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LIVE ZIPANGU 2017 演出こねこね スタジアム編

LIVE ZIPANGU 2017 埼玉 初日お疲れさまでした。

今までは初めて参加する冬ツアーたのしー!って感じでしたが、ここに来て「チーム水樹、このツアーに賭け過ぎでは?」というくらいパワーを感じております。

 

さてさて、アリーナとホールモードで終わりかと思いきや…スタジアムモードで思った以上に変更点があったり、今になって気付いたことがあったりで、改めて感じたことなどまとめていこうかと。

 

◆あなたこそがチェリボナイト 〜渡辺格さんおかえりなさい〜

いきなり演出の話じゃなくて恐縮ですが、イタルビッチ復活お待ちしてましたありがとうございました。
惜しまれつつもしばしお休み期間だった格さんが本編ラストにて参戦。しかも復活の狼煙となる曲がミュステリオン……MCなしでいきなりモニターに映ったため、絶叫の後曲の前半を棒に振りました。
その次の枠はDon't be longかと思いきや、意外にも初出のSCARLET KNIGHT

 

格さんのことじゃん……。

 

と妄想しながら聞いていましたが(こじつけ過激派)、モニターに格さんの名前が出たとき赤文字だったことに気づいてダメでした。
※ちなみに、ヒメムラサキから登場のアニキは紫文字。

 

しかし、Twitterでも「早く奈々ちゃんの隣でギターを弾きたい」とおっしゃっていた格さんへの回答が「導いて僕を…Endless light」とは……。

 

格さん完全復活(フル参戦)の日を心待ちにしています。出雲大社で実現しちゃうかもしれませんが。

 

◆花のはなし 〜蓮花に生まれ曼珠沙華へ〜

今度こそ演出の話を。

 

アリーナモードの時から花を上手く使ってるという印象はありましたが、スタジアムモードではそれがより顕著になりました。

 

まさか、オープニングを変えてくるとは。


アリーナモードでは椿のような花弁厚めの花だったのが、なんと蓮花に。何層にも渡る花が開いていくのは、それだけで見応えがありました。

 

わざわざ蓮花に変わったからにはいろいろと考えたくなるわけですが、なんといっても蓮花は仏教における象徴的な花。調べてみても、多彩な意味合いがあるようです。

 

よく聞くのは「泥中の蓮華」ですね。泥のような環境でも染まらず美しく咲く様子は、俗世を越えた存在として捉えられてきたようです。逆に、泥の中でしか咲かないそうなので、そうやって12年に一度のチャンスまで耐えてきた鳥さんの登場(=御所様との再会)としては、ピッタリではないかと。

 

また「因果倶時(いんがぐじ)」という仏法があるそうで。これは、蓮は花と実が同時に成ることから、原因と結果は常に一致するもの…という考え方だそうです。

 

めちゃくちゃバジリスクを感じる……。

 

バジリスクって1話を見たら、弦之介様と朧ちゃんの結末がわかるじゃないですか。あの運命に抗えず絡め取られていく感じがとてもいい。
そういや運命に抗おうアニメもCV.鳥海さんが

 

あとはシンプルに、仏教と開花というシンボルが揃うと、生まれ変わりを感じますよね。鳥から人になったという…おやゆび姫じゃないですが。

 

ここで時系列がとんで、ヒメムラサキのラストへ。
※ヒメムラサキの演出は次の段落で

 

最後、奈々ちゃんの背負っている翼の後ろのスクリーンが黄色〜赤色の花火のようになるんですね。
正面から見ていないのでわからないのですが、あれは曼珠沙華(もしくは彼岸花)のイメージではないでしょうか。
とくに、黄色い筋の末端だけ赤く色づいていたように見えたのがそれっぽいなと。

 

曼珠沙華は、サンスクリット語で「天上の花」「天界に咲く花」という意味だそう。
…なんかもうこれだけでイメージピッタリって感じがする!!!
ちなみに、仏教では赤い花弁が舞うのは良いことが起きる兆しということらしく。
映像でも、舞のときに舞っていた(紛らわしいな)花弁が再会を果たした後には止んでいたような。

 

WILD EYESの蓮花で始まり、 ヒメムラサキの曼珠沙華で終わるのも、なかなかステキではないかと。
おななどりの願いが叶った時間が一瞬だったように、花の命も短いですからね……。でも、そこを散って終わらせないのがよいのです。

 

仏教と花に関してはこちらの2記事を参考にしました。

視点・論点 「植物と仏教との関係」:解説委員室ブログ

彼岸花(曼珠沙華)が妖しいワケ [暮らしの歳時記] All About

 

◆鳥の行く先 ~おななどりの幸せを願って~

アリーナモードやホールモードでは「御所様と念願の再会を果たすも、年神様の力を死にゆく御所様に渡してしまったおななどり。元の鳥の姿に戻ると、1枚の羽を残して飛び去るのでした」というところからヒメムラサキが始まり、その後のことは歌でしか語られませんでした。

 

しかし、スタジアムモードでは翼の後ろにスクリーンがつき、曲に合わせた映像が流れていました。

正直、最初は過剰演出なのではとも思いましたが(ヒメムラサキの親和性が完璧なので)、これが思いの外良かった。

 

まず、映像は時間経過によって変わり、1番と2番でも違っていたような気がします。
最初は、翼から光が溢れていくイメージ(こぼれるでもあふれるでも良し)。これは「鶴の恩返しでは自分の羽を抜いて機を織っていた話」だったり、飛び立つ鳥が羽を落としていく様子だったりが思い浮かびました。
ただ、明らかに羽とわかる映像が2番以降で出てきたので、むしろ魔法が解けていくイメージかも。
実際には、御所様が追いかけたときにはもう契約が切れているわけですが、要するに「舞浜駅についても名残惜しくてミッキー耳つけちゃう」的な魔法のことです。

 

そんななかで個人的にお気に入りなのが「溢れた光の粒が、落ちるだけではなく空に上っていく」ところ。
これを落ちっぱなしにすると、羽は抜けるわ魔法は解けるわでどんどん悲しくなってきちゃうんですよね。
ところが、溢れた光の粒が空に上っていくことで、御所様への思いが昇華されるような、一瞬でも再会できた喜びが溢れてくるような、そんな切なくも優しい方向に持っていけているのでは。
しかも、思いとともに天に向かって羽ばたいていってからの天上の花なので、締めとしてはキレイかと思いますがいかがでしょうか。

 

◆番外編 ~御所様について考えてみる~

奈々ちゃんを見逃すまい!と思っているせいか、意外に御所様をしっかり見ていなかったことに11公演目で気づきました。
ごめんよ御所様。せっかくなので、御所様についても少し触れておこうかと。

 

出番の多くない御所様ではありますが、映像で見るかぎり、拾った羽を肌身離さず持っています。
拾ってから籠の中で倒れるまで、ずっと手に持っています。

 

あの羽、ひいては鳥さんは、御所様にとっての未練なんです。
死が近づいた病床で羽を眺めるっていうのは、そういうことです。
だから、鳥さんの舞を見て未練がなくなると成仏しちゃうわけですね。

