シン・ゴジラ 女性限定鑑賞会議 庵野監督ネタまとめ

シン・ゴジラ 女性限定鑑賞会議に行ってきました。

いわゆる応援上映でしたが、凝固剤注入時に一気コールされるゴジラは気の毒でしたね。ヤシオリ作戦はアルハラだったのか。

あと、核分裂によるエネルギー生成に思い当たった尾頭に対して安田が放った「冗談っぽいです」に対して「あんたバカァ?」はなかなか高得点だと思いました。


上映会自体は
東宝宣伝部あいさつ→上映→舞台挨拶(フリートーク後質疑応答)
という流れ。
そのなかで、舞台挨拶(とくに質疑応答)でキャッチできた庵野監督ネタをまとめました。

 

(1)尾頭ヒロミ役 市川実日子さんから

・終始可愛らしかったです(=とくになし)

 

(2)泉修一役 松尾諭さんから

・ペットボトルの水を渡すシーンは台本にはなかった。当日差し込みで入れられたもので、そもそも矢口が怒るシーンすらなかった。差し込みでは「水を差し出す」と書かれており、泉流に解釈した松尾さんが長谷川さんに投げて渡すと、長谷川さんにペットボトルが直撃、より怒らせる結果に。

 

(3)間邦夫役 塚本晋也さんから

・とある台詞について、オーダー通り3パターンほど大興奮する演技した後で「これから本番なので普通にやってください」と言われた。両極端なオーダーをすることでちょうど良い塩梅にもっていく演出術。

・小さい声の役だったので拾えないくらい小さい声で演技をしたところアフレコになった。

 

(4)事務員のおばさん役 片桐はいりさんから

・役名はなかったが、庵野監督に「あなたの笑顔にすべてがかかっている」と言われた。

・台本には台詞もなく、ト書きで「絶妙なタイミングでお茶を出す」とだけ書かれていた。

・結局、撮影直前になって台詞が決まり、3パターンほど撮影した。

 


庵野監督ネタはこんなところです。

登壇者のコスプレあり生セリフありで楽しい回でしたが、バミリを完全に無視して松尾さん側にどんどん寄っていく市川さんはかわいい!

現場からは以上です。

戦コレオンリーお疲れさまでした

戦コレオンリーに参加された皆さま、滅茶苦茶な暑さのなか本当にお疲れさまでした。
初サークル参加で右往左往しましたが、多くの方にご協力いただき、大きなトラブルなく閉会を迎えることができました。ありがとうございました。


◆頒布物のこと

「秀吉寿司」手にとっていただいた方、立ち読みしていただいた方、本当にありがとうございました。読者の方おひとりにつき1ニヤリが目標なので、達成できているとうれしいです。

そして、部数を完全に読み間違えまして、立ち寄っていただいた皆様にまったく行き届かず…具体的には開場後10分で終わりました。大変ご迷惑おかけしました。
初参加は20部も刷ったら多い方とか言ったやつ出てこいよ!

こちら再販予定ですので、詳細決まり次第またご報告します(最速で夏コミ3日目想定)。できれば、挿絵とか追加したバージョンアップとしてお出ししたく。よろしくお願いいたします。

また、全員半額シールかと思われた寿司化武将ですが、こちらも無事全員お持ち帰りいただき、大変ありがたいことです。
SSR秀吉(ただのシャリ)とSSR利休(ただの湯呑み)がよく出ました。

そして、帰宅してから誤植に気づきまして。
二貫目のコメントで家康ちゃんEX回が25話になっていますが、正しくは24話でした。釣りキチ回がなくなってしまう…失礼いたしました。


◆イベント当日のこと

主催の皆さまのご尽力もあり、楽しいイベントになりました。ありがとうございました。

私は戦コレ超後発組なので(しかもアニメのみ)正直どんなもんかなあと思っていたのですが、戦コレ舐めてました。
本当に2012年放映作品かという盛り上がりでしたし、アットホームなのに内輪感がありすぎず、とても居心地良く過ごせました。誰しもが戦コレの話ばかりしている空間すごい…。

まだすべての戦利品を拝んでいないのですが、現状どれもこれも二塁打以上という感じで大変ホクホクしています。原作が「各話が薄い繋がりを持ったオムニバス形式」ということで、余白が大きいぶん二次創作向きなのかも。
そしてそれ以上に、(少なくとも私は)ファン各位の持つ文脈との相性が大変良く、帰ってから「もっといろんな人といっぱい会話してくるべきだった…」と後悔しています。次こそは。というか次お願いします、なにとぞ。


◆今後のこと

元々、サークル活動は戦コレオンリーに記念参加したら1回限りで終了するつもりだったのですが、クリスタとも仲良くなってきたし、諸々勝手もわかってきたので、もう少し続けようかと思っています。

「寿司2(2クール目武将メイン)」「寿司総集編(全武将コンプリート)」という野望はあるのですが、戦コレオンリーでしか出さないとなると完結までに数年かかる可能性が高いので、コンスタントに出せるように検討中です。総集編こそはちゃんと印刷所に頼みたい。

ということで、もう少しサークル「羽二重庵」にお付き合いいただけるとうれしいです。拙いサークル主ではありますが、引き続きよろしくお願いいたします。

戦コレオンリー(サンクリ2016夏)に参加します

7/3(日)に開催される戦コレオンリー「これも戦国ぅ!」に参加します。
スペースはA36b。オンリーの一覧表でやたら上の方に表示されており、緊張します。

頒布物詳細は以下のとおり(6/30更新)。

 

◆頒布物概要

秀吉寿司
※モノクロ20p・コピー本

 

