の幾原監督へのインタビューでも、事件が身近だったというお話を伺いました。

幾原:みんな身近なのに黙っているんです。自分が言わないと、というか(黙っていることが)気になったんです。このタイミングで言わないと、一生言わないと思った。
団塊の運動の世代にしか言えないことがあるし、言える理由があるんです。

たとえば、あさま山荘事件について僕らが語っても、それはフィクションじゃないですか。
それは悪いことではないけど、その世代でないと見えないディテールはあるんです。

 

藤津:村上春樹アンダーグラウンド」は、地下鉄サリン事件の被害者にインタビューしてつくられた本です(要約)。幾原監督も読まれましたか?

幾原:読んで驚きました。
村上春樹も、自らが作家になった意味を考えたんじゃないかな。
実は自分の影響下にあったことなら恐ろしいと感じただろうし。
同世代的な意識はあったんだと思います。

藤津:自分の仕事の振り返りですね。

幾原:総括せざるを得ないです。

上田:この本では、インタビューを受けた人たちに感情移入して書かれています。村上春樹も、職業作家としてそれを世に出したいと。

幾原:同時代にメディアにいた人としては、触れておきたいですよね。

上田:ニュースと実像とのギャップを感じます。

幾原:それがこの本の狙いですよね。
新聞や雑誌では「被害者A」というように名前が伏せられていて、それ以上じゃないわけです。
でも、そこにあえて踏み込む。その人のディテールへ。
そして、その次代のバックグラウンドで語られるんです。
作家によるフィクションの色付けも含めて。

上田:ディテールが重要なんですよね。「アンダーグラウンド」では、インタビューを受けた人たちの背景に多くの文字量が割かれていて、その人の顔が見えてきます。

幾原:これは僕の想像ですが、メディア人として、メディアの罪を感じんじゃないかな。
メディアはピンポイントの情報しか出してこない。心の部分が抜け続けているんです。
そういた状況で事件が語られ続けることへの異議を感じます。
1人の人間として語られるように、ということですね。

傲慢な言い方ですが、メディアによって想像力が欠如してしまったのかもしれません。
個体ではなく個人として伝えるというメディアの役割放棄を、自ら感じたんですね。

 

上田:TVや新聞など、媒体ごとの役割も違ってくると思います。

幾原:時代によっても意味が違ってきますね。
たとえば、TVが生まれる前は、早い情報源はラジオでした。
雑な言い方をすると、TVが想像力を奪ったのかも。新聞だと半日待つから、その間にいろいろと想像しますよね。

藤津:TVには中継という強みがありますね。

幾原:欽ちゃんが「お笑いのライバルはあさま山荘」と言っていたかと思いますが、みんなお笑いではなくて事件が見たいんですよね。

注)ソースはこちら:http://www.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=selection016


阪神淡路大震災


藤津:もうひとつの大きな事件が阪神淡路大震災でした。甚大な被害の一方で、ボランティアが身近になるきっかけにもなったのは「心の時代」なのかもしれません(要約)。
当時のことは覚えていらっしゃいますか?

幾原:実家から電話がかかってきましたね。TVをつけたらすごいことになっていて。

藤津:人災ではなく天災ですが、世の中的な節目になりました。

幾原:ビル倒壊や高速転倒という現実を見ましたね。
オイルショックAKIRA、MAD MAX、北斗の拳といった作品で描かれたフィクション、ビルがなぎ倒されたり高速道路が倒れたりという破壊が、1995年で本当に起きてしまった。
世界リセットの夢が終わったんです。ナウシカなんかもそうですね。
世界再生という幻想が終わりました。

藤津:現実はロマンチックではなかったですね。

幾原:ナウシカとかいないしね(笑

藤津:そこから、経済もうまくいかず、混沌とした20年が始まっていますが(要約)。

幾原:若い人は、経済がうまくいってないと思っていないですよ。上の世代が言う「うまくいっていた」ときを知らないから。
逆に、僕らに見えていないフロンティアが見えているのかもしれない。

 

◆90年代の村上龍村上春樹

村上龍希望の国エクソダス

上田:村上龍希望の国エクソダス」の話を。1998年から2000年にかけて連載された小説です。

幾原:携帯を起点にした若い人の連動ですよね。メールコミュニティから革命を起こすという話。村上龍も「いよいよ(運動が)きた!」と思ったんじゃないかな。夢をフィクションに託して。

藤津:幾原監督は楽しく読まれましたか?