 

そんな羽に触れた鳥さんには、御所様の思いが伝わっているといいなあ。
ずっと傍に置いてくれていて、死ぬ間際まで覚えていてくれたことを感じ取ってからの「ようやくお逢いできました」なら、もっと幸せな再会だったと言えそうな気がします。

 

SSA 1日目の余韻に背中を押され、またモリモリ妄想してしまいました。
明日もスペシャルなステージが待っているかと思うと今から楽しみです。

朝日カルチャーセンター「僕はこんな作品を見てきた。─1995年とメディアの変遷」メモ

2/25に朝日カルチャーセンターで開講された講座に参加してきました。
これで最終回かと思うと大変名残惜しいですが、満員御礼ということですし続報を待ちましょう。

 

例によってメモを元に作文していますので、こんなことあったよ程度で何卒。

 

※以下敬称略
※各見出しは配布されたレジュメを参考にしていますが、当てはまりきらなかったので、少しアレンジした見出しを半ば無理矢理入れています。話の内容が切り替わったタイミングで入れるようにしてはいますが、見出しの親子関係等レジュメのとおりではありません。ご了承を。

 

◆あいさつ

幾原:3回目ですし、今日もうまく話せたらいいなと思っています。
藤津:ついに90年代ですね。
幾原:うまく話せるか、一番自信がないなあ……。
藤津:第2回までは映画や小説が中心でしたが、幾原監督ご自身がそういった作品を一番見ていない時期ということですので、今回は切り口を替えて、メディアの変遷といった内容を中心にお話したいと思います。

 

バブル経済の終わり

上田:幾原監督は1986年に東映に入社されているので、1990年はバリバリ働かれているころですね。その頃の暮らしというのは?

幾原:1990年は、業界4年目でディレクターになった年でした。
忙しさの質が変わり、自分の中にあるものを表現できるところまで来たかな、というあたり。

藤津:朝は早かったんですか?

幾原:制作は基本10~11時にスタジオ入りでしたが、朝が苦手なので……。
午前中にはスタジオ入りしてましたね。

ディレクターになれたといっても、任され度は「試しにやってみる?」程度で。
でもうれしかったですよ。

それまでは、上京するための口実としてアニメをやってるみたいなところがあって。
どうしてもアニメをやるんだ!といった情熱はなかったと思いますね。フラフラしてるというか。

それが(ディレクターになって)やれそうだとなって、これが自分のやるべき仕事だったのかと考え始めたんです。

その時までは、僕はメディアの受け手でしたが、発信側になったんです。

ディレクターになる前もTV画面に名前は出ていましたが、意識はあまりなくて。

今思うと、人生を総括したり、これまで感じていたものへのリスペクトを感じる時間が多かったかな。
メディアから与えてもらった感性とは、一体どういったものだったのか?
ストーリーや物語を追体験することはあったけど、それをどう感じるかということですね。

TVに名前が出たことはうれしかったですよ。
それまでは、ちょっと頭でっかちで、上から目線なところがあったかな。謙虚じゃなかったというか。そのおかげで、いろんな人に可愛がられました(笑

ただ、アニメの仕事をやりながらも違和感があって。それをディレクターになった時に回収しようとしたんです。まあ、できなかったんですが(笑

つまり、90年代は自分が送り手になって、メディア体験を総括するようになったんですね。

 

藤津:当時、TVってなんだろうといったことを考えましたか? 作品をどういった人に楽しんでほしい、など。

幾原:僕の印象ですが、90年代はまだ業界が狭くて、情報もあまりなかったんです。
アニメ雑誌をめくって、どういう作品があるのかやっと知るみたいな。
世間でも、アニメが流行ってるとはいうものの、見ていないんですよね。

そういう意味では、まだ実験できた時代だったんです。
僕らの世代がどっと出てきたところで。東映でも正規雇用が10年くらいなくて、その後に僕らが入ったので。

藤津:東映の世代交代ですね。

 

上田:当時、他のスタジオなど横のつながりはありましたか?

幾原:アニメ雑誌などで、これからの若い世代をあおりはしたけど……。
自分たちが食うので精一杯。なので、(言っていることと)やってることとのギャップがありましたね。

上田:やはりお忙しかったですか? ご帰宅時間など……。

幾原:帰るのは夜半すぎでしたね。なので、普通のバブル時代の若者の楽しみはなかった……。

 

上田:バブルの空気を感じるときはありましたか?

幾原:上京した時は渋谷が流行ってて。逆に、東映の池袋はダサかった印象がありますね~。
今はかなり逆転してますよ! かなり!

IWGPがなかったですからね。かなりちがいますよ!  あれができてからだいぶ変わって、若い人の町になりましたね。

藤津:街にカラーがある、という点はインパクトがありました?

幾原:いろんな国や街を見てきましたが、東京ほど街にカラーがあるところはない!
都市の表情が違って、歴史があるんです。
たとえば、浅草や銀座は戦前。新宿は戦後、渋谷は70年代以降の街ですよね。
そういう歴史がおもしろい。

以前、新宿ピカデリーのある通りのビルで打ち合わせがあって。エレベーターに乗ったんですが、違う階で降りちゃったんです。そうしたら、店のドアがなくていきなり店の中で。みんなカードを持って歌ってるんです。歌声喫茶だったんですよね。

 

◆メディアの変遷

ワープロとパーソナルコンピュータ

藤津:PCによるコミュニケーションテクノロジーの話を伺おうかと。昔は文通などが一般的でしたが、幾原監督は筆まめでした?

幾原:うーん。あんまり投書とかはしてないですね。

藤津:作品の応募くらい。

幾原:しとけばよかったですね。
ただ、ワープロは80年代には持ってましたよ。東映にはMacユーザーもいましたし。

上田:何用でしたか?

幾原:企画書とか、小説めいたものとかを書いてました。

上田:小説など、そういう方向も?

幾原:当時はストレスがあってね(笑
ただ、今思うと、書いててよかったなと。表には出なかったものの、なにかをアウトプットするということを(しておいてよかった)。

上田:アニメのように絵にはされなかったですか?

幾原:アニメーターに(小説の)絵を書かせてましたよ。今でもノーギャラだったと怒られてる(笑
ストーリーに絵をつけてくれみたいな感じで依頼するんです。そうすると絵があがってきて、この人はこう感じるんだなって。

 

藤津:ワープロの機種は?

幾原:(当時シェアが大きかった)シャープかも。空き巣に入られて、2、3台回買い直してて。ショックでした……。その次はMacを買いましたね。

藤津:それまでは手書きだったわけですよね?

幾原:だから画期的でした! でも、ひらがなしか入力できなかったんですよね。
PCを使うようになると、それは疲れるよと言われて。ローマ字入力を練習しました。「北斗の拳」のタイピングソフトで何度も死んで。

藤津:流行りましたね~。

幾原:最後は汎用性でPCに行きましたね。ウテナが終わるくらいにMacbookを買って。インターネットもその時に知りました。かなり変わりましたね。

 

◆コミュニケーションの変化

●インターネット

上田:インターネットでは何をされました?