◆お値段

100円

 

◆表紙と見本

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◆内容

秀吉が寿司を握ります。
1期のメインキャラはほぼ出てきます。
各話のプチ感想つき。

 

◆その他

当日は寿司化した武将カードなどを描いたりしていますのでご自由にお持ちください。間に合えばペーパーもあります。

 

 

申し込みの時点では普通にオールキャラギャグ本想定だったのです。しかし、8話関連のネタを考えているときに突然秀吉が寿司を握り始めてしまったので、流れに身を任せることにしました。
好きな寿司ネタは白身魚全般ですが、最近は光物も好きです。

当日はよろしくお願いいたします~。

朝日カルチャーセンター「万博から世紀末まで‐僕はこんな作品を見てきた。」メモ(後編)

前回のまとめ:幾原監督の自己形成に影響を与えた作品群の話を聞きに来たと思っていたら、握手会に参加していた…自分でも何を言っているのかわからないがなんちゃらかんちゃら。

 

前半に引き続き、FCイベントの様子をまとm…別にまとめてなかった。
例によって精度は微妙で、抜け漏れミス勘違い聞き間違いがあります。
あとで見出しをつけたいです。このブログはリアルタイムで進化を続けます。
がんばります。

 

ゲスト:幾原邦彦
司会進行:藤津亮太氏、上田麻由子氏(以下敬称略)

 

※実際のイベントでは、話に上がった各作品について、藤津さんの丁寧な解説がついていました。が、そこは参加者のみの特権ということで何卒。藤津さん、本当に良い仕事をありがとうございました!


2. 1970年代から1980年代へ

上田:幾原監督作品には、学園がよくでてきますよね。学園を舞台に選ぶ理由は、当時の生きづらさと関係していますか?

幾原:うーん、僕にとって、学校は居心地が悪い場所だったんです。中高はとくに。今思うと、空気を読めなかったからですね…。

上田:馴染めば生きられるけど、個性が埋もれてしまう…みたいな?

幾原:昔の学校と今の学校はちがうしね。80年代は荒れていたし。学校が荒れているといっても、昔は学生運動だったけど、当時は、校内暴力が話題になった時期だった。政治的にではなく。社会状況がややちがったし。男女雇用機会均等法とかもなかったし、大人になってからの選択肢も狭かった。最良でないルートは不幸で恐ろしいことだと教えこまれていたんです。
あとは、自分がメディアでどうこうできるとは思えなかったですね。今みたいに情報もないし、想像がつかない。メディア業界の状態もちがったしね。当時は政治的な意識がないとやれない世界だった。アウトロー的な気持ちがないと戦えない。
あまり詳しくはないですが、糸井重里の登場あたりで変わったんじゃないでしょうか?彼は、運動後の最初のメディアスター。それまでは各メディアが分離していましたが、ここからクロスメディアが始まっていったんです。

藤津:糸井さんのコピーライティングはインパクトがありましたか?

幾原:ありましたね。広告としての現代アートやグラフィックという言葉が登場しました。それまでは一握りの画家くらいしか食えなかったのが、広告ブームによって現代絵画が注目を集めるようになった。アングラがサブカルとして開花した時代。

上田:影響を受けた具体的な作品は?

幾原:当時、そういう情報はぴあやプレイガイドジャーナルから得ていたんです。すべてそこに書かれていたんですよ。そこで過去の映画やATG映画をみた。寺田修司なんかもそのタイミングでみて、衝撃を受けた。世間は偶然の好景気なのに、その流れとまったくちがっていたから。ビデオとかなかったから、10年前のものをライブラリとして見ていたんです。映画を見るときは、名画座や映画祭が頼りだった。そのぶん、映画1本の体験がものすごく大きかったんです。

藤津:一期一会でしたね。

幾原:「田園に死す」とかね。放映時は子供だったので、ついに見た!という感じだった。大学学園祭の映研でみたんですよ。誰も見てない映画を見てる、俺インテリ!俺すごい!みたいな。

藤津:埋まり具合はどうでした?

幾原:半分くらいかな。でも、高校生は俺くらいだ!って。評価前提の退屈なものが多い中で、全部口で言うスタイルのわかりやすい映画だった。結局、寺山氏は運動に興味があったのではなく、それを利用していたんじゃないかな。「書を捨てよ町へ出よう」は浅間前だから、運動は続いていくのかという雰囲気だったが、田園〜の時には、運動は過去のこととして追体験している。

藤津:しびれました?

幾原:運動の総括ですよね。運動のヒーローやメディアの虚構を描いている。田園〜の美術監督粟津潔氏)が自分の大学の先生だつたんです。書籍カバーの初代デザイナー(装丁家)。装丁家は、当時一番目立つグラフィックデザイナーでした。粟津さんがいなければ自分はなかったですね。
田園〜のテーマはわからなかったですが、映像としてはすごいと思いました。

上田:少女漫画は読まれましたか?

幾原:最初に読んだのは、「トーマの心臓萩尾望都)」か、「おでんぐつぐつ(弓月光)」のどちらか。当時は(70年代前半)は、「がきデカ山上たつひこ)」や「トイレット博士とりいかずよし)」が良かった。楳図かずおとか持ってきてクラスメイトの女の子と交換していたが、少女漫画はデリケートなことが書いてあるなと。「風と木の詩竹宮惠子)」とか読みました。
一時期同居していた年が近い叔父が、彼女の別冊マーガレットを持って帰っていて。「いつもぽけっとにショパン」を読んで衝撃を受けました。青年誌はなかった時代です。ビッグコミックくらいかな。少女漫画って恋愛だけかと思っていたら、母との確執の話だった。少女漫画の表現の幅広さのディープさ驚きました。少年漫画は殴り合いじゃないですか(笑)少年漫画は文学的だなあと。少女漫画を体験した時期は、今の感性をつくった時期でもありました。少女漫画を読まなかったら、今の自分はないですね。

上田:田園〜はテーマはよくわからなかったということでしたが、僕探しの話とも言えるかなと思います。こういったテーマが増えた時代ではないでしょうか?