幾原:業界人で話題になりましたね。「来た!」と。インスパイアされた映画もあったんじゃないかな。

藤津:それは先ほどの「腐ったみかん」的な思いなわけですよね。

幾原:夢を見たんですね。

藤津:しかし現実は……。

幾原:2ちゃんねるでした。

藤津:皮肉ですね……。

幾原:ソーシャル上での連帯が、10年経って生まれてきたところです。

上田:村上龍は「希望の国エクソダス」で希望はあっても欲望がない中学生を描いています。語り手は30代のライターなんですが、欲望がない中学生を理解できない。さらに、中学生たちが姥捨て山を作り始めると、恐怖を感じています。

幾原:要するに、よくわからないけど運動には共感できる。世代の断絶はあっても共鳴できるということですね。

ちなみに、この小説には「オールドテロリスト」という続編があります。
今度は真逆の話で、老人が連帯して日本を沈没させるという話で。しかもその方法がアイドルのライブ会場に火をつけるとか(笑

藤津:時代風俗ですね~。「愛と幻想のファシズム」でもそうですが、村上龍さんは世の中がガラッと変わることを望んでるんでしょうか?

幾原:フィクションのガス抜き効果でしょうね。溜まったカオスやドグマに針をぷすりと指してガス抜きをすることは、あったほうがいいんです。

藤津:夢を書いてるでしょうか? 運動がうまくいかなくても、信じているのでは……。

幾原:村上春樹は、村上龍へのコンプレックスはありますよね。それは、時事ネタへのタイムリーな着眼点。村上春樹も、その影響は受けているかなと思います。

 

◆90年代のカルチャー


藤津:今まで、運動の波が引いたときの「心」のお話を伺ってきました。一方で、カルチャーはどうなってきたんでしょうか?

幾原:僕はTV世代だったんですよね。東京タワーが完成した「三丁目の夕日」世代です。
テレビが街頭ではなく、家庭のものになりました。

これは想像ですが、(この時代の)カルチャーをつくったのは、団塊の世代じゃないでしょうか。主流の映像メディアが映画だった時代は、若い世代がつくっていましたが。

「アングラ」や「サブカルチャー」って、隠語じゃないですか。
元々は、単なる演劇や運動の装置だったものが、運動がなくなったことで、演劇の見え方だけが継承された。その「わかってると通だね」みたいなポイントを、メディアが「アングラ」や「サブカルチャー」と呼び始めたんです。

そういう意味では、ポピュラーもアングラも作ったのは同じ世代じゃないですかね。

藤津:(主要なメディアが?)インターネットになった今は、そういう意識はありますか?

幾原:うーん……TVというメディアで遊ぼうとした人、野坂昭如さんとかですね、がやったことが開花したのは、80年代のひょうきん族とかだと思うんですよ。
つまり、デバイスで遊ぼうとしてる世代は、僕にはもう見えないんです。
今だとピコ太郎なのか……とかね(笑

youtuberなんかもわからないですね。
もちろん存在は知ってますが、それをサクセスとする感性はわからない。

今は、「食えたもん勝ち」なフロンティアなのかもしれません。今まではそう言えなかったけど、そこに夢があるのかもしれない。


上田:音楽でいうと、90年代は渋谷系が流行りました。今も、小沢健二がMステに出たり、村上春樹が新刊を出したりと、1997年かな?という感じですね。

幾原:僕はあまり接点がなかったけど、avexなんかはレンタルレコード屋ですよね。
もともと、レコード屋は先人による支配があったわけで、その隙間を狙ってるわけです。
90年代の音楽は、70年代の終わりくらいに先人が浸透させていったものの開花じゃないかと思っています。70年代のクラブカルチャーとCD時代のレンジが合っていたのでは。


藤津:今日のお話を伺っていると、「フロンティア」がキーワードになりそうですね。

幾原:憧れがありましたね。第一次宇宙ブームのアポロや第二次のスターウォーズ
アニメもそこを表現していました。

藤津:アニメはフロンティアにみえましたか?