幾原:1998年くらいなので、ジオシティとかニフティとかかな。
同人誌や二次創作の世界がネットに登場して。いきなり二次創作を目にするようになったんです。

藤津:Yahoo!検索でファンアートが……。

幾原:当時、二次創作はコミケとか行かないと見られなかったから。えっ! みたいな。

 

藤津:インターネットで、何が一番変わったと思います?

幾原:そうですね……。俗っぽいことを言いますが、ネットリテラシー耐性がなくて。
たとえば、有名な人が炎上したりするのか、こんな有名な人がこんなこと言うんだ……みたいな。そして、そこに突然の飛び蹴りが。

メディアをつくっていると、気づいたら傲慢になっていて。
一方的に情報を下ろそうとするんです。
そういった人たちがネットに情報を下ろしていこうとすることへのカウンターが、メディアの変遷にともなってあったのでは。

藤津:上から下に下ろすものではなくなっていったんですね。

幾原:本当は、僕の世代はわからないのかもしれない。
若い人が、価値やサクセスをどう捉えているのかということが。とくにサクセスですね。

藤津:ここ20年で変わってきていますかね。

幾原:俗っぽいことを言うと、フロンティアがなかったですよね。
若い人には閉ざされていたんです。
よく、バブルにはチャンスがあったみたいに言われますが、僕なんか酷い目に遭ってますからね!

藤津:恩恵があったのは、ホワイトカラーのヤングサラリーマンくらいじゃないでしょうか……。

幾原:若い人に厳しかったですよね。「愛という名のもとに」とか。
先人に開拓され尽くされてフロンティアがなかったから、ネットはフロンティアになったのかも。当時はね。

運動が終わってからバブルまでの間、若い人たちは世間と闘争する姿を見せないんです。恩恵を受けるように見える。

僕は金八先生世代で、1期のときちょうど中3でした。
金八先生の2期で「腐ったみかん」というストーリーがあるじゃないですか、
あれは、運動を80年代のドラマで再現してるんですよね。若い人にはこうであってほしいという幻想です。
僕らの時代は学生が暴れたりしていたから、荒れ方に希望をもっちゃったんだよね。
ところが、暴れそうで暴れない。若い人のドグマは、90年代中盤まで押さえられているんです。

バブルが崩壊して就職氷河期になって、これは僕の想像ですが、若い人にとっては心の時代になったんじゃないかと。

バブルの時はお金でなく愛だと言うわけです。ユーミンなんかはそうですね。
お金なくなったら、心だと言われるようになったのかなと。そこで登場したのがインターネットでは。

心(の問題)が暴力として現れたのが、90年代の事件。心の問題は80年代にはすでによく言われていましたが、暴力として現れることを想定していなかったんです。心を置いてきたんですね。

 

藤津:90年代には終末ブームもありました。公害などにより「人間はダメだ」という意識が高まりましたし、それまでの豊かさに対するカウンター(という側面)もありそうですね。

幾原:ヤマトが74年、日本沈没と(第1次)オイルショックが73年。みんなショックを受けたました。失業の話を近くで聞いたりと、急に暗い感じになりましたね。

藤津:バブル崩壊とは違う陰りがありました。

幾原:運動の世代は70年代に就職するんですが、そこから10年経って彼らがカルチャーの発信者になるんですね。

藤津:ほぼ団塊の世代ですね。糸井重里さんとか。

幾原:その人達が、今のメディアのイメージをつくったんじゃないかな。

 


ポケットベル

藤津:1996年にポケットベルが最盛期をむかえます。ものすごく流行りましたね。

幾原:番号でメッセージができるらしいですね。

上田:0840でおはよう、とかですね。

藤津:あのあたりから、コミュニケーションの楽しみ方が変わったんでしょうか。

上田:ベル友とかありましたね。ランダムな番号に連絡をして、そこからやり取りが始まって……。

幾原:ポケベルでだけ? 実際に会うの?

上田:会うらしいですよ。

幾原:やっときゃよかった……。

藤津:幾原監督は使ってなかったんですか?

幾原:使ってなかったですね。逆に、携帯電話が早くて。それも1996年にやめちゃいましたが。
ウテナの準備をしているときですね。携帯をやめてすぐにiモードが出て。

藤津:便利でした?

幾原:すぐ連絡がつくのは便利でしたが、電話代は高くて……。

上田:なぜ携帯をやめられたんですか?

幾原:飽きましたね。そんなに連絡とっても……って。
それから10年くらい持ってなかったです。00年代は持ってなかったんじゃないかな。
ただ、ピングドラムをやろうってなったときに、ないと困ると言われて。
ドコモでガラケーを買ったんですが、知り合いでiPhoneを持ってるやつがいて。3ヶ月で解約して、スマホiPhone)に。iPhoneには驚きましたね~。

上田:どこに驚かれました?

幾原:UIですね。
あとはアプリの概念。PCにもアプリケーションはありましたが、やはりUIが違うしね。

藤津:そのインパクトが「ユリ熊嵐」にも生きているんですね。

 

◆1995年に起きたこと

地下鉄サリン事件

藤津:先ほど心の問題というお話が出ましたが、95年には阪神淡路大震災地下鉄サリン事件という大きな2つの事件がありました。
幾原監督は、地下鉄サリン事件はどこで知りましたか?

幾原監督:スタジオに行ったら、みんながニュースを見ていて。僕らもよく使う電車だったし、えっ!てなりましたね。すごい事件が起きてると。

ただ、予兆はありましたね。不穏なムードというか。80年代から西東京あたりでは見かけていましたが、ジョークとして流されていたんです。
今思うと、心が漂流していたのかな。

藤津:当時は雑誌などでも取材されてましたね。

幾原:メディアも伝え方に困っていたし、そう(事件に)なるとは思ってなかった。

藤津:僕も、学食前で空中浮遊すると言っている人を見たことがあります。

幾原:日本沈没ノストラダムスといったオカルトブームがありました。
そして、そういうカルチャーの影響を隠さないのが同世代っぽいですね。
逆に、カルチャーをつくってきたひとは一斉に口をつぐんでしまう。

どうリアクションしていいかわからなかったし、語れなかったんです。
アニメなどを巻き込んだ事件もあったので、そういうムードだった。

藤津:若い人の漂流ですね。「貧病争」をきっかけに新興宗教に入るといいますが、この時代はそうではなかったですね。

幾原:僕の印象では、新興宗教はコミュニティから溢れた人の救済だった。
一方で、新新宗教は、見えているコミュニティから溢れた人の心の救済だと思うんです。
若い人の流れに乗れない人をピックアップしていって。
乗れてないという意味では、僕の周囲の人が流されていてもおかしくなかった。十分ありえたんです。

 

藤津:幾原監督の宗教観、とくに宗教の役割などはどうお考えですか?