幾原:寺山氏の映像(映画やドラマ)は、運動とズレていて、僕探しの話なんですよね。今思うと氏も浮いてたんだ。彼は、運動前後であまり変わっていないんです。一方で、運動直撃世代に僕探しを突きつけたのが、村上春樹では。
ノルウェイの森」までは、変な小説を書く人という印象でした。ファンタジーなのかなんなのか…。
村上春樹作品は読んでいましたが、はじめてちゃんと読んだのは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。ライブラリとして読みましたね。よくわからなかったですが…。 評論くさいのであまり言いたくないんですが、彼も運動世代なのかも。あんなに熱狂していた自分たちはどうなったのか、あの熱狂は夢だったのか?では、今の自分と昔の自分と、どちらが夢だったのか?「羊をめぐる冒険」などは一緒に熱狂していた友を探している、それによって本当の自分を思い出すというストーリー。一方で、世界の終わり〜は、自分を探していく話ですね。そもそも、村上春樹作品は現世とあの世と往復するような話が多い。

上田:世界の終わり〜はいろいろな作品に影響したといわれますが、幾原監督も影響を受けましたか?

幾原:直接的な影響はあまりないんじゃないでしょうか。
ピングドラムのときは、ちょうど「アンダーグラウンド」が出た時期でした。これを読んだときは、衝撃を受けましたね。この作品では、自覚的にフィクションの力を試そうとしてる。村上さんが探ろうとしているのは、同時代感や共通認識を確認するという作業なんです。今までは無意識に行っていたであろう"読み手との共感"を獲得しにいった。自分たちとしては、運動は歴史でしかないんです。一方で、地下鉄サリン事件は、自分たちの世代がしたこと。終末ブームに超能力だとか言っていた自分たちにとって、政治運動にかわって新しく熱狂できるもの。そして、サブカルとして若い人の遊びだと思っていたもの。そうしたものが、とても深いドグマをもっていた。しかも、それがとても暗い形で世の中にでてしまった。後ろめたいことでした。
サブカルといって持て囃しておきながら、漫画やアニメといった、自分たちが好きでピュアだと思っていたものが汚されたような気がしたんです。しかも、それらについてメディアがまったく語らず、光を当てず、むしろ嫌悪を伴う語り方しかされない…そんな空気がでてきたのが気になっていました。

藤津:運動世代は自分達の熱を作品に反映してきたのに、95年のことは誰も語らなかった。

幾原:村上春樹はそこを語ろうとしたのがすごい。自分世代の幼児性から目を背けずに、それを語ろうとしている。読者に届けようとしている。

藤津:幾原監督自身は作品をつくるときに、そういう意識がないといけないといった感覚はありますか?

幾原:寺山修司の影響からか、そういうところはありますね。はじめは、寺山修司のいう「同時代体験」の意味がわからなかったんです。フィクションは同時代体験として消費されないと意味がないということが、村上春樹の登場によってわかるようになってきた。

上田:「コインロッカー・ベイビーズ」は?

幾原:村上春樹と比べると、村上龍のほうが現代的でエッジィ。だが、猛烈に古くなる。その時代には衝撃があるんですよ。
聞いたことなんですが、子供捨て自体は、戦後すでに社会問題だったそうです。けれど、コインロッカーは、それ自体が高度経済成長期を象徴する近代的な装置。そのなかに、いまだに子供が捨てられるというギャップの衝撃がありますね。

上田:幾原監督作品ファンとしては、双子モチーフが気になります。

幾原:本来同じ境遇である2人に変化が訪れて、立場が逆転していく話には惹かれますね。

上田:関係性が変わっていくという点では、「戦場のメリークリスマス」もそうですね。
幾原:この作品はすごいですよね。当時はよくわからなかったけど、大島渚は自分の世代を統括している。二・二六事件で死に損なったという設定は、大島渚の自己を反映しています。自分は運動で死ぬつもりだったが、死に損なった。が、デビッド・ボウイに一目惚れして、キスされて失神してしまう(笑)西洋文化に触れて翻弄されるというのもメタファですよね。夢のような作品ではあるけど、西洋の人からみるとどうなんでしょうね?デビッド・ボウイにキスされて失神する日本人とは…。まあ、大島渚がそれだけピュアで本気なんでしょうね。
この映画では西洋に対するあこがれがみられますが、これ以降の高度経済成長期からはその機運が消えていく。

上田:1年前にはブレードランナーが公開されました。

幾原:あの映画では、欧米が描く未来都市にソニーとかの広告が貼ってあって、欧米が日本を意識している!と驚きましたね。アメリカだとアジアは一括りですし。

藤津:原作(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?フィリップ・K・ディック)からは離れているので、チャイナタウンのイメージでしょうね。

幾原:高校生のとき、タイトルにひかれて原作を読んで衝撃を受けました。意味は分からないが、テクノロジの描写はすごいなと。でも、今のほうがすごさがわかる。インターネットの出現などを予言していますからね。

上田:共感ボックスなんかはおもしろい装置ですよね。

幾原:キリスト教的な考えですよね。そういうものでもないと気持ちが落ち着かないと。原罪を毎日意識しないといけないくらい不安定な社会なんです。
この社会では、人間とアンドロイドを区別するために、フォークト・カンプフテスト(感情移入テスト)をしています。人間とアンドロイドの差は、他者に感情移入するかどうかで判定されるんですね。
また、僕は映画が原作を超えたと思っている点があるんです。それは、原作では「人工物が人を超えることもあるかもね」という終わり方だが、映画では「人工物がヒトと同じところまで到達する」。
ディックの別作品では「日本はオリジナルのものをつくってこなかった。中国のものをつくり直してるが、それは本物を超えている。イミテーションがオリジナルを超えることもある」という話をしています。
では、我々は何を拠り所にすれば良いのか? インターネットやSNSでは、本物かどうかではなく、インパクトで選別されている。今、ディックの考えていた世界に近づいているのかもしれません。

◆3. まとめの質問

藤津:時代と表現者の関係について伺います。やはり、今日のお話を伺って、時代背景は表現者にとって意味があるなと。時代の中で書かれたものには思いの一部分が乗っていて、表現者はこの思いから逃れられず、また作品にとっても不可欠なのでしょうか?

幾原:最近は、さらにそうなっているのでは。バブルと高度経済成長期だった80年代にはアキラが出てきて、倒れないはずのビルがガンガン倒れていく。高度経済成長期に怪獣が暴れてビルが倒れるのは、あくまでファンタジーでした。それが、95年の事件や震災によって、みんなの意識が変わったんです。ビルの倒壊はリアルになった。
昔、自分たちがうんちくを語れるコミュニティに入るには、ぴあのような入り口が必要でしたが、今は同時変化的になってきています。
また、昔のエンタメは夢やドグマを吹き出すものでしたが、今はエンタメが自分たちの気持ちと近いところにあります。
今だと、壁なんかが頻出のテーマですよね。トランプ候補が壁を作ると言い出したり、とかイスラエル(の分離壁)なんかもそうです。そんななかで、アニメなんかのフィクションには、壁のビジュアルが登場している。これにはきっと意味がある。

藤津:ユリ熊嵐にも壁が出てきますよね。あの壁を入れたのは、ロジックから?感覚から?

幾原:あれは狙っていれました。乗ってかないとと思って(笑)

藤津:意味があるものだと。

幾原:壁があったほうがいいのか、ないほうがいいのか、その向こうからは何が入ってくるのか。
90年ごろから、ゲートという概念が流行りましたよね。異次元・異世界へつながるゲート。これは、グローバル化で物流により人々の意識が、変化していることを表現している。

藤津:現実をダイレクトに扱わずにメタファとして表現するには、アニメが向いているのかもしれませんね。

幾原:アニメはそういうことをしてきましたらからね。

藤津:時代性は意識しますか?

幾原:しますね。たとえば、ヤマトは戦争の追体験ですよね。一方で、見てる側には閉塞感があった。地球を救うという使命、生きている意味がある世界は、ロマンチックだった。
今ではいろいろな選択肢がありますが、ヤマトにおける"使命がある喜び"は伝わってきた。作り手である自分は、寂しいと思っていたんです。運動人をうらやましいと。人々と思いを共有していて、しかも政治の話をしてモテたなんて(笑)
それが高度経済成長期になって、いい服だのクルマだの、マニアックな自分には辛い時代だった(笑)テーマがなかったんです。破壊したいといったテーマが出てきたのが80~90年代あたりで、それが点火したのが95年。最近だと、SNSの登場で意識が変わってきてるなと思いますね。

藤津:じゃあピングドラムは正面からいったんですね。

幾原:メディアに干されたからね(笑)
真面目にやろうと。そのままだと、企画が通らなかったりしましたしね。

藤津:残響のテロル監督の渡辺信一郎さんは、運動への決着を意識されているようですね。背負ってるのかもしれない。

幾原:どうですかね。太陽を〜なんかは、古くなったかもね。95年のように、現実でカタストロフィがあると、夢における破壊が意味をもたなくなってしまう。
ピングドラムなんかは、311でかなり揺さぶられました。破壊衝動を扱うのが、不謹慎だと思った。商業作品として発表することに、いやらしさ、後ろめたさを覚えた。だから、ピングドラムは途中で大転換しています。当初は、もっとピカレスクな感じでした。負の破壊衝動のような、メディアが扱わないことに対するジレンマを払拭してやると思っていた…そんなタイミングで311があったんです。

藤津:それを聞いて納得しました。ピングドラムでは、途中で事件の扱いが変わって方向転換していますよね。


質疑応答

Q. 芸術関係に進みたいが(略)どういうことを意識していけばよいか?

幾原:自分からはアドバイスはできない。僕は、若い人の世界からはズレてしまっているんです。僕らはテレビの時代で、マス的に見せていっていました。でも、今は僕らが最先端ではない。そんななかで、これからどうしたら現代アートをみんなに見てもらえるようになるのかはわからないです。昔、糸井重里がテレビをうまくつかんだようなことができれば。

藤津:岡本太郎もそうですね。

幾原:これからテレビがどうなるかはわかりません。自分が意識しているけど実践できなくてジレンマを抱えていることがあって。人に言われたことなんですが、今までのメディアは、大々的に告知されて、上から降りてくるものだった。今は、そういうものも多いけど、むしろ下から上がってきています。その上がる方法や装置─今ならSNSなんかだと思いますが─それもいつまでからわからない。

藤津:時代を反映するものとしては幸福感も挙げられますが…そのへんはいかがでしょうか?

幾原:僕はイーストウッドが好きなんです。彼は、最新作(アメリカンスナイパー)で、ついに自分がやってきたことに気づいたんです。
彼はマカロニウェスタンから入って、刑事モノをやって、西部劇をやって…晩年になって、やっと、全部銃だと気づいたんですよ。彼の作品は、撃つか撃たないかに集約されてきた。その時代によってモチーフやドラマは変わりますが、中心にはいつも銃の有無や撃つかどうかがあるんです。
彼は、アメリカ人は銃を持つのが宿命だと思っているのかもしれません。アイデンティティの根幹としてね。絶対に銃を手放さないのがアメリカ人の原罪で、その運命をかいたのがアメリカンスナイパーではないでしょうか。銃規制に関する政治的なテーマは実は後付けで、アメリカ人としてのアイデンティティを追求した結果、アメリカンスナイパーに行き着いたのかも。

藤津:時代は、自分の外側だけではなく内側にもあるんですね。

幾原:世代のちがいはあるにせよ、僕らは日本に暮らしているということからは逃れられない。それがどういうことなのかを追求するのもテーマなのでは。戦中戦後も日本人であるということにはかわりはないんです。

Q. 岡本喜八監督の影響はありますか?また、ユリ熊嵐の「透明な嵐」といった独特の言語感覚はどこから来ましたか?

幾原:岡本さんはあんまり見てないかも。ライブラリとしては見ていますけどね。
また、セリフに関しては考えますね。

藤津:メモをとったり?

幾原:思いついたら、スマホのメモ帳に書くんです。早くすりつぶさないと、とかね。今のスマホには、2009年くらいからのものが残ってますね。

藤津:見直したりしますか?

幾原:見直すというか、癖ですね。

藤津:今回の企画について監督に話したら、影響を受けた作品リストのメモがパッと来たんですよ。

幾原:あれも、わざわざ書いたのではなく、メモを送ったんです。ネットをザッピングしながらメモするのがいいですね。

Q. 幾原監督作品が長く愛されるのはなぜでしょうか?

幾原:うーん、長く愛される作品を狙ってつくるのは無理ですね。高い評価があっても、次の作品がつくれないとね(笑)評論や評価は、あまり気にしたくないですね。その壇に乗ることで、足を取られたくない。ATG映画とか、評価のための映画がトラウマなのかも。もちろん、褒められたらすごくうれしいけどね。

藤津:普遍性は意識されますか?

幾原:わからないですね。意識してできるのかな…?そうとしかやれないので、癖なのかも。僕にラッキーがあるとしたら、その作品(のテーマ)が、たまたま今まで続いてる空気なんだろうな。
ライブラリ化された作品が求められるのは、昔の話だと思っていました。少なくとも僕らの世代は狙ってはできないですね。

藤津:時代を超えるかどうかは、読者次第かもしれないですね。

幾原:メディアの状況もありますね。ビデオとか配信とか、僕らの時代とはちがいますから。今は、リアルタイムのものと、ライブラリを並列で見ますよね。

 

わたしのメモは以上!以上です!

読破された方、イベントに参加された方、わたし、お疲れさまでした!


2016/04/25追記:岡本喜八監督のお名前に誤りがあったため、修正いたしました。失礼いたしました。

朝日カルチャーセンター「万博から世紀末まで‐僕はこんな作品を見てきた。」メモ(前編)

幾原監督ファンクラブの皆様、お疲れさまでした。

藤津氏による最高の司会進行により、メモを取る手が攣るほど饒舌な幾原監督が見られる大変貴重な機会でしたね。

120人近くの大入りで大変良い体験でした。

 

例によってメモをとりましたので、アップします。例によって精度は微妙で、抜け漏れミス勘違い聞き間違いがあります。

 

これはレポートなのか?メモなのか?
テーブルの上のお菓子がパンなのかパイなのかは食べた人しかわからないように、これがレポートなのかメモなのかは、読んだ人にしかわかりません。

 

ゲスト:幾原邦彦
司会進行:藤津亮太氏、上田麻由子氏(以下敬称略)


※実際のイベントでは、話に上がった各作品について、藤津さんによる丁寧な解説がついていました。が、そこは参加者のみの特権ということで何卒。藤津さん、本当に良い仕事をありがとうございました! 


◆イントロ

幾原:(挨拶)今日は自分の作品ではなく、自分の世代が体験してきたカルチャーを紹介。マニアックな話などしていければと思います。

藤津:まず、幾原監督にお話を聞こうと思った動機についてお話します。
ユリ熊嵐のイベント用パンフレットのインタビューで、作品は時代を映す(地球へ…など)という話が出たのを覚えていたんです。
また、他のプロデューサーと、見ていた作品・見なかった作品は年齢によってちがうという話もしていて、監督がどんなものを見て自己形成してきたのかを聞きたいと考えました。

 

1. 1960年代から1970年代へ


藤津:まずは、生まれてからのメディア体験について伺います。生まれてから、見て・覚えている映画やTVはありますか?

幾原:一番古いのはキャプテンウルトラ小林昭二氏時代)ですかね。次はウルトラセブンかな。アンクルトリスのアニメーションだった、トリスのCMも覚えています。僕は最初からTVがある世代でした。爆発的にTVが普及し終わって、変わっていく時代が子供時代。映像メディアが変遷していく時期ですね。50年代は映画が主流で、60年代にTVが普及するに従って、そちらにに移行していきました。映画が斜陽になったというよりは、楽しみ方が変わっていく。
50年代のTVはドラマが中心でした(ニュースはあるけど、報告メイン)。映画とTVの差は、同時代性ですね。TVは、そのとき起こったことを伝えられる。

藤津:映画は公開までに時間がかかります。一方で、TVはスポーツ中継などが人気で広がっていき、リアルタイムがあたりまえになりました。

幾原:見たTVの話を学校でするというのも、今までとはちがう体験ですね。

藤津:TVはみんなの共通体験になりやすいですね。小学校で楽しみだった番組は?

幾原:普通普通。ブームもあって、怪獣好きだったので。仮面ライダーとか。あと大きいこととしては、小学校までは白黒だったテレビが、70年代になってカラーテレビに。爆発的に普及しました。

藤津:初任給の10倍くらいの値段でしたね。カラーテレビは70年をすぎてから普及してますね。75年で90%。

幾原:急激な変化でしたね。今思うと。

藤津:映画はどうでしたか?

幾原:最初に見た作品は覚えてないですが…
アニメ:空飛ぶゆうれい船(1969年7月20日公開。東映まんがまつり)
実写:怪獣総進撃(1968年8月1日公開。東宝チャンピオンまつり)

藤津:徳島でご覧になったんですか?

幾原:ちがいますね。父の転勤の都合で、いろいろ地方をまわっていました。各地の駅前映画館などで見ましたね。70年代には減少していましたが…。

藤津:鮮烈に覚えていることはありますか?

幾原:まんがまつり、チャンピオンまつり以外だと、大人に連れて行かれずに子供だけで入った初めての映画は「日本沈没」でした。特撮があって子どもたちの間で話題になっていて。話は超アダルトで話がわかりませんでしたが(笑)

藤津:終末ブームでしたね。

幾原:みんなの意識から、「戦後」が薄くなってきた時期にあって、「日本沈没」なんかは、戦後を思い出させる映像でした。

藤津:ノストラダムスは?

幾原:流行りましたね。

藤津:わくわくしました?それとも、未来を悲観しました?

幾原:子供の頃は、99年は遠いと思っていました。そして、自分には間違いなく子供がいると思っていた…終末が来ることを子供になんて伝えようか…と思っていましたが、大きく予想と違いました。
ゴジラヘドラなんかは、公害問題の最中で出てきた作品でしたね。今は中国の郊外なんかがいわれてますが、日本があんな感じだったんです。川なんか汚かったですね。

藤津:60年代は公害問題が多かったですね。そんな流れから、万博のテーマは進歩と調和に決まりました。

幾原:ゴジラなんかは公害ネタですよね。トラックに子供がはねられて亡くなったりしていました。

藤津:合唱のチコタン - Wikipediaって知ってますか?交通戦争がテーマで、チコタンは最後は交通事故で死んでしまうんですが。そういうことに社会的関心があった時代なんです。監督は公害の実感はありました?

幾原:今と比べると、自分のすぐそばをトラックがすりぬけていってましたね。すごく危なかったです。

藤津:中学時代はどうでしたか?

幾原:ヤマトがでてきたころですね。そこまではテレビ漫画と言われていて、アニメという言葉がなかった。手塚さんはアニメーションと言っていましたが「アニメ」が認知されるようになったのはヤマトですね。推測ですが、オリジナル作品だったので「アニメーション」と呼ぶのに抵抗があったのでは。

藤津:正解ですね。ヤマトのPは宣伝の戦略上、子供向けではないことを意識して「アニメ」という言葉で売り出そうとしたそうです。

幾原:それまではアニメは子供向けのもので、中学になったら見なかったんですよ。あしたのジョーなんかはスポ根だったし、ちょっとちがう文脈ですね。いわゆるオタクが観測されたのもここからでは。
ヤマトを見て、まだ漫画やアニメを見られる!見ていいんだ!と感じた。当時はヤマトかヤマト以外かというくらいだったんですよ。作品のディティールについて考えるようになったのもそこからで、マニアックに映画を見るようになった。
また、小6で始めてみた映画がジョーズでした。それまで外国映画には興味がなかったんです。宇宙船や怪獣が出てこないと映画体験ではないなと。そこにきて、ジョーズは怪獣がでてくるわけです。画期的な映画だったし、スケールの大きさにびっくりした。一般的にも、これを着にハリウッド映画が流行るようになりました。

藤津:そこからスターウォーズがでてきますね。

幾原:宇宙船ですね。

藤津:映像の仕事については意識されていましたか?

幾原:まあ、怪獣映画を撮ったら、毎日ぬい見られるじゃん!というあこがれはありましたね。でも、自分がその仕事につけるというリアリティはなかったです。

藤津:万博の影響は?

幾原:大きかったですね。自分にとって、オリンピックは過去のイベントですが、万博は世間を席巻していた。メディアジャックくらいの勢いでした。

藤津:国家をあげてですからね。

幾原:当時はディズニーランドなんかもなかったですし。テクノロジーをあつめたパビリオンは初でした。
あのパビリオンは、当時の子供の本に載っている未来都市の造形に近かった。そういう狙いのデザインだったらしいですしね。高度成長とイメージがリンクしています。

藤津:幾原監督にとっての時代の転換点はいつですか?

幾原:60年代後半のヌーベルバーグ運動で、映画が斜陽化しました。70年代は、学生運動で不穏な状況。60年代後半には、映画は大衆への娯楽だけではなく、若い人がコミュニティを形成するための場所になった。自分はウルトラセブンしか見てませんでしたけどね。
学生運動は急速に終わりました。経済も成長もあり、良い生活をするのにいっぱいいっぱいだった。想像ですが、いわゆるサブカルという言葉が登場したのではこの頃なのかもしれませんね。カルチャーではなく装置だった映画や演劇が、運動と関係なく、装置そのものを楽しむというふうに捉え方が変わった。同じ映画でも、サブカルとして評価しているものと、60年代のものは意味合いが違うんです。

藤津:政治ですからね。(略)監督に挙げていただいた作品が、「太陽を盗んだ男」。

幾原:監督やスタッフが運動の人だった。アイドルに、自分たちの意見を代弁させようとしたんです。今度こそ運動で勝つんだ!という、世代の総括を娯楽でやっている。

藤津:時代の変化がつまった作品ですね。

幾原:ロマンチックですよね。娯楽だけの映画やマニアックな映画ともちがう。
60年代は、評論としての作品が出てくるんです。語るために、おもしろくないものをあえて作る。この作品はなんか難しいけど、徳があるのでは?みたいな…。そんな流れのなかで、あえてエンタメをつくったのが太陽を盗んだ男

藤津:日本映画に苦手意識を持つ人の多くは、この年代の印象が強いのかもしれないですね。

幾原:ヌーベルバーグによって、若い人とメディアの意識が一体化した。それが70年代でズレていって、二極化した。
角川映画が登場したのがこの時代。角川映画のすごさも説明しづらいが…一番の違いは、テレビとの関係性です。これまでの映画は、テレビを敵として触れないようにしていた。しかし、角川映画は、タイアップなどでテレビを利用するようになった。横溝監督は、ビジュアルが土着的なんです。ビルが立ち並ぶ高度経済成長期にも、みんなが過去(戦中戦後)のものだと思っていた家族のしがらみがあるということを思い出させる。メディアは戦中戦後をひきずっていて、総括して語りたがっているのでは。

藤津:ヤマトのPなんかは戦中派。40代くらいになった彼らが、戦争というファクターを入れたがりますね。

幾原:山口百恵のドラマでもマンションからの引き上げとかあったけど、今思うと、あれはメディアマンが視聴者と繋がれるテーマだった。戦争がなんだったのかということは、メディアにとって大事なテーマなんです。たぶん、視聴者からのリアクションもあったでしょうし。そういう点では、太陽を盗んだ男は安保戦争をテーマにした最初の作品ですね。

藤津:みんなの共通体験から、個人的な話に変わっていく。

幾原:個人的には、少女漫画のベルばらはフランス革命の話ですよね。これは推測ですが、池田さんは運動の世代ではないでしょうか?60年代に学生であれば、運動を身近に見てたのでは。男装をし、革命することでその決着を漫画で付けようとしたのではないでしょうか?現実がメタファーになっているのではないかという解釈をしてますね。
※原作者回想録の裏付けあり

ヤマトガンダム時代としては、「地球へ…」もあげられます。こちらは、学生運動とはちがって初代金八先生の時代。偏差値教育が導入されたころです。学生運動が終わって、社会を攻撃していた子供が、大人に管理されて仕分けされる世界になった。選別される管理社会を舞台に学生運動のエネルギーを転写しているのではないでしょうか?革命のロマンの話ですね。

 

なんかほんのりウテナっぽいキーワードが出てきたところで後編へつづく…

LIVE GALAXY 2016 かってに授賞式 ─FRONTIER編─

LIVE GALAXYお疲れさまでした&ありがとうございました記念2日目。
例によって全曲網羅すると長いので、セットリスト順ではなく、曲単位・部門ごとにふりかえります。
やっぱり初参加のGAMES青と直近のADVENTUREの影響が大。



歌唱&演奏部門:少年

とにかくチェリボコーラスが素晴らしく、ゾクゾクしました。
ADVENTUREから僕らの未来最高連呼していた甲斐がありました。
歌が円熟味を増すなかで、チェリボコーラスとの相性が良くなっていったというようなことがあるのかしら。



この流れ最高部門:禁断のレジスタンス → Synchrogazer → BRIGHT STREAM

ステージに立っているのは「歌手・水樹奈々」ですが、この3曲は「声優・水樹奈々」のFRONTIERでもあるのだと感じました。
クロスアンジュでは、革命を起こしたアンジュと同様に、声優としての先入観を壊すような演技をみせてくれて
シンフォギアシリーズでは、完璧超人なのに乙女な一面もある翼さん人気も大いに手伝って第5シリーズまで繋げてくれて
劇場版リリカルなのはでは、二度目のフェイト&アリシアを演じて2004年からどれだけ経験を積んできたのかを披露してくれて
単なるアニタイ3連発というだけでなく、歌手としても声優としても作品への愛情と感謝を忘れない姿勢を感じて、とても染みました。
奈々ちゃんを好きになれて良かったなあと思うのは、こういう瞬間。



FRONTIERで聞けて良かった部門:禁断のレジスタンス、愛の星、NEXT ARCADIA

禁断のレジスタンスは、クロスアンジュが好きだから。俺たちの加藤裕介!次は熱情のマリアも待ってるぜ!!!
愛の星は、テーマにぴったりで、かつ最近良さがわかってきた曲だから。
NEXT ARCADIAは、なんだかんだめちゃくちゃ盛り上がるのと、GAMES青の思い出があるから。そして甲子園はアルカディアだったのだ。

逆に聞きたかった曲としては、PHANTOM MINDSに1票。
頻度の問題かもしれませんが、最近はBRIGHT STREAMより破壊力が高いです。
あと、時季的にAngel Blossom当確だと思っていました。しかし、誰も桜とは言ってないぜ!



演出部門Synchrogazer、Astrogation

どのアニメOPでもタイトルが出る瞬間が大好きなのですが、Synchrogazerはまさにそのとおりで、バックスクリーン(?)にタイトルが出たとき鳥肌が立ちました。そしてレーザー祭りは問答無用でテンションが上がる。
また、FRONTIERでは2階席だったこともあり、Astrogationでは心地よい浮遊感に包まれました。階下では青のペンライトが、天井とバックスクリーンには星々が映し出されていて、文字どおり銀河に連れてきてもらった実感がムクムクと。
あと、BRIGHT STREAMを白と紫の照明にするのは私に効きます。本当に。



最優秀賞:VIRGIN CODE、Astrogation

Astrogationは、前述のとおり「GALAXYに連れてきてくれた」ので。
VIRGIN CODEはですね、大の大人がこんなに泣くか?というくらいダメでした。自分でもビックリしました。
この曲自体はアニタイでも何でもないのですが、ADVENTUREにおけるFLIGHTリベンジ3公演最後の鳥取公演で、ダブルアンコールとして歌われました。当時の客席の熱量はかなり異常で、狂っているという表現がしっくり来る感じ。私もリベンジ完走自体に感動と興奮はしつつも、熱に当てられて呆然とした心持ちで会場を後にしました。

しかし、このときから間違いなくVIRGIN CODEは特別な曲になりました。

「77歳まで歌い続ける」と言ってきた人が一度は病気ですべてを奪われて、
それでも残りの公演を決してあきらめなくて、
翌年のツアーでは1公演1文字の石版コーナーなんていう自分への発破としか思えない企画までつくって、
そして1年越しのリベンジも無事成功に終わって…
ADVENTURE鳥取のMCでも言っていたとおり、そんな折れても立ち上がる強さと、新しい始まりを思わせる歌詞がピッタリで、鳥取公演で歌いきれずに溢れた涙を思い出します。

でも、東京ドームでは最後まで笑顔で歌いきってくれました。

ただリベンジするだけでなく、過去最大の会場で、悔し涙も感涙も乗り越えて進化した瞬間に立ち会えて、胸がいっぱいでした。
…というように、無闇に背後のストーリーを妄想して泣いたりします。最近感激屋になった気がするんだよな~。



備考

初回収曲:Mr.Bunny!
※SMASHING ANTHEMS除く

LIVE GALAXY 2016 かってに授賞式 ─GENESIS編─

LIVE GALAXYお疲れさまでした&ありがとうございました記念。
全曲網羅すると長いので、セットリスト順ではなく、曲単位・部門ごとにふりかえります。
初参加のGAMES青と直近のADVENTUREの影響が大。
部門は適当に決めたので、いつの間にか増えているかもしれません。



歌唱&演奏部門:deep sea

GENESISのMCまたはイントロドンで腰が砕けたのは、deep seaとTake a shotでした。
自分が盛り上がっている時間が長いなかで、聴覚にじっくり集中できたこともあり、授賞。
ミドルテンポに好みの曲が多いのと、ここ最近の歌い方がとてもしっくり来ているので、このあたりをガシガシ攻めていってほしいです。
アンビバレンスも良かった。


演奏とは関係ないですが、今回のdeep seaやADVENTUREのSTAND・Nocturneみたいなミドルテンポの逆光照明は至高。



この流れ最高部門:Pray → innocent starter

全体的にアップテンポ多めのセットリストにおいて、イノスタをどう組み込むのかは課題だった…と妄想すると、これ以上の方法はないかと。
CASTLEのMCがなのは厨絶対殺すマンだったので、二度同じ入りをすることはないと思っていました。が、ここまでとは。
奈々ちゃんのライブに行くたびに、リリカルなのはへの感謝と愛情をより深く感じます。



GENESISで聞けて良かった部門ETERNAL BLAZE、Orchestral Fantasia

ETERNAL BLAZEは初めて奈々ちゃんを知った曲、
Orchestral Fantasiaは初参加のGAMES青の1曲目、
というあくまで個人的な理由により選出。わたしのGENESISはこの2曲だ!

逆に聞きたかった曲…はちょっと思い浮かびませんが、東京ドームでJET PARKは楽しそう。
でもGALAXYっぽくはないし、SUPER GENERATIONが楽しかったから良いのだ。



演出部門:フリースタイル

フォーエバー・マジカルガール。
曲ともピッタリで、演出というか飛びモノとして大好きでした。衣装はここか最終ブロックのイエロー&ホワイトドレスがいち押し。
しかし、初日はメインステージが近くて演出が見えづらかったですね! いや~残念だったな~いや~

 

閑話休題
エゴアイディールは曲調のわりに極めてシリアスな曲だと思っていたのですが、えらくカワイイ演出でびっくりしました。
ああいう曲を100%前向きで歌うことに意味があるのかもしれない…?



最優秀賞:POWER GATE

私には想像もつかないような苦難をいくつも乗り越えてきた奈々ちゃんが、広いステージを駆け回り笑顔で歌っている…そんな姿を見ていると、いつもなぜか泣きそうになる曲。その気持ちがADVENTUREでMAXになってしまって毎度がんばれなかったのですが(大阪初日とか死んでいた)、GALAXYでなんだかがんばれるようになってきた気がします。
また、初参加のGAMES青で歌われたときはどんな立ち位置の曲なのかわからなかったけれど、笑顔に包まれた西武ドームの光景を見て「次のツアーも参加してみよう」と思わせてくれたのもこの曲でした。
などと思っていたらGENESISの銀テにPOWER GATEの文字があるしさ~泣かせるなよ~~~!!



備考

初回収曲:フリースタイル、deep sea(原曲)、BE READY!
※SMASHING ANTHEMS除く



FRONTIER編につづく。