幾原:そうですね。大人にはわからないものだから。
アニメや漫画って、大人や親に言ってもわからないんです。自分の時代にはなかったカルチャーだからね。20年かかって浸透してる。

藤津:インターネットが普及し始めてから20年経ちますが、これからなにかあるんでしょうか。

幾原:もうあったのかもしれないね。

 

◆まとめ:未来について

藤津:今回のまとめとして未来について伺いますが、予測していただくのではなく
運動やアングラといったものがどうなっていくのか伺いたいと思います。
(注:非常にメモが怪しい)

幾原:僕の世代は、団塊のおこぼれ世代だったんですよね。
先人があらゆるカルチャーを作ってしまって、しかもパワーを持っていたので刃が立たなかった。
でも、マンガ・アニメはまだカルチャーが作られていなくて。

藤津:スキマを見つけるということですかね。
どこかはわからないんだけど、後から見たらわかるという。

幾原:後から気づくものだよね。
今は消えちゃったものなんかもあるし。たとえば、携帯小説って今はどうなってるんだろう?

藤津:僕も読んだわけではないですが、内容が変わっていると聞きましたよ。
ジェットコースター的なドラマではなく、気持ちのすれ違いを描くような。

幾原:想像ですが、携帯小説のリアリティって「携帯を持っている女子的な空気感」ですよね。
以前はメディアが上から共感や感動を下ろしていましたが、それが手元にあるリアリティに置き換わったという。
すぐそばにある携帯に共感があるのかもしれないですね。

 

◆質疑応答

Q1. 執筆された自作小説を販売してください!
A1. 今日処分します!

藤津:やっぱりアニメになりそうな話なんですか?

幾原:そうですね。
怪獣が出てきたり、カップルの片方が動物(犬)だったり……。
あとは、学校の運動場下に恐竜が埋まってて。そのことは皆信じていないんだけど、1人だけ信じてる女の子がいて、その子が恐竜を呼び出そうとする話とか。
プロットとしては完結してますね。

上田:クラウドファウンディングとか……。

幾原:考えてみます(笑

 

Q2. 宮崎勤事件について、同世代の罪ではないのかという意識はありますか?
A2. そういう感覚はありました。

誤解を恐れずに言うと。70年代には「ロリコン」という言葉がネガティブではなく合言葉的に使われるようになったんです。アニメキャラの女の子に性的な意味でドキドキしたり好きだという感性も悪くないよね!という空気があったのですが、それに冷水をかけられたような気持ちになりました。

そんななかで、「アニメ・マンガ好きは心が外に向かない人だ」という報道をメディアがしていて。

おおっぴらに(アニメ・マンガが好きだと)言えないムードになっていきました。
率先して自分がアニメ監督だとは言いづらい感じ。
それは僕の世代ではもう拭えないことで、トラウマになっているのではないかな。自分の感性を総括できないんです。

ただ、上の世代にはまったくわからないでしょうね。アニメのキャラにドキドキするような感性がないとわからないんです。何かの病かなと思われてしまう。
でも、病だと捉えてしまうと、自分の中にある感性をどう解釈していいのかわからないんです。

 


Q3. ひょうきん族でTVというメディアへの仕込みが開花したというお話がありました。バラエティというフォーマットが確立していくなか、幾原監督のギャグ作品(きんぎょ注意報!など)にはどのような影響がありましたか?

A3. 僕はドリフ世代なんですよね。

歴史的には、最初のテレビのお笑いはクレイジー・キャッツ。その次が欽ちゃんで、しばらくその時代が続きます。
その欽ちゃんを倒したのがドリフです。ひょうきん族はその次ですね。「THE MANZAI」のような漫才ブームがありました。

藤津:アルファベットなのがポイントですね。

幾原:ひょうきん族以前は、TVで実験していたんです。TVが何か、よくわかってなかったんですね。
TVがどういうものかわかるようになるにつれ、みんなが事件性を求めているということがわかってきた。できるだけアドリブ重視で、素人を使ったりしてハプニングに見えるようにしていきました。
それまでのお笑いは、作り込まれて演習もいっぱいしていて、演劇に近かったんですね。

藤津:「きんぎょ注意報!」には生かされてますか?

幾原:いやあ……ギャグは難しくて。

藤津:参考にはされました?

幾原:自分のギャグのリズムは「がきデカ」ですね。
ア太郎やバカボンでギャグといえば赤塚不二夫の時代でしたが、小5になって「がきデカ」が登場して。
作者の山上さんはまさに団塊・運動の世代で、そのフラストレーションを漫画で晴らす!家長制度をめちゃくちゃにしてやる!みたいな。
その後に少し遅れてやってきたのが「マカロニほうれん荘」。僕が知った初めてのパロディ作品でした。

 

Q4. インターネットが普及する前は、番組への反応はどう調べて、どう生かしていましたか?

A4. 東映では、毎週月曜(毎日かも)ニールセンとビデオリサーチの視聴率が毎朝届いて、それが机の上に……。

藤津:力を入れた回で数字が良いと、やっぱりうれしいものですか?

幾原:必ずしもそうではないところがまた面白いですね。

藤津:裏番組にも左右されますからね。

幾原:土日の朝にやっているような番組は、視聴率を気にしているんじゃないかな。

藤津:スポンサー側から「こういうものを子どもたちが欲しがっているんです」といったリサーチ結果が届いて企画につながるといったことは?

幾原:ある玩具メーカーの話ですが、長い年数周期での「トレンド周期表」があるんですよ。今忍者が来ているから次は恐竜だ、とか。この世代は生まれたときにこういうのを見てるから……といったように、決まっているそうです。

藤津:その周期に合わせたアレンジが。

幾原:実際にそれを見ながらやってましたね。
自分の作品ではないですが、聞いて大変そうだと思ったのもあります。
作品(各話)ができると、スポンサーがそれを幼稚園まで持って行って上映会を毎週するんですよ。そのリアクションを撮影して、どこでよそ見してるのかまでバッチリ撮って、スタッフに見せてくる(笑
まあ、スポンサーのいうことだからね……。

 

Q5. 宮崎勤事件に関連して。酒鬼薔薇事件はゲームの影響だと報道されていたが、そちらはどう感じましたか?

A5. 僕はゲームをまったくやったことがなくて。
ファミコンが出たときは大学生。夜は女の子といっしょにいていいんですよ!? ゲームどころじゃないですよ! より深刻な問題があるんだ!
就職したときはスーファミが出ましたが、そんな状況でもなくて。

ただ、ゲームをやらなかったせいで、耐性がないんですよ。
ゲームトレンドがわかってないと、アニメを作っても嘘っぽくなるよと言われて。

18禁PCゲーが流行ったときにやったんですが、早くHシーンを見たいからって飛ばしまくったせいで、面白さがわからなくて……。


まあ、報道のつくる「わかりやすいドラマ」に僕らははめこまれやすいよね。

 

◆おわりに

藤津:幾原監督からの告知は?

幾原:まだ言えないですね。
ただ、今日質疑応答などでみんなと話をして、総括していなかった感情の再確認ができました。

藤津:朝日カルチャーセンターの講座も今回が最終回ですが、続報はお伝えできそうです。が、まだ言えません(笑

幾原:最初、藤津さんから「3回講座をやるよ」と言われていて、正直3回なんて無理だと思いましたが、藤津さん、上田さんがよく導いてくれて、なんとか話せました。ありがとうございました。
自分のなかでもやっとしてるところもありましたが、みなさんの意見を聞いて、まだやっていないことや目を背けていることに気づきました。まだやらせてもらえるなら、トライしたい題材はありそうです。
今日は本当にありがとうございました。

LIVE ZIPANGU 2017 演出こねこね ホール編

※ネタバレ注意報※

LIVE ZIPANGU北海道は札幌2日間お疲れさまでした。
外気温は氷点下なのにホールの熱気はすさまじく、奈々ちゃんもテンション爆上げですごかったですね。
個人的にも素敵な出会いに恵まれて、思い出に残る2日間になりました。

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LIVE ZIPANGU 2017 演出こねこね編

※例によってネタバレしかない※
 

LIVE ZIPANGU 大分&大阪公演お疲れさまでした。
4日間とも強烈な寒波に見舞われるも、本格的な降雪降雨にならないのはさすがですね。

前回のエントリは楽曲の話で終わってしまったので、
今回は映像なり舞台なり演出面について、気づいた小ネタを捏ね回します。

 

●衣装&ステージ編

オープニング衣装の打掛は、中盤の映像で着ているものと"ほぼ"同じ

朱色に金糸模様。ただ、さすがにまったく同じものではなさそう。
ちなみに、映像で着ている打掛は 黒毛和牛 牛車柄。

 

メインステージは能舞台

ということはセンターステージは御所様が乗っていた籠
ということは花道は御所様が鳥さんを追いかけた道
小さい会場ほど2人の距離が縮まっていて安堵します。
(雅楽隊はチェリボ…?)

 

●映像編

イントロ映像の時系列は?

身支度をしつつ、本番を前にして気を引き締める表情が印象的なイントロ映像。
衣装をちゃんと見てみないとわかりませんが、中盤の映像では依頼が来てから舞を披露するまでがカットされているので、そこに相当するのかなと。
しかし、オープニングの登場が開花なのはしみじみ良いです。

 

サブリミナル椿

とくに中盤の映像で多く差し込まれていました。
能舞台のある広場に咲く椿
・広場全体に舞う椿の花弁
・舞の着物も椿柄
乱立する悦カメフラグ。
しかし、椿は散り際にボトッと落ちる花なので、死を連想させると言われています
(お見舞いNGの花としても有名)。

 

椿の散り方

舞~再会シーンでは花弁が舞っていますが、先述のとおり椿ははらはらと散るような花ではありません。
とくに花弁が肉厚なので、本来は映像のような散り方にはならないのですが……。
ということを考えると、こじつけではありますが「本来あり得ない時間」だったのかなあと。
似たようなアイコンとしては、エデンの大サビで青いバラも咲いてますよね。
 
これについては、見た目のロマンチックさ以外に、次のような理由も考えられるかと。

 

止まる時間

御所様が倒れた後、鳥さんが能舞台を降りて再会を果たすまでは、時間が止まっています。
駆け寄るシーンはスローになっていますが、花弁は停止していること、また御所様の従者がストップしていることを考えると2人以外の時間は止まっているようです。
花弁は、この時間経過の変化を表すアイテムのひとつかなとも考えています。

 

●悦楽カメリア論

今回のセットリストで最も引っかかっているのが「ヒメムラサキ→悦楽カメリア」。
間に長めの演出を挟んでいて「一区切りつけてますよ」感はあるものの、
・御所様と鳥さんの話はヒメムラサキで終わっているよ、悦カメはたまたまあの位置だよ派
・悦カメは2人のストーリーのプロローグだよ派
が大阪初日くらいまで葛藤していたのですが、今はプロローグ派で落ち着いています。
 
というのも、違和感の正体は曲調の落差が激しすぎることであって、曲のテーマではないんですよね。
むしろ、身を捧ぐ系の直後に「永久を誓う」曲が来るのはピッタリではないかと。
ただ、ヒメムラサキにもっと浸っていたいというのは大いにあります。
 
また、全体の演出のベースにバジリスクがあるので、恋愛モノという認識が強くなりがちですが
御所様への思いは恋慕だけでなく澪標の感謝なわけです(鶴の恩返しという話もありましたし)。
そう考えると、本編最後が「めぐり逢うすべてに」で終わるのも感謝を伝えるという点でシンクロしていないでもないような。
 
 
 
 

こうして演出面から振り返ってみると、ライブってチーム水樹の作品なんだなあとしみじみ感じます。
とくに、ライブドキュメントブックを読んでからは、ライブに対する尋常ならざるこだわりが伝わってきて、これなら深読みしてもしすぎることはないなと。
これからもガシガシ噛み締めていきます。