幾原:世代的なものだと思うんですが、宗教へのネガティブイメージが植え付けられていて。
世界では異例ですが、日本は多くの人が無宗教ですよね。
僕の印象では、景気が良い時は、国家という枠組みの中で、会社や学校というコミュニティにいるから落ち着くんです。

運動の時代は家長制度を攻撃していましたが、その実態は経済だったんです。
その強固な経済のほころびが心の問題だったのかも。

当時は、コミュニティからこぼれた人を弱者とするムードだったので、(新新宗教を?)信じてると言えないムードがあった。

ネガティブにいうと、日本人は宗教ではなく拝金主義だったんですよね。
それが、若い人にとって「フロンティアがないという絶望感」に結び付くのかもしれません。

 

藤津:今回の講座では監督作品には触れないということになっていますが、これだけはどうしても触れておきたくて……ピングドラムで「95年」に触れなきゃと思われた理由はなんでしょうか? 言える範囲でいいですので。お金や家長制度、弱者による運動がどうしてこうなってしまったのか……。

幾原:ひとつは、自分と近いところから事件の話を聞いたことがあって、ショックだったんです。事件が実は自分と近いものだったんだと。見ないふりをして生きてもいけたけど、自分はその怖さを知ってしまった。そこで、同世代としてそのことを少しでもメディアで形に残せるなら、語ったほうがよいと思ったんです。

藤津:メディアの役割ですよね。(ピングドラム)当時の幾原監督へのインタビューでも、事件が身近だったというお話を伺いました。

幾原:みんな身近なのに黙っているんです。自分が言わないと、というか(黙っていることが)気になったんです。このタイミングで言わないと、一生言わないと思った。
団塊の運動の世代にしか言えないことがあるし、言える理由があるんです。

たとえば、あさま山荘事件について僕らが語っても、それはフィクションじゃないですか。
それは悪いことではないけど、その世代でないと見えないディテールはあるんです。

 

藤津:村上春樹アンダーグラウンド」は、地下鉄サリン事件の被害者にインタビューしてつくられた本です(要約)。幾原監督も読まれましたか?

幾原:読んで驚きました。
村上春樹も、自らが作家になった意味を考えたんじゃないかな。
実は自分の影響下にあったことなら恐ろしいと感じただろうし。
同世代的な意識はあったんだと思います。

藤津:自分の仕事の振り返りですね。

幾原:総括せざるを得ないです。

上田:この本では、インタビューを受けた人たちに感情移入して書かれています。村上春樹も、職業作家としてそれを世に出したいと。

幾原:同時代にメディアにいた人としては、触れておきたいですよね。

上田:ニュースと実像とのギャップを感じます。

幾原:それがこの本の狙いですよね。
新聞や雑誌では「被害者A」というように名前が伏せられていて、それ以上じゃないわけです。
でも、そこにあえて踏み込む。その人のディテールへ。
そして、その次代のバックグラウンドで語られるんです。
作家によるフィクションの色付けも含めて。

上田:ディテールが重要なんですよね。「アンダーグラウンド」では、インタビューを受けた人たちの背景に多くの文字量が割かれていて、その人の顔が見えてきます。

幾原:これは僕の想像ですが、メディア人として、メディアの罪を感じんじゃないかな。
メディアはピンポイントの情報しか出してこない。心の部分が抜け続けているんです。
そういた状況で事件が語られ続けることへの異議を感じます。
1人の人間として語られるように、ということですね。

傲慢な言い方ですが、メディアによって想像力が欠如してしまったのかもしれません。
個体ではなく個人として伝えるというメディアの役割放棄を、自ら感じたんですね。

 

上田:TVや新聞など、媒体ごとの役割も違ってくると思います。

幾原:時代によっても意味が違ってきますね。
たとえば、TVが生まれる前は、早い情報源はラジオでした。
雑な言い方をすると、TVが想像力を奪ったのかも。新聞だと半日待つから、その間にいろいろと想像しますよね。

藤津:TVには中継という強みがありますね。

幾原:欽ちゃんが「お笑いのライバルはあさま山荘」と言っていたかと思いますが、みんなお笑いではなくて事件が見たいんですよね。

注)ソースはこちら:http://www.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=selection016


阪神淡路大震災


藤津:もうひとつの大きな事件が阪神淡路大震災でした。甚大な被害の一方で、ボランティアが身近になるきっかけにもなったのは「心の時代」なのかもしれません(要約)。
当時のことは覚えていらっしゃいますか?

幾原:実家から電話がかかってきましたね。TVをつけたらすごいことになっていて。

藤津:人災ではなく天災ですが、世の中的な節目になりました。

幾原:ビル倒壊や高速転倒という現実を見ましたね。
オイルショックAKIRA、MAD MAX、北斗の拳といった作品で描かれたフィクション、ビルがなぎ倒されたり高速道路が倒れたりという破壊が、1995年で本当に起きてしまった。
世界リセットの夢が終わったんです。ナウシカなんかもそうですね。
世界再生という幻想が終わりました。

藤津:現実はロマンチックではなかったですね。

幾原:ナウシカとかいないしね(笑

藤津:そこから、経済もうまくいかず、混沌とした20年が始まっていますが(要約)。

幾原:若い人は、経済がうまくいってないと思っていないですよ。上の世代が言う「うまくいっていた」ときを知らないから。
逆に、僕らに見えていないフロンティアが見えているのかもしれない。

 

◆90年代の村上龍村上春樹

村上龍希望の国エクソダス

上田:村上龍希望の国エクソダス」の話を。1998年から2000年にかけて連載された小説です。

幾原:携帯を起点にした若い人の連動ですよね。メールコミュニティから革命を起こすという話。村上龍も「いよいよ(運動が)きた!」と思ったんじゃないかな。夢をフィクションに託して。

藤津:幾原監督は楽しく読まれましたか?

幾原:業界人で話題になりましたね。「来た!」と。インスパイアされた映画もあったんじゃないかな。

藤津:それは先ほどの「腐ったみかん」的な思いなわけですよね。

幾原:夢を見たんですね。

藤津:しかし現実は……。

幾原:2ちゃんねるでした。

藤津:皮肉ですね……。

幾原:ソーシャル上での連帯が、10年経って生まれてきたところです。

上田:村上龍は「希望の国エクソダス」で希望はあっても欲望がない中学生を描いています。語り手は30代のライターなんですが、欲望がない中学生を理解できない。さらに、中学生たちが姥捨て山を作り始めると、恐怖を感じています。

幾原:要するに、よくわからないけど運動には共感できる。世代の断絶はあっても共鳴できるということですね。

ちなみに、この小説には「オールドテロリスト」という続編があります。
今度は真逆の話で、老人が連帯して日本を沈没させるという話で。しかもその方法がアイドルのライブ会場に火をつけるとか(笑

藤津:時代風俗ですね~。「愛と幻想のファシズム」でもそうですが、村上龍さんは世の中がガラッと変わることを望んでるんでしょうか?

幾原:フィクションのガス抜き効果でしょうね。溜まったカオスやドグマに針をぷすりと指してガス抜きをすることは、あったほうがいいんです。

藤津:夢を書いてるでしょうか? 運動がうまくいかなくても、信じているのでは……。

幾原:村上春樹は、村上龍へのコンプレックスはありますよね。それは、時事ネタへのタイムリーな着眼点。村上春樹も、その影響は受けているかなと思います。

 

◆90年代のカルチャー


藤津:今まで、運動の波が引いたときの「心」のお話を伺ってきました。一方で、カルチャーはどうなってきたんでしょうか?

幾原:僕はTV世代だったんですよね。東京タワーが完成した「三丁目の夕日」世代です。
テレビが街頭ではなく、家庭のものになりました。

これは想像ですが、(この時代の)カルチャーをつくったのは、団塊の世代じゃないでしょうか。主流の映像メディアが映画だった時代は、若い世代がつくっていましたが。

「アングラ」や「サブカルチャー」って、隠語じゃないですか。
元々は、単なる演劇や運動の装置だったものが、運動がなくなったことで、演劇の見え方だけが継承された。その「わかってると通だね」みたいなポイントを、メディアが「アングラ」や「サブカルチャー」と呼び始めたんです。

そういう意味では、ポピュラーもアングラも作ったのは同じ世代じゃないですかね。

藤津:(主要なメディアが?)インターネットになった今は、そういう意識はありますか?

幾原:うーん……TVというメディアで遊ぼうとした人、野坂昭如さんとかですね、がやったことが開花したのは、80年代のひょうきん族とかだと思うんですよ。
つまり、デバイスで遊ぼうとしてる世代は、僕にはもう見えないんです。
今だとピコ太郎なのか……とかね(笑

youtuberなんかもわからないですね。
もちろん存在は知ってますが、それをサクセスとする感性はわからない。

今は、「食えたもん勝ち」なフロンティアなのかもしれません。今まではそう言えなかったけど、そこに夢があるのかもしれない。


上田:音楽でいうと、90年代は渋谷系が流行りました。今も、小沢健二がMステに出たり、村上春樹が新刊を出したりと、1997年かな?という感じですね。

幾原:僕はあまり接点がなかったけど、avexなんかはレンタルレコード屋ですよね。
もともと、レコード屋は先人による支配があったわけで、その隙間を狙ってるわけです。
90年代の音楽は、70年代の終わりくらいに先人が浸透させていったものの開花じゃないかと思っています。70年代のクラブカルチャーとCD時代のレンジが合っていたのでは。


藤津:今日のお話を伺っていると、「フロンティア」がキーワードになりそうですね。

幾原:憧れがありましたね。第一次宇宙ブームのアポロや第二次のスターウォーズ
アニメもそこを表現していました。

藤津:アニメはフロンティアにみえましたか?

幾原:そうですね。大人にはわからないものだから。
アニメや漫画って、大人や親に言ってもわからないんです。自分の時代にはなかったカルチャーだからね。20年かかって浸透してる。

藤津:インターネットが普及し始めてから20年経ちますが、これからなにかあるんでしょうか。

幾原:もうあったのかもしれないね。

 

◆まとめ:未来について

藤津:今回のまとめとして未来について伺いますが、予測していただくのではなく
運動やアングラといったものがどうなっていくのか伺いたいと思います。
(注:非常にメモが怪しい)

幾原:僕の世代は、団塊のおこぼれ世代だったんですよね。
先人があらゆるカルチャーを作ってしまって、しかもパワーを持っていたので刃が立たなかった。
でも、マンガ・アニメはまだカルチャーが作られていなくて。

藤津:スキマを見つけるということですかね。
どこかはわからないんだけど、後から見たらわかるという。

幾原:後から気づくものだよね。
今は消えちゃったものなんかもあるし。たとえば、携帯小説って今はどうなってるんだろう?

藤津:僕も読んだわけではないですが、内容が変わっていると聞きましたよ。
ジェットコースター的なドラマではなく、気持ちのすれ違いを描くような。

幾原:想像ですが、携帯小説のリアリティって「携帯を持っている女子的な空気感」ですよね。
以前はメディアが上から共感や感動を下ろしていましたが、それが手元にあるリアリティに置き換わったという。
すぐそばにある携帯に共感があるのかもしれないですね。

 

◆質疑応答

Q1. 執筆された自作小説を販売してください!
A1. 今日処分します!

藤津:やっぱりアニメになりそうな話なんですか?

幾原:そうですね。
怪獣が出てきたり、カップルの片方が動物(犬)だったり……。
あとは、学校の運動場下に恐竜が埋まってて。そのことは皆信じていないんだけど、1人だけ信じてる女の子がいて、その子が恐竜を呼び出そうとする話とか。
プロットとしては完結してますね。

上田:クラウドファウンディングとか……。

幾原:考えてみます(笑

 

Q2. 宮崎勤事件について、同世代の罪ではないのかという意識はありますか?
A2. そういう感覚はありました。

誤解を恐れずに言うと。70年代には「ロリコン」という言葉がネガティブではなく合言葉的に使われるようになったんです。アニメキャラの女の子に性的な意味でドキドキしたり好きだという感性も悪くないよね!という空気があったのですが、それに冷水をかけられたような気持ちになりました。

そんななかで、「アニメ・マンガ好きは心が外に向かない人だ」という報道をメディアがしていて。

おおっぴらに(アニメ・マンガが好きだと)言えないムードになっていきました。
率先して自分がアニメ監督だとは言いづらい感じ。
それは僕の世代ではもう拭えないことで、トラウマになっているのではないかな。自分の感性を総括できないんです。

ただ、上の世代にはまったくわからないでしょうね。アニメのキャラにドキドキするような感性がないとわからないんです。何かの病かなと思われてしまう。
でも、病だと捉えてしまうと、自分の中にある感性をどう解釈していいのかわからないんです。

 


Q3. ひょうきん族でTVというメディアへの仕込みが開花したというお話がありました。バラエティというフォーマットが確立していくなか、幾原監督のギャグ作品(きんぎょ注意報!など)にはどのような影響がありましたか?

A3. 僕はドリフ世代なんですよね。

歴史的には、最初のテレビのお笑いはクレイジー・キャッツ。その次が欽ちゃんで、しばらくその時代が続きます。
その欽ちゃんを倒したのがドリフです。ひょうきん族はその次ですね。「THE MANZAI」のような漫才ブームがありました。

藤津:アルファベットなのがポイントですね。

幾原:ひょうきん族以前は、TVで実験していたんです。TVが何か、よくわかってなかったんですね。
TVがどういうものかわかるようになるにつれ、みんなが事件性を求めているということがわかってきた。できるだけアドリブ重視で、素人を使ったりしてハプニングに見えるようにしていきました。
それまでのお笑いは、作り込まれて演習もいっぱいしていて、演劇に近かったんですね。

藤津:「きんぎょ注意報!」には生かされてますか?

幾原:いやあ……ギャグは難しくて。

藤津:参考にはされました?

幾原:自分のギャグのリズムは「がきデカ」ですね。
ア太郎やバカボンでギャグといえば赤塚不二夫の時代でしたが、小5になって「がきデカ」が登場して。
作者の山上さんはまさに団塊・運動の世代で、そのフラストレーションを漫画で晴らす!家長制度をめちゃくちゃにしてやる!みたいな。
その後に少し遅れてやってきたのが「マカロニほうれん荘」。僕が知った初めてのパロディ作品でした。

 

Q4. インターネットが普及する前は、番組への反応はどう調べて、どう生かしていましたか?

A4. 東映では、毎週月曜(毎日かも)ニールセンとビデオリサーチの視聴率が毎朝届いて、それが机の上に……。

藤津:力を入れた回で数字が良いと、やっぱりうれしいものですか?

幾原:必ずしもそうではないところがまた面白いですね。

藤津:裏番組にも左右されますからね。

幾原:土日の朝にやっているような番組は、視聴率を気にしているんじゃないかな。

藤津:スポンサー側から「こういうものを子どもたちが欲しがっているんです」といったリサーチ結果が届いて企画につながるといったことは?

幾原:ある玩具メーカーの話ですが、長い年数周期での「トレンド周期表」があるんですよ。今忍者が来ているから次は恐竜だ、とか。この世代は生まれたときにこういうのを見てるから……といったように、決まっているそうです。

藤津:その周期に合わせたアレンジが。

幾原:実際にそれを見ながらやってましたね。
自分の作品ではないですが、聞いて大変そうだと思ったのもあります。
作品(各話)ができると、スポンサーがそれを幼稚園まで持って行って上映会を毎週するんですよ。そのリアクションを撮影して、どこでよそ見してるのかまでバッチリ撮って、スタッフに見せてくる(笑
まあ、スポンサーのいうことだからね……。

 

Q5. 宮崎勤事件に関連して。酒鬼薔薇事件はゲームの影響だと報道されていたが、そちらはどう感じましたか?

A5. 僕はゲームをまったくやったことがなくて。
ファミコンが出たときは大学生。夜は女の子といっしょにいていいんですよ!? ゲームどころじゃないですよ! より深刻な問題があるんだ!
就職したときはスーファミが出ましたが、そんな状況でもなくて。

ただ、ゲームをやらなかったせいで、耐性がないんですよ。
ゲームトレンドがわかってないと、アニメを作っても嘘っぽくなるよと言われて。

18禁PCゲーが流行ったときにやったんですが、早くHシーンを見たいからって飛ばしまくったせいで、面白さがわからなくて……。


まあ、報道のつくる「わかりやすいドラマ」に僕らははめこまれやすいよね。

 

◆おわりに

藤津:幾原監督からの告知は?

幾原:まだ言えないですね。
ただ、今日質疑応答などでみんなと話をして、総括していなかった感情の再確認ができました。

藤津:朝日カルチャーセンターの講座も今回が最終回ですが、続報はお伝えできそうです。が、まだ言えません(笑

幾原:最初、藤津さんから「3回講座をやるよ」と言われていて、正直3回なんて無理だと思いましたが、藤津さん、上田さんがよく導いてくれて、なんとか話せました。ありがとうございました。
自分のなかでもやっとしてるところもありましたが、みなさんの意見を聞いて、まだやっていないことや目を背けていることに気づきました。まだやらせてもらえるなら、トライしたい題材はありそうです。
今日は本当にありがとうございました。

LIVE ZIPANGU 2017 演出こねこね ホール編

※ネタバレ注意報※

LIVE ZIPANGU北海道は札幌2日間お疲れさまでした。
外気温は氷点下なのにホールの熱気はすさまじく、奈々ちゃんもテンション爆上げですごかったですね。
個人的にも素敵な出会いに恵まれて、思い出に残る2日間になりました。

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LIVE ZIPANGU 2017 演出こねこね編

※例によってネタバレしかない※
 

LIVE ZIPANGU 大分&大阪公演お疲れさまでした。
4日間とも強烈な寒波に見舞われるも、本格的な降雪降雨にならないのはさすがですね。

前回のエントリは楽曲の話で終わってしまったので、
今回は映像なり舞台なり演出面について、気づいた小ネタを捏ね回します。

 

●衣装&ステージ編

オープニング衣装の打掛は、中盤の映像で着ているものと"ほぼ"同じ

朱色に金糸模様。ただ、さすがにまったく同じものではなさそう。
ちなみに、映像で着ている打掛は 黒毛和牛 牛車柄。

 

メインステージは能舞台

ということはセンターステージは御所様が乗っていた籠
ということは花道は御所様が鳥さんを追いかけた道
小さい会場ほど2人の距離が縮まっていて安堵します。
(雅楽隊はチェリボ…?)

 

●映像編

イントロ映像の時系列は?

身支度をしつつ、本番を前にして気を引き締める表情が印象的なイントロ映像。
衣装をちゃんと見てみないとわかりませんが、中盤の映像では依頼が来てから舞を披露するまでがカットされているので、そこに相当するのかなと。
しかし、オープニングの登場が開花なのはしみじみ良いです。

 

サブリミナル椿

とくに中盤の映像で多く差し込まれていました。
能舞台のある広場に咲く椿
・広場全体に舞う椿の花弁
・舞の着物も椿柄
乱立する悦カメフラグ。
しかし、椿は散り際にボトッと落ちる花なので、死を連想させると言われています
(お見舞いNGの花としても有名)。

 

椿の散り方

舞~再会シーンでは花弁が舞っていますが、先述のとおり椿ははらはらと散るような花ではありません。
とくに花弁が肉厚なので、本来は映像のような散り方にはならないのですが……。
ということを考えると、こじつけではありますが「本来あり得ない時間」だったのかなあと。
似たようなアイコンとしては、エデンの大サビで青いバラも咲いてますよね。
 
これについては、見た目のロマンチックさ以外に、次のような理由も考えられるかと。

 

止まる時間

御所様が倒れた後、鳥さんが能舞台を降りて再会を果たすまでは、時間が止まっています。
駆け寄るシーンはスローになっていますが、花弁は停止していること、また御所様の従者がストップしていることを考えると2人以外の時間は止まっているようです。
花弁は、この時間経過の変化を表すアイテムのひとつかなとも考えています。

 

●悦楽カメリア論

今回のセットリストで最も引っかかっているのが「ヒメムラサキ→悦楽カメリア」。
間に長めの演出を挟んでいて「一区切りつけてますよ」感はあるものの、
・御所様と鳥さんの話はヒメムラサキで終わっているよ、悦カメはたまたまあの位置だよ派
・悦カメは2人のストーリーのプロローグだよ派
が大阪初日くらいまで葛藤していたのですが、今はプロローグ派で落ち着いています。
 
というのも、違和感の正体は曲調の落差が激しすぎることであって、曲のテーマではないんですよね。
むしろ、身を捧ぐ系の直後に「永久を誓う」曲が来るのはピッタリではないかと。
ただ、ヒメムラサキにもっと浸っていたいというのは大いにあります。
 
また、全体の演出のベースにバジリスクがあるので、恋愛モノという認識が強くなりがちですが
御所様への思いは恋慕だけでなく澪標の感謝なわけです(鶴の恩返しという話もありましたし)。
そう考えると、本編最後が「めぐり逢うすべてに」で終わるのも感謝を伝えるという点でシンクロしていないでもないような。
 
 
 
 

こうして演出面から振り返ってみると、ライブってチーム水樹の作品なんだなあとしみじみ感じます。
とくに、ライブドキュメントブックを読んでからは、ライブに対する尋常ならざるこだわりが伝わってきて、これなら深読みしてもしすぎることはないなと。
これからもガシガシ噛み締めていきます。

LIVE ZIPANGU 2017 愛知2days かってに授賞式

 

!! ねたばれきけん よんだらしぬで !!

 

 

はじめに


LIVE ZIPANGU 初日&2本目に参加してきました。お疲れさまでした。
三連休ありがたいですね。より遠方の会場で三連休だともっと良かった。

ライブのメインになるであろうNEOGENE CREATIONが「こういうのが聴きたかったんだよ曲」の多い平均点高めなアルバムだったこともあり、大いに期待して参加しました。

その結果、ツアー後半でこの辺変わりそうという期待値も込みで、最高の3時間を堪能できました。冬曲を入れつつ"和ツアー"の側面が強かったのも、コンセプト重視派としては大満足。

ツアー初心者としては(1)冬ツアー(2)ツアー初日参加というふたつの実績を解除できたのも収穫でした。あと冬ツアーめっちゃ荷物多い……。

感想は熱いうちに書けということで、まだ2公演だけですが授賞式をします。
しかし、好き勝手部門つくれば好きなように書けるから無敵だなコレ。かしこい!

 

ジャンプアップ部門:STAND UP!


甲子園での初披露でもアルバム試聴でも良い曲だとは思っていた一方で、良い曲止まりという印象が拭えず……。
が、ライブでのポジションや実際に歌う姿を見て、しっくり来るようになりました。ライブで好きになったというより、ライブで完成した曲。元気いっぱいの振付けもお気に入り。
ちなみに、インタビューを読むまでタオル曲はこっちだと思っていたのは秘密。だって最後タオル投げそうだし……。

 

ライブ映え部門:TWIST&TIGER


正確には「ライブ映えすると思っていたけどここまでとは部門」受賞。
新曲で今一番楽しいのはこの曲で、なぜかUNLIMITED BEATより疲れる。
生演奏がとにかくおいしいので、LIVE THEATREの大人ゾーン編成でも聴いてみたいですね。

 

油断しててすみませんでした部門:UNLIMITED BEAT


シンフォギア曲がシリーズを重ねるごとに凄みを増しているなかExterminateほどの目新しさは感じられず…アニメ補正もないしなあと思いつつライブに臨みましたが、完全に油断でした。
シリーズ3曲に負けず劣らずというか、ライブでの爆発力という意味では越えるだけのポテンシャルがあるのでは。そういう意味ではこの曲もライブが前提というか、上松氏御自ら走っただけのことはありますね。
心拍数150にあやかるためにも、次はドラム勢を意識して聴きたい。

 

よくもやってくれたな部門:鳥海浩輔、ヒメムラサキ


ライブ全体を貫くストーリーが完全にバジリスクで成仏しました。

悲恋物は特別好きでもないのですが、バジリスクは1話で予告された運命に収束していくのが大変美しいです。
ライブのストーリーでも、御所様と鳥さん(紛らわしいな)は互いに目を合わせることもなくすれ違ってしまうのですが、「叶わないからこそ永遠」というのははつ恋の歌詞にもあるとおりで、バジリスクと上手くシンクロしているような。

ちなみに、私はビックリするくらい勘が悪くて鈍いので、WILD EYSで開幕してムービーで鳥海氏ナレが入っても「さすが鳥海氏良い声しとる」というアホな感想だったので、イントロのギターで隙を突かれて死にました。

ヒメムラサキという曲はもちろん好きですが(飯田さん曲コンプが夢のひとつ)この流れでなければここまでの破壊力はなかったので、時は満ちたというか、いやー、奈々ちゃん恐いですね。
LIVE GALAXYの感想と被りますが、作品を大事にする気持ちが伝わってくる時ほどファン冥利に尽きる瞬間もありません。あと単純に、声優として&歌手としての曲になるのでパワーがあります。

しかし、バジリスクを見ていて本当に良かった。ライブ全体の印象が変わります。
今ならバンチャにもdアニメストアにもある模様。そういえば、つい先日Abemaで一挙放送やっていたのはもしかして。

それにしても、ヒメムラサキの後には5分休憩を入れて欲しい。2日連続で悦カメの感想が無です。

 

最優秀賞:めぐり逢うすべてに


ヒメムラサキと迷ったけれど、やっぱりこの曲が一番気持ちが伝わってきたし、何より表情が素敵でした。

第3期のアルバム1曲目として奈々ちゃんが伝えたかったこと、ライブ本編の最後に伝えたかったことが、いろいろな人や作品や物事への感謝だった…なんて、ミジンコみたいなファンのひとりとしても(自分は何もしてないけど)すごく誇らしい気持ちになってしまうわけです。

そんな「奈々ちゃんを好きで良かった」と思わせてくれる、アルバムのなかでも特別な1曲。

初日は見とれてしまったけれど、2日目は曲に浸れたので本当に幸せでした。
ライブだと間奏で「ありがとう」と手を振ってくれるのが、たまらなく嬉しいような、叫びたくてもどかしいような気持ちに。
でも、初日は通じるものがあったはず…!(いとも簡単に付け上がるタイプ)

個人的には、イントロの「こ」「こ」「か」「ら」「ど」「こ」「へ」すべての声色が少しずつ変わっているのが、声のプロだ…と感じるポイント。CDでもライブでもブルブル来ます。

しかし、曲のポテンシャルが高いから1位みたいになってるな……。

 

審査員特別賞:「であります!」


愛知2日目の衣装見せくるくる&敬礼後のリコッタ風「であります!」が見事受賞。
奈々ちゃんのロリ声が好きなんじゃ!!!

 

宿題:Please Downloadのファイヤー


2日目にステージを注視していたところ、ソプラノサックスをバリバリ吹いているっぽい。しかし、曲が曲だけにほとんど聴こえず……。
次こそ何とか聴き取りたい。

 

おわりに


……
………
NEOGENE CREATIONの話しかしていないのでは?

要するに、第3期最初のアルバムとライブコンセプトとが相まって最高のツアーが育ちつつあるというところをご理解いただければ。

個人的には、ADVENTUREがライブの楽しさが伝わってきたツアーで、ZIPANGUは歌の魅力をじっくり噛み締めて味わえるツアーになる予感がしています。

3月にまた書きたいですね~。お粗末さまでした。

コミックマーケット91に参加します

サークル「羽二重庵」は12/31(土)に開催されるコミックマーケット91に参加します。
スペースは東エ34-b。防寒対策が大事ですね。

頒布物詳細は以下のとおり(12/15更新)。

 

◆頒布物概要

秀吉寿司2(新刊)
秀吉寿司(既刊)
※どちらもモノクロ20p・コピー本


◆お値段

100円(既刊新刊いずれも)


◆表紙と見本

 表紙

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見本

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既刊の情報はこちら:

huvchie.hatenablog.com


◆内容

引き続き秀吉が寿司を握ります。
2期のメインキャラはほぼ出てきます。
各話のプチ感想つき。
2では出前を解禁しました。


◆その他

当日は寿司化した武将カードなどを描いたりしていますのでご自由にお持ちください。
普通の武将カードもあります。
要するに、気ままに落書きしています。


サークル参加は初めてなので緊張しますね。

不慣れな点もあるかと思いますが、当日はよろしくお願いいたします~。

朝日カルチャーセンター「僕はこんな作品を見てきた '80年代 バブルの喧噪と昭和の終わり」メモ

12/3に朝日カルチャーセンターで開講された講座に参加してきました。
タブレットでメモを取ったら首が壊れましたが、無事に内容をまとめました。

例によってノー知識、甘い校正ですが、今回はとくに聞き漏れもあったため一部カッコ付きです。
また、あくまでワタシ解釈であり、カギカッコ内=発言ではありません。読みやすさ優先の部分も多々あります。
ご容赦くださいまし。


◆はじめに

藤津さんからのごあいさつ
幾原「アニメ監督とかやってます幾原です。おふたりにいいところに導いていただければ」

藤津「前回は60~70年代しばりでしたが、いかがでした?」
幾原「あんまり…覚えてない…ほら、年取ると同じことを繰り返すから。。」

上田「80年代というと、幾原さんは高校生~大学生くらい?」
幾原「80年のときに高1ですね」

1. 1980年代前半とはどんな時代だったか

上田「80年代といえばバブルや高度経済成長といった時代ですが、幾原監督は京都にいらっしゃったんですよね。大学生活はいかがでした?

幾原「83年から京都にいました。風呂なし、トイレ共同のアパートで」

上田「幾原監督の華麗なイメージが……」

幾原「ワンルームマンションもあったけど、高かったんです。今だとテラスハウスみたいなのもあるけど、当時はそうでもなくて。ただ、アパート内での交流はありました。京大、同志社、あとは浪人生
京大生はサブカル系の人で、当時普及したてのビデオデッキもちでした。まだレンタルビデオ屋がない時代で、録画した映画を見てました。
見たい映画が見られるようになった時代でした。あくまでTVで放映されたものだけですが」
藤津「うちに入ったのは83年。当時、レンタルビデオ屋はあるにはありましたが、放映されたものを勝手に置いてたんです」
幾原「当時は風呂がない、トイレは共同、あとはマイケル・ジャクソン
ビデオデッキで洋楽のMTVを録画するのが流行って、そこからスリラーが大流行。
ベストヒットUSAなんかもあの時代です。僕からすると、昭和の侘しさ(?)とハリウッド感(華やかなイメージ)が混在している感じ。
昔は、音楽といえばイギリスがカッコよくて、アメリカのポップスはダサいイメージだった。そこにきて、MTVでハリウッド感とポップス感がマッチした。シナトラ、プレスリー、ビートルズ、ジャクソン…。風呂なしトイレ共同のアパートでWe are the worldを聞いてました」

上田「京都は学生にはいい街ですよね」
幾原「今がどうかはわからないけど、当時京都で暮らせたのはラッキーだった。京都でなければ、今の僕はないかも。京都は学生の街という印象。とくに、学生主体のイベントが毎日のようにあった」
上田「街全体が下北沢みたいな感じで」
幾原「学生がカルチャーしてるんだよね。それも学生運動の名残かもしれない。
とくに、芝居がいっぱい見られた。サークルも多かったし。いろいろと危険なものもあったんだけど、そうとも知らずにたくさん見に行きました。
当時は『アングラサイコー!』みたいな感じだったんですよね。マジだったという…
ただ、今思うと、見れて良かったです」

上田「大学の授業は…?」
幾原「真面目に受けてましたよ! 粟津さんの授業も。
ただ、非常勤(?)だったので、月一で適当に喋っていく感じで。ただ、寺山さんのことをいろいろ聞けたのはうれしかったですね」

上田「サークル活動は映画と演劇をされていたとのことで、やはり当時から見るだけでなく作るほうにご興味が?」
幾原「大学をやめる直前にヤンジャン(?)の特別賞をとって、10万円もらったんです。それが引越し代になって東京に。ちなみに、その賞のグランプリがスクリーミング・マッド・ジョージ

2.寺山修司の死と小劇場ブーム

上田「幾原監督が大学に入学された年に、寺山さんが死去されます」
幾原「大学でも話題に上がったし、文化人として、TVでも大きくとりあげられた」
上田「一時代が終わったという…」
幾原「そうですね…そんな感じだったのかな」

上田「その後、寺山さんに影響を受けた人が。多くの劇団を立ち上げていく。いわゆる小劇場ブームが起こります」
幾原「(資料に載っている劇団は)みんな見てますね。当時は女の子たちにも人気でした。
寺山さんのファンの子は、ゴスロリ系というか、人形っぽいというか、暗いのが好きという印象でした。ただ、遊眠社はちがったかな。バンギャっぽいのかな…?
これはあくまで想像だけど、運動が終わって形骸化した演劇が、文化的なものになったんだよね。それによって、若い人にとってエッジがないものになった。
寺山さんはエッジをきかせてたけど、この時代の劇団は、そういうことに対する反発なのかも。
たとえば、(寺山さんの時代は)休日にデートで映画は見るけど、演劇は見なかったんですよ。彼らはそこにメインカルチャーとしてアプローチしてるんじゃないかな」

上田「ラインナップを見ても、映画やTVに来た人が多いですよね」
幾原「運動系ではないですね。世代交代なんです。
しらけ世代”なんていいますが、運動してた世代からすると、そんな見え方なのかもしれないですね」

幾原「80年代になると、東京で仕事をしているんです。
それ以降の自分のインプットは、仕事の役に立つかどうかみたいな感じになってしまって。自分で”感じた!”というインプットは80年代ですね」

3. ATGと角川映画とTV局

3-1.ATGとの話題作など

藤津「ここで映画の話に。70年代から日本のメジャー映画がグズグズになっていくなかで、インディペンデント系が盛り上がっていきます」

幾原「京都は名画座が多かった。最寄りの映画館長が、またマニアックな人で。
ATGなんかはTVでもやらないので、映画をいつでも見られてうれしかったですね」
上田「京都だと、今でもATG系の映画館がありますよね。祇園会館とか」

幾原「そもそも、60年代から映画は傾いていくんです。
電波塔が立って、TVが盛り上がって…映画は追い詰められて衰退していく。
そうやって客が離れていくときでも客