LIVE ZIPANGU 2017 演出こねこね編

※例によってネタバレしかない※
 

LIVE ZIPANGU 大分&大阪公演お疲れさまでした。
4日間とも強烈な寒波に見舞われるも、本格的な降雪降雨にならないのはさすがですね。

前回のエントリは楽曲の話で終わってしまったので、
今回は映像なり舞台なり演出面について、気づいた小ネタを捏ね回します。

 

●衣装&ステージ編

オープニング衣装の打掛は、中盤の映像で着ているものと"ほぼ"同じ

朱色に金糸模様。ただ、さすがにまったく同じものではなさそう。
ちなみに、映像で着ている打掛は 黒毛和牛 牛車柄。

 

メインステージは能舞台

ということはセンターステージは御所様が乗っていた籠
ということは花道は御所様が鳥さんを追いかけた道
小さい会場ほど2人の距離が縮まっていて安堵します。
(雅楽隊はチェリボ…?)

 

●映像編

イントロ映像の時系列は?

身支度をしつつ、本番を前にして気を引き締める表情が印象的なイントロ映像。
衣装をちゃんと見てみないとわかりませんが、中盤の映像では依頼が来てから舞を披露するまでがカットされているので、そこに相当するのかなと。
しかし、オープニングの登場が開花なのはしみじみ良いです。

 

サブリミナル椿

とくに中盤の映像で多く差し込まれていました。
能舞台のある広場に咲く椿
・広場全体に舞う椿の花弁
・舞の着物も椿柄
乱立する悦カメフラグ。
しかし、椿は散り際にボトッと落ちる花なので、死を連想させると言われています
(お見舞いNGの花としても有名)。

 

椿の散り方

舞~再会シーンでは花弁が舞っていますが、先述のとおり椿ははらはらと散るような花ではありません。
とくに花弁が肉厚なので、本来は映像のような散り方にはならないのですが……。
ということを考えると、こじつけではありますが「本来あり得ない時間」だったのかなあと。
似たようなアイコンとしては、エデンの大サビで青いバラも咲いてますよね。
 
これについては、見た目のロマンチックさ以外に、次のような理由も考えられるかと。

 

止まる時間

御所様が倒れた後、鳥さんが能舞台を降りて再会を果たすまでは、時間が止まっています。
駆け寄るシーンはスローになっていますが、花弁は停止していること、また御所様の従者がストップしていることを考えると2人以外の時間は止まっているようです。
花弁は、この時間経過の変化を表すアイテムのひとつかなとも考えています。

 

●悦楽カメリア論

今回のセットリストで最も引っかかっているのが「ヒメムラサキ→悦楽カメリア」。
間に長めの演出を挟んでいて「一区切りつけてますよ」感はあるものの、
・御所様と鳥さんの話はヒメムラサキで終わっているよ、悦カメはたまたまあの位置だよ派
・悦カメは2人のストーリーのプロローグだよ派
が大阪初日くらいまで葛藤していたのですが、今はプロローグ派で落ち着いています。
 
というのも、違和感の正体は曲調の落差が激しすぎることであって、曲のテーマではないんですよね。
むしろ、身を捧ぐ系の直後に「永久を誓う」曲が来るのはピッタリではないかと。
ただ、ヒメムラサキにもっと浸っていたいというのは大いにあります。
 
また、全体の演出のベースにバジリスクがあるので、恋愛モノという認識が強くなりがちですが
御所様への思いは恋慕だけでなく澪標の感謝なわけです(鶴の恩返しという話もありましたし)。
そう考えると、本編最後が「めぐり逢うすべてに」で終わるのも感謝を伝えるという点でシンクロしていないでもないような。
 
 
 
 

こうして演出面から振り返ってみると、ライブってチーム水樹の作品なんだなあとしみじみ感じます。
とくに、ライブドキュメントブックを読んでからは、ライブに対する尋常ならざるこだわりが伝わってきて、これなら深読みしてもしすぎることはないなと。
これからもガシガシ噛み締めていきます。

LIVE ZIPANGU 2017 愛知2days かってに授賞式

 

!! ねたばれきけん よんだらしぬで !!

 

 

はじめに


LIVE ZIPANGU 初日&2本目に参加してきました。お疲れさまでした。
三連休ありがたいですね。より遠方の会場で三連休だともっと良かった。

ライブのメインになるであろうNEOGENE CREATIONが「こういうのが聴きたかったんだよ曲」の多い平均点高めなアルバムだったこともあり、大いに期待して参加しました。

その結果、ツアー後半でこの辺変わりそうという期待値も込みで、最高の3時間を堪能できました。冬曲を入れつつ"和ツアー"の側面が強かったのも、コンセプト重視派としては大満足。

ツアー初心者としては(1)冬ツアー(2)ツアー初日参加というふたつの実績を解除できたのも収穫でした。あと冬ツアーめっちゃ荷物多い……。

感想は熱いうちに書けということで、まだ2公演だけですが授賞式をします。
しかし、好き勝手部門つくれば好きなように書けるから無敵だなコレ。かしこい!

 

ジャンプアップ部門:STAND UP!


甲子園での初披露でもアルバム試聴でも良い曲だとは思っていた一方で、良い曲止まりという印象が拭えず……。
が、ライブでのポジションや実際に歌う姿を見て、しっくり来るようになりました。ライブで好きになったというより、ライブで完成した曲。元気いっぱいの振付けもお気に入り。
ちなみに、インタビューを読むまでタオル曲はこっちだと思っていたのは秘密。だって最後タオル投げそうだし……。

 

ライブ映え部門:TWIST&TIGER


正確には「ライブ映えすると思っていたけどここまでとは部門」受賞。
新曲で今一番楽しいのはこの曲で、なぜかUNLIMITED BEATより疲れる。
生演奏がとにかくおいしいので、LIVE THEATREの大人ゾーン編成でも聴いてみたいですね。

 

油断しててすみませんでした部門:UNLIMITED BEAT


シンフォギア曲がシリーズを重ねるごとに凄みを増しているなかExterminateほどの目新しさは感じられず…アニメ補正もないしなあと思いつつライブに臨みましたが、完全に油断でした。
シリーズ3曲に負けず劣らずというか、ライブでの爆発力という意味では越えるだけのポテンシャルがあるのでは。そういう意味ではこの曲もライブが前提というか、上松氏御自ら走っただけのことはありますね。
心拍数150にあやかるためにも、次はドラム勢を意識して聴きたい。

 

よくもやってくれたな部門:鳥海浩輔、ヒメムラサキ


ライブ全体を貫くストーリーが完全にバジリスクで成仏しました。

悲恋物は特別好きでもないのですが、バジリスクは1話で予告された運命に収束していくのが大変美しいです。
ライブのストーリーでも、御所様と鳥さん(紛らわしいな)は互いに目を合わせることもなくすれ違ってしまうのですが、「叶わないからこそ永遠」というのははつ恋の歌詞にもあるとおりで、バジリスクと上手くシンクロしているような。

ちなみに、私はビックリするくらい勘が悪くて鈍いので、WILD EYSで開幕してムービーで鳥海氏ナレが入っても「さすが鳥海氏良い声しとる」というアホな感想だったので、イントロのギターで隙を突かれて死にました。

ヒメムラサキという曲はもちろん好きですが(飯田さん曲コンプが夢のひとつ)この流れでなければここまでの破壊力はなかったので、時は満ちたというか、いやー、奈々ちゃん恐いですね。
LIVE GALAXYの感想と被りますが、作品を大事にする気持ちが伝わってくる時ほどファン冥利に尽きる瞬間もありません。あと単純に、声優として&歌手としての曲になるのでパワーがあります。

しかし、バジリスクを見ていて本当に良かった。ライブ全体の印象が変わります。
今ならバンチャにもdアニメストアにもある模様。そういえば、つい先日Abemaで一挙放送やっていたのはもしかして。

それにしても、ヒメムラサキの後には5分休憩を入れて欲しい。2日連続で悦カメの感想が無です。

 

最優秀賞:めぐり逢うすべてに


ヒメムラサキと迷ったけれど、やっぱりこの曲が一番気持ちが伝わってきたし、何より表情が素敵でした。

第3期のアルバム1曲目として奈々ちゃんが伝えたかったこと、ライブ本編の最後に伝えたかったことが、いろいろな人や作品や物事への感謝だった…なんて、ミジンコみたいなファンのひとりとしても(自分は何もしてないけど)すごく誇らしい気持ちになってしまうわけです。

そんな「奈々ちゃんを好きで良かった」と思わせてくれる、アルバムのなかでも特別な1曲。

初日は見とれてしまったけれど、2日目は曲に浸れたので本当に幸せでした。
ライブだと間奏で「ありがとう」と手を振ってくれるのが、たまらなく嬉しいような、叫びたくてもどかしいような気持ちに。
でも、初日は通じるものがあったはず…!(いとも簡単に付け上がるタイプ)

個人的には、イントロの「こ」「こ」「か」「ら」「ど」「こ」「へ」すべての声色が少しずつ変わっているのが、声のプロだ…と感じるポイント。CDでもライブでもブルブル来ます。

しかし、曲のポテンシャルが高いから1位みたいになってるな……。

 

審査員特別賞:「であります!」


愛知2日目の衣装見せくるくる&敬礼後のリコッタ風「であります!」が見事受賞。
奈々ちゃんのロリ声が好きなんじゃ!!!

 

宿題:Please Downloadのファイヤー


2日目にステージを注視していたところ、ソプラノサックスをバリバリ吹いているっぽい。しかし、曲が曲だけにほとんど聴こえず……。
次こそ何とか聴き取りたい。

 

おわりに


……
………
NEOGENE CREATIONの話しかしていないのでは?

要するに、第3期最初のアルバムとライブコンセプトとが相まって最高のツアーが育ちつつあるというところをご理解いただければ。

個人的には、ADVENTUREがライブの楽しさが伝わってきたツアーで、ZIPANGUは歌の魅力をじっくり噛み締めて味わえるツアーになる予感がしています。

3月にまた書きたいですね~。お粗末さまでした。

コミックマーケット91に参加します

サークル「羽二重庵」は12/31(土)に開催されるコミックマーケット91に参加します。
スペースは東エ34-b。防寒対策が大事ですね。

頒布物詳細は以下のとおり(12/15更新)。

 

◆頒布物概要

秀吉寿司2(新刊)
秀吉寿司(既刊)
※どちらもモノクロ20p・コピー本


◆お値段

100円(既刊新刊いずれも)


◆表紙と見本

 表紙

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見本

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既刊の情報はこちら:

huvchie.hatenablog.com


◆内容

引き続き秀吉が寿司を握ります。
2期のメインキャラはほぼ出てきます。
各話のプチ感想つき。
2では出前を解禁しました。


◆その他

当日は寿司化した武将カードなどを描いたりしていますのでご自由にお持ちください。
普通の武将カードもあります。
要するに、気ままに落書きしています。


サークル参加は初めてなので緊張しますね。

不慣れな点もあるかと思いますが、当日はよろしくお願いいたします~。

朝日カルチャーセンター「僕はこんな作品を見てきた '80年代 バブルの喧噪と昭和の終わり」メモ

12/3に朝日カルチャーセンターで開講された講座に参加してきました。
タブレットでメモを取ったら首が壊れましたが、無事に内容をまとめました。

例によってノー知識、甘い校正ですが、今回はとくに聞き漏れもあったため一部カッコ付きです。
また、あくまでワタシ解釈であり、カギカッコ内=発言ではありません。読みやすさ優先の部分も多々あります。
ご容赦くださいまし。


◆はじめに

藤津さんからのごあいさつ
幾原「アニメ監督とかやってます幾原です。おふたりにいいところに導いていただければ」

藤津「前回は60~70年代しばりでしたが、いかがでした?」
幾原「あんまり…覚えてない…ほら、年取ると同じことを繰り返すから。。」

上田「80年代というと、幾原さんは高校生~大学生くらい?」
幾原「80年のときに高1ですね」

1. 1980年代前半とはどんな時代だったか

上田「80年代といえばバブルや高度経済成長といった時代ですが、幾原監督は京都にいらっしゃったんですよね。大学生活はいかがでした?

幾原「83年から京都にいました。風呂なし、トイレ共同のアパートで」

上田「幾原監督の華麗なイメージが……」

幾原「ワンルームマンションもあったけど、高かったんです。今だとテラスハウスみたいなのもあるけど、当時はそうでもなくて。ただ、アパート内での交流はありました。京大、同志社、あとは浪人生
京大生はサブカル系の人で、当時普及したてのビデオデッキもちでした。まだレンタルビデオ屋がない時代で、録画した映画を見てました。
見たい映画が見られるようになった時代でした。あくまでTVで放映されたものだけですが」
藤津「うちに入ったのは83年。当時、レンタルビデオ屋はあるにはありましたが、放映されたものを勝手に置いてたんです」
幾原「当時は風呂がない、トイレは共同、あとはマイケル・ジャクソン
ビデオデッキで洋楽のMTVを録画するのが流行って、そこからスリラーが大流行。
ベストヒットUSAなんかもあの時代です。僕からすると、昭和の侘しさ(?)とハリウッド感(華やかなイメージ)が混在している感じ。
昔は、音楽といえばイギリスがカッコよくて、アメリカのポップスはダサいイメージだった。そこにきて、MTVでハリウッド感とポップス感がマッチした。シナトラ、プレスリー、ビートルズ、ジャクソン…。風呂なしトイレ共同のアパートでWe are the worldを聞いてました」

上田「京都は学生にはいい街ですよね」
幾原「今がどうかはわからないけど、当時京都で暮らせたのはラッキーだった。京都でなければ、今の僕はないかも。京都は学生の街という印象。とくに、学生主体のイベントが毎日のようにあった」
上田「街全体が下北沢みたいな感じで」
幾原「学生がカルチャーしてるんだよね。それも学生運動の名残かもしれない。
とくに、芝居がいっぱい見られた。サークルも多かったし。いろいろと危険なものもあったんだけど、そうとも知らずにたくさん見に行きました。
当時は『アングラサイコー!』みたいな感じだったんですよね。マジだったという…
ただ、今思うと、見れて良かったです」

上田「大学の授業は…?」
幾原「真面目に受けてましたよ! 粟津さんの授業も。
ただ、非常勤(?)だったので、月一で適当に喋っていく感じで。ただ、寺山さんのことをいろいろ聞けたのはうれしかったですね」

上田「サークル活動は映画と演劇をされていたとのことで、やはり当時から見るだけでなく作るほうにご興味が?」
幾原「大学をやめる直前にヤンジャン(?)の特別賞をとって、10万円もらったんです。それが引越し代になって東京に。ちなみに、その賞のグランプリがスクリーミング・マッド・ジョージ

2.寺山修司の死と小劇場ブーム

上田「幾原監督が大学に入学された年に、寺山さんが死去されます」
幾原「大学でも話題に上がったし、文化人として、TVでも大きくとりあげられた」
上田「一時代が終わったという…」
幾原「そうですね…そんな感じだったのかな」

上田「その後、寺山さんに影響を受けた人が。多くの劇団を立ち上げていく。いわゆる小劇場ブームが起こります」
幾原「(資料に載っている劇団は)みんな見てますね。当時は女の子たちにも人気でした。
寺山さんのファンの子は、ゴスロリ系というか、人形っぽいというか、暗いのが好きという印象でした。ただ、遊眠社はちがったかな。バンギャっぽいのかな…?
これはあくまで想像だけど、運動が終わって形骸化した演劇が、文化的なものになったんだよね。それによって、若い人にとってエッジがないものになった。
寺山さんはエッジをきかせてたけど、この時代の劇団は、そういうことに対する反発なのかも。
たとえば、(寺山さんの時代は)休日にデートで映画は見るけど、演劇は見なかったんですよ。彼らはそこにメインカルチャーとしてアプローチしてるんじゃないかな」

上田「ラインナップを見ても、映画やTVに来た人が多いですよね」
幾原「運動系ではないですね。世代交代なんです。
しらけ世代”なんていいますが、運動してた世代からすると、そんな見え方なのかもしれないですね」

幾原「80年代になると、東京で仕事をしているんです。
それ以降の自分のインプットは、仕事の役に立つかどうかみたいな感じになってしまって。自分で”感じた!”というインプットは80年代ですね」

3. ATGと角川映画とTV局

3-1.ATGとの話題作など

藤津「ここで映画の話に。70年代から日本のメジャー映画がグズグズになっていくなかで、インディペンデント系が盛り上がっていきます」

幾原「京都は名画座が多かった。最寄りの映画館長が、またマニアックな人で。
ATGなんかはTVでもやらないので、映画をいつでも見られてうれしかったですね」
上田「京都だと、今でもATG系の映画館がありますよね。祇園会館とか」

幾原「そもそも、60年代から映画は傾いていくんです。
電波塔が立って、TVが盛り上がって…映画は追い詰められて衰退していく。
そうやって客が離れていくときでも客が来る映画というのは、学生がみたい映画なんです。ヌーベルバーグですね。
学生運動とリンクし、アジテーションするような。

ただ、70年代になると、それもうまくいかなくなっていって、そんななか出てきたのがATG。絞死刑なんて、絞首台がずっと映ってるような映画なんですが、そんなのがこんなのがヒットしたんです。
邦画が傾いてきたときに、ATGを利用して、運動を巻き込んだ興行をしたんですね」

「ただ、それも70年代前半まではよかったものの、日本の経済成長にしたがって、運動の熱とともに映画も冷えていって。そのなかで、映画をどうすればいいかと模索するわけ。
その流れの中に、ポストモダン的なテーマを探すんです。
運動の次に、自分たちは何で気持ちをつないで、連帯していくのか。
映画も演劇も、連帯するものを探していたんです」

藤津「上がっている作品のなかで、気になったものはありますか? リアルタイムのものだと、『ヒポクラテスたち』とか、『家族ゲーム』とか」

幾原「話題になりましたね。映画というジャンルが行き場をなくして困っていた。
この時代、YMOも出てきて、音楽が一気に垢抜けるんです。
そんな中で、映画はマスに向ける(=共感を獲得しようとする)ほど、その対象が戦中の貧困などになってしまい、湿っぽくなっちゃうんです。そして若い人から離れていく」
「『家族ゲーム』は受験戦争の話だよね。そんな戦争のなかで、気づいたら家族がこうなっていました、というような。受験戦争のディティールを表現しているんだけど、ドキュメンタリー的でエッジが効いている」

藤津「『ときめきに死す』も、不思議な話ですよね」

幾原「原作者(丸山健二氏)の作品をいくつか読んでますが、すべてテロの話なんですよ。運動の時代の人で、そういう作家なんです。
『ときめきに死す』では、テロリストの日常のディティールを描いてますよね。若い人にとって重いであろう情念をドライに表現している」

藤津「森田芳光監督だとどれがお好きですか?」
幾原「どれも好きですが、『39条』には驚きました」

藤津「そのほかでは、『人魚伝説』は?」
幾原「あの作品は、業界人みんな好きですよね。
政治的でアンタッチャブルなテーマゆえに、スポンサーもつきづらい。
女優さんのアクロバットも体当たりですごいし…。
今ならタイトルは『あまちゃん』だと思うんだけど」

藤津「自分の体をエサにするような、艶っぽいシーンも多いですね」

幾原「復讐という行為と海に潜っていく海女さんという仕事に、いい嫁感が…愛が深くて。
ただ、見た当時はパワーに圧倒されました。『太陽を盗んだ男』の続きっぽいかな」

藤津「『さらば箱舟』は寺山修司の遺作ですね」
幾原「マルケスって南米文学じゃないですか。当時、よくわからなかったんです。
南米は、植民地時代を経て、政治運動に翻弄されていく。日本人の歴史観とかなり違うんです」

藤津「ATG以外でも、他に気になった作品はありますか? 『台風クラブ』とか」
幾原「相米監督は、演劇的手法が得意ですよね。ワンシーン・ワンカットみたいな。
しかも、そこに情念が篭っているんです。
相米監督は『セーラー服と機関銃』がウルトラヒットして、若手映画監督の中心的な存在になりました」

3-2.80年代の角川映画(一部)

幾原「そんななかで、角川は唯一”当たっていた”邦画ですね。かつての映画はTVを敵にしていましたが、角川はTVスポットを撃ちまくって、TVを映画に巻き込んでいった。クロスメディアの始まりです」
藤井「映画のキャッチコピーが流行することも多かったですね」

幾原「今考えると、『犬神家の一族』から始まって、戦後の総括をしているのかな。
自分たちを何を失ったのか」

藤津「アニメはご覧になっていましたか?」
幾原「業界に入るまでは見てました。
アニメがあまり一般的でない時代で、『宇宙戦艦ヤマト』の登場で、みんな『アニメ』という言葉を知りました。
アニメというジャンルのスタートはここですね」
藤津「学生にとって趣味としてのアニメもですね」
幾原「それまでにもアニメはもちろんありましたが、若い人の心の中心にはなっていなかったように思うんです。ところが、食事中でもずっとヤマトを見ているような”ヤマトだけで生きている人”が登場する」

藤津「アニメ業界に行こうとは考えられていましたか?」
幾原「いやー…好きだったけど、やれると思っていなかったです。
田舎で、距離も合ったので」
藤津「大学でもですか?」
幾原「やはり距離があったので、ギリギリまで考えてなかったです」
藤津「ではなぜ東映に…」
幾原「本当にたまたまなんです。銭湯帰り、夜中までやっている本屋でキネマ旬報を立ち読みして。そこに出ていた求人に応募しただけ。
というか、大学をやめて東京に行きたくて。その口実ですね。
実は、大学生のときに就職説明会で、記録映画の会社に行ってみたんです。そうしたら、倍率が何百分の1と聞いて…心が折れた。
とにかく運が良かったんです」
藤津「東映だと2期なんですよね。1期に佐藤順一さんが」
幾原「偶然ですね…しかし、アニメ業界に行くとは思っていなかったなあ…」

3-3.TV局主導の映画

藤津「アニメ以外でも、他の映画はご覧になっていますか?」
幾原「この時代になると、メディアミックスが一般化しました。製作委員会のはしりですね。
そして、動物映画が大流行」

藤津「『南極物語』、『子猫物語』の前には『キタキツネ物語』もあって」
幾原「動物、とくに犬は当たる!となったんでしょうね。
当時、日本人の南極到達は一大イベントだったんです」
藤津「だけど、南極観測隊が帰るときになって、犬が置いて行かれてしまって。当時はメディアからバッシングされていました」
幾原「なぜバッシングされたかというと、”高度成長の犠牲”だったからなんです。成長の裏では、こんな残酷なことが起きていたなんて…自分たちは何か見失っているのではと。
ただ、いざ迎えに行ってみたら2匹生きていて、今度は絶賛の嵐。
そんななかで、当時大人気の高倉健さんに犬を加えれば、SWも超える!と。
実際、もののけ姫に抜かれるまでは邦画で1位でした」

幾原「時代的に、TVというメディアは60~70年代で実験をしてきたんです。
ただ、その人たちは”途中から”TVが登場した人たち。
80年代になると、はじめからTVがあった層が現れました。
それが日本の経済状況とリンクしていて、結果的に、日本は世界でも例がないくらいTVがウケた国になりました」
藤津「民放の局数も多いですからね。ちなみに、学生時代TVはご覧に?」
幾原「あんまり見てなかったですね。大学の友だちと遊ぶほうが楽しかったし。
高校時代が、アニメも含めていろいろ見てました」

4.マンガや小説

上田「前回の講義でもマンガや小説について伺いましたが、そのときにあまり聞けなかったよしもとばななさんについて。よしもとばなな作品の衝撃とは?」
幾原「ディティールですね。ちょっとシュールで、SFで。その表現が少女漫画的なんです」
上田「どんなポイントが良かったんでしょうか?」
幾原「当時、少年漫画では”心の機敏”を扱ってなかったと思うんです。
少女漫画出身のあだち充さんがヒットするまでかな。
それまでは『あしたのジョー』のような、スポ根というか番長というか…。
あしたのジョー』は好きですが、少年漫画はダサいというイメージがあって。

岩館さんの作品なんかは、劇的な話ではないけど、ディテールがリアルで。
美しいものやそれが壊される瞬間を描いているんです。
そこはよしもとばななさんも同じですね。

村上春樹もそうですが、あくまで男性なので。
よしもとばななさんは女性ならではのディテールですね」
上田「ディテールというのは…」
幾原「心の中の表し方ですね。
『キッチン』であれば、性同一障害を彩りであり、美しいものとして繊細に表現することが新しかった」
上田「それが自分に届いていく」
幾原「『アオイホノオ』でいう俺はわかる感!ですね。そんな上からじゃないですが…」
上田「よしもとばななさんは”あなたに届く作品”と言われていますね。
それは、運動などではなく、家族の話だからかもしれません」
幾原「文学的でもあり、少女漫画的でもありますね。
むしろ、僕は文学の意味はそこにあると思っている。
脈々とつづく、若い人の心の中を描いていく流れ」
上田「青春モノですかね」
幾原「よしもとばななさんは、当時漫画的だとも言われていますね」
上田「今ではあまりないような、広い世代で読まれた小説でした」

幾原「ポストモダンを探した時代でした。
村上龍なんかは、アナーキーでかっこいい話でした。
栄えた時代の喧騒なかで、革命を起こしてやる! みたいな」
上田「『TUGUMI』や『キッチン』では永遠の少女的な存在が出てきます。こういう存在は、村上龍さんにはいないですね」
幾原「いないですね。
村上春樹にはいるけど…男性の妄想だから」

上田「前回の講座で、村上春樹作品はほとんど読まれているとのことでしたが、よしもとばななさんの作品もですか?」
幾原「全部じゃないけど読んでるよ。『白河夜船』や『とかげ』…短編が多いかな」

上田「新しい作家はいかがでしょう?」
幾原「最近だと『コンビニ人間』の作者の村田沙耶香さんの『消滅世界』。あれはリアルで怖かったなあ」
上田「そうですか?」
幾原「あれって要するに、”人生ずっとおそ松さん大好きでもいいよね!”って話ですよね?」
上田「樹璃さんみたいな人も出てきます」
幾原「誰かに勧められて読んだんだよね」
上田「私です!」
幾原「そうだった。良かったよ、恐ろしいけど……」

上田「村上龍さんについても伺います。当時はやはりエッジーなところに衝撃を受けられました?」
幾原「村上龍は時代を意識していて…こう言っては失礼だけど、ライブラリとして読んだらわからないんじゃないかな」
藤津「当時性が強いですね」
幾原「それを意識しているからね。その時に読むと、すごく良いんだけど…『半島を出よ』とか。アナーキズムを感じるよね」
藤津「体制なんか蹴っ飛ばしてやる、というような」
幾原「若い人へのアジテーションがあって良かったけど、人によっては合わないんじゃないかな」

藤津「『69 sixty nine』のあとがきでも、アナーキズムを肯定していました」
幾原「”俺はまだ運動をやめてないぜ、若いやつにもアジテーションしていっちょやってやろうぜ”といった檄ですよね。
時代のトピックの突き方がうまいんです」

藤津「一番インパクトがあったのは?」
幾原「(?)と『コインロッカー・ベイビーズ』ですね」
藤津「それもトピックですね」
幾原「(話を要約しつつ)SFで、アナーキーで、革命を起こしてやる…という」
藤津「そう要約されると、めっちゃ『AKIRA』ですね…。
後のいろいろな作品に影響を与えていますね」

幾原「『愛と幻想のファシズム』なんかも、大人から既得権取り戻すという…やはり、運動時代の夢なんですよ」
藤津「リアリズムすぎず、SFっぽいのもポイントですよね」
幾原「ご本人は言わないだろうけど…若い人のルサンチマンを刺激しているんですよね」
幾原「要するに、世間の流れとは真逆のアプローチ。乗れない人たちが支持しているんじゃないかな」
藤津「運動が消えていくなかで、1人で運動を続けている」
幾原「ご本人は言わないだろうけどね。勝手な想像だけど、言いたくないのかも」

幾原「若い人はピンと来ないかもしれないけど、石原慎太郎は大人を仮想敵として描いた初めての人なんです。モラルハザードというか、大人社会への宣戦布告というか。
メディアでの振る舞いも、その名残なんじゃないかな。メディアは騒いだもん勝ちってわかってる。
それは村上龍もそうなんだよね。
そして、この"もっとぶってくれ!"には僕も影響を受けているかも」
藤津「アニメ監督のグラビアとか」
幾原「物議を醸したいんですよ」

5. まとめの質問

藤津「今日は80年代についていろいろと伺ってきましたが、今の幾原監督からみて、80年代から変わったこと、逆に続いていることはなんですか?」
幾原「メディアが完成したのが80年代で、その後はずっとカスタマイズだと思っているんです」

藤津「TVのカタチとか」
幾原「想像になるけど、60〜70年代は、カルチャーが政治に支配されていたんじゃないかな。吉本隆明なんかは、反体制でありメディアのヒーローだった。そこから、糸井(重里)さんが現れて、中心になっていく」

藤津「突然ですが、昭和が終わった日を覚えていますか?」
幾原「覚えてます。東映で働いていた頃で。先輩が『ひみつのアッコちゃん』で演出デビューするってことでTVを見ていたら、最初の5分だけ流れたところで崩御のニュースに変わって……」
藤津「声優さんでもありました。『キテレツ大百科』で、ゲストキャラに出演すると言っていた方がいらしたんですが、放送が飛んで…しかも時事ネタだったので、お蔵入りに。やはり影響は大きかったですね。
幾原監督は、昭和の終わりについて思うところはありますか? 混乱した時代でしたが……」
幾原「昭和…あんまり昭和って感じがないなあ…」

藤津「昭和は、昭和XX年西暦(19XX)年と
表記することが多かったですが、平成は西暦が前に来ることがほとんどになった気がします。
戦中から始まる昭和のストーリーが終わりました」
幾原「昭和は3段階に分けられるけど、僕らはその最後の世代ですね」
藤津「ベルリンの壁も崩壊し、 冷戦終了で時代が変わっていきます」

藤津「幾原監督は、80年代に何が変わって何を得ましたか?」
幾原「いろんなメディアが衰退しては新しく登場して、作り手がポストモダンを求めた時代だった。運動というマスへのテーマがなくなったからね。
戦後の総括をしてはいるけど、若い人はテーマが見つけられないから、模索しながらいろいろな実験が行われた。それを見られたのは良かったかな。
当時の状況は、今と似てるんです。
今は、ネットが登場して、スマホのアプリなんかも出て、装置がリセットされた状態。そこから若い人のフロンティアが生まれていくんじゃないかな。これからいろんなヒーローが出てくるはず。

今思うと、80年代にこんなものは小説じゃない、映画じゃない、カルチャーじゃないって言われながらも、残った人がカルチャーの中心になった。いろんな人が登場して批判され、淘汰される時代。
映像も、装置によってその体験が変わってきている。TVなら、ドキュメンタリー、ドラマ、ニュース…映像を作る側も、装置やデバイスの変化で変わっていく」
藤津「変化の中でテーマを見つけていく」

幾原「カンブリア紀のように、爆発的に変化が起きている。スマホにしても、スマホの中だけでなく、その外側に広がっていく変化があるとおもしろい。僕は、映像には世界を変える装置であってほしい」

◆質疑応答

Q1. 80年代というと、お立ち台やジュリアナのようにバブリーなイメージがあるが、そのあたりと運動からのカルチャーの流れは分断されていたのか?

藤津「あれは90年代ですね」
幾原「ディスコブームは70年代後半にありました。といっても、僕はお立ち台に乗れず、端っこでキーッ!ってやってるタイプで…。

当時の風俗というか、たとえばクリスマスはカップルで高級ホテルに…みたいな流れには乗れなかったですね」
藤津「そのキャッチコピーは83年だそうですよ」
幾原「良い悪いではなく、運動の歌からJ-POPになっていって。そのはじまりが吉田拓郎なんです。運動は連帯を歌ったもので、J-POPは彼氏彼女の歌。その中間が『神田川』。逆に、J-POPの流れの究極はユーミンユーミンも好きだし流れには乗りたかったけど…」
上田「幾原監督は、流行っているものにはアンチに構えてしまうタイプ…?」
幾原「乗りたいんです! 流行っているもの大好きですよ!
90年代だと、グルーブや渋谷系小室哲哉なんかかな。僕はニューウェイブが好きだったので、ズレていたかも。

寺山修司やJ.S.シーザーの影響かも。YMOみたいなテクノと、寺山修司が合体しないかって妄想していて。その果てが初音ミクだと思っているんだけど」

幾原「80年代は本当に忙しくて、きらびやかななかに混ざりたい、でも忙しいと思っているうちに、気づいたらその流れが終わっていて。努力はしてたんですよ」

Q2. 80年代に育まれた価値観は、幾原監督の作品にもいきていますか?

幾原「僕の人生で印象深いイベントは、万博とTVの普及。TVが変化するのを見てきた。
若い人がチャレンジするのを目撃して、世間の喧噪に乗った人もそうでない人もいて、それらを通り過ぎて今思うのは、自分の中に残っているものと、そうでないものがあるんですよね。世間では騒がれたけどピンと来なかったものがある一方で、今も惹きつけられるものもある。そういったものへのファンとしての憧れがありますね。その衝動が僕のものづくりの中心にあり、支えでもあります」
藤津「今日挙がったなかだと、どの作品ですか?」
幾原「TVや映画ならポストモダンかな。
森田監督は、成り立ちや背景が軽やかで、その軽やかさが批判されることも多いけど、その批判までかっこいい」

Q3. 80年代と今とで、アニメの作り方に違いはあるか? 制作面、企画面など

藤津「以前はスポンサーが玩具屋でしたね」
幾原「東映は厳しかった…厳しいところにいたのは良かったと思います」
藤津「厳しくて硬いのに、型破りな演出家ばっかり」
幾原「採用で変なやつを採ろうとするんでせよ。アカデミックな方向で。
以前聞いたんですが、東映は"幅"で採ってるらしいです。僕はどの幅だったのか……」

藤津「スポンサーの違いは大きいですね」
幾原「スポンサーからのオーダーはすごかった。正直、早く他の仕事を見つけてやめいと思ってました。自分には向いてないと」

藤津「製作委員会方式になると、TV局も深く関わってくるようになりました」
幾原「そこは変わりましたね。僕たちの話を聞くのが人たちが90年代から現れたと感じました。世代的なものかもしれない。
メディアもまた変化していて、たとえばテレビ東京はローカル放送でBSもネット配信もなくレンタルだけだったから、それがかえって製作委員会方式を支えました。それで若い人にも企画や制作のチャンスが来ました。それが90年代半ばかな」

幾原「制作の話をすると、作り方自体はセル時代はほとんど変化していません。ただし、
00年代のデジタル化(SD化、HD化)は劇的でした。30年分くらいの変化が一気に起きたと思います。
幾原「実は今、映像デバイスと共に、作り手の環境もものすごい勢いで変化しているんです。デバイスの変化なんか、2、3年先が想像できない」

幾原「今年は、業界人から見ると『君の名は。』『シンゴジラ』『この世界の片隅に』といった、TV局が中心でない作品のヒットが続いています。
これは、視聴者が(作品を)享受するときのフィーリングが変わってきているからのような気がします。ポップカルチャーの意味は、つながることですから」

幾原「現在、かつてないほどパッケージビジネスは困窮しています。作品を作るためのお金が集まらないので、これからの人はより困難になるかもしれない。
一方で、音楽で言うと、CDは売れなくても、みんな音楽自体はかつてないほどよく聞いている。そういう意味で、表現したい人にとっては良い時代だと思います」

シン・ゴジラ 女性限定鑑賞会議 庵野監督ネタまとめ

シン・ゴジラ 女性限定鑑賞会議に行ってきました。

いわゆる応援上映でしたが、凝固剤注入時に一気コールされるゴジラは気の毒でしたね。ヤシオリ作戦はアルハラだったのか。

あと、核分裂によるエネルギー生成に思い当たった尾頭に対して安田が放った「冗談っぽいです」に対して「あんたバカァ?」はなかなか高得点だと思いました。


上映会自体は
東宝宣伝部あいさつ→上映→舞台挨拶(フリートーク後質疑応答)
という流れ。
そのなかで、舞台挨拶(とくに質疑応答)でキャッチできた庵野監督ネタをまとめました。

 

(1)尾頭ヒロミ役 市川実日子さんから

・終始可愛らしかったです(=とくになし)

 

(2)泉修一役 松尾諭さんから

・ペットボトルの水を渡すシーンは台本にはなかった。当日差し込みで入れられたもので、そもそも矢口が怒るシーンすらなかった。差し込みでは「水を差し出す」と書かれており、泉流に解釈した松尾さんが長谷川さんに投げて渡すと、長谷川さんにペットボトルが直撃、より怒らせる結果に。

 

(3)間邦夫役 塚本晋也さんから

・とある台詞について、オーダー通り3パターンほど大興奮する演技した後で「これから本番なので普通にやってください」と言われた。両極端なオーダーをすることでちょうど良い塩梅にもっていく演出術。

・小さい声の役だったので拾えないくらい小さい声で演技をしたところアフレコになった。

 

(4)事務員のおばさん役 片桐はいりさんから

・役名はなかったが、庵野監督に「あなたの笑顔にすべてがかかっている」と言われた。

・台本には台詞もなく、ト書きで「絶妙なタイミングでお茶を出す」とだけ書かれていた。

・結局、撮影直前になって台詞が決まり、3パターンほど撮影した。

 


庵野監督ネタはこんなところです。

登壇者のコスプレあり生セリフありで楽しい回でしたが、バミリを完全に無視して松尾さん側にどんどん寄っていく市川さんはかわいい!

現場からは以上です。

戦コレオンリーお疲れさまでした

戦コレオンリーに参加された皆さま、滅茶苦茶な暑さのなか本当にお疲れさまでした。
初サークル参加で右往左往しましたが、多くの方にご協力いただき、大きなトラブルなく閉会を迎えることができました。ありがとうございました。


◆頒布物のこと

「秀吉寿司」手にとっていただいた方、立ち読みしていただいた方、本当にありがとうございました。読者の方おひとりにつき1ニヤリが目標なので、達成できているとうれしいです。

そして、部数を完全に読み間違えまして、立ち寄っていただいた皆様にまったく行き届かず…具体的には開場後10分で終わりました。大変ご迷惑おかけしました。
初参加は20部も刷ったら多い方とか言ったやつ出てこいよ!

こちら再販予定ですので、詳細決まり次第またご報告します(最速で夏コミ3日目想定)。できれば、挿絵とか追加したバージョンアップとしてお出ししたく。よろしくお願いいたします。

また、全員半額シールかと思われた寿司化武将ですが、こちらも無事全員お持ち帰りいただき、大変ありがたいことです。
SSR秀吉(ただのシャリ)とSSR利休(ただの湯呑み)がよく出ました。

そして、帰宅してから誤植に気づきまして。
二貫目のコメントで家康ちゃんEX回が25話になっていますが、正しくは24話でした。釣りキチ回がなくなってしまう…失礼いたしました。


◆イベント当日のこと

主催の皆さまのご尽力もあり、楽しいイベントになりました。ありがとうございました。

私は戦コレ超後発組なので(しかもアニメのみ)正直どんなもんかなあと思っていたのですが、戦コレ舐めてました。
本当に2012年放映作品かという盛り上がりでしたし、アットホームなのに内輪感がありすぎず、とても居心地良く過ごせました。誰しもが戦コレの話ばかりしている空間すごい…。

まだすべての戦利品を拝んでいないのですが、現状どれもこれも二塁打以上という感じで大変ホクホクしています。原作が「各話が薄い繋がりを持ったオムニバス形式」ということで、余白が大きいぶん二次創作向きなのかも。
そしてそれ以上に、(少なくとも私は)ファン各位の持つ文脈との相性が大変良く、帰ってから「もっといろんな人といっぱい会話してくるべきだった…」と後悔しています。次こそは。というか次お願いします、なにとぞ。


◆今後のこと

元々、サークル活動は戦コレオンリーに記念参加したら1回限りで終了するつもりだったのですが、クリスタとも仲良くなってきたし、諸々勝手もわかってきたので、もう少し続けようかと思っています。

「寿司2(2クール目武将メイン)」「寿司総集編(全武将コンプリート)」という野望はあるのですが、戦コレオンリーでしか出さないとなると完結までに数年かかる可能性が高いので、コンスタントに出せるように検討中です。総集編こそはちゃんと印刷所に頼みたい。

ということで、もう少しサークル「羽二重庵」にお付き合いいただけるとうれしいです。拙いサークル主ではありますが、引き続きよろしくお願いいたします。

戦コレオンリー(サンクリ2016夏)に参加します

7/3(日)に開催される戦コレオンリー「これも戦国ぅ!」に参加します。
スペースはA36b。オンリーの一覧表でやたら上の方に表示されており、緊張します。

頒布物詳細は以下のとおり(6/30更新)。

 

◆頒布物概要

秀吉寿司
※モノクロ20p・コピー本

 

◆お値段

100円

 

◆表紙と見本

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◆内容

秀吉が寿司を握ります。
1期のメインキャラはほぼ出てきます。
各話のプチ感想つき。

 

◆その他

当日は寿司化した武将カードなどを描いたりしていますのでご自由にお持ちください。間に合えばペーパーもあります。

 

 

申し込みの時点では普通にオールキャラギャグ本想定だったのです。しかし、8話関連のネタを考えているときに突然秀吉が寿司を握り始めてしまったので、流れに身を任せることにしました。
好きな寿司ネタは白身魚全般ですが、最近は光物も好きです。

当日はよろしくお願いいたします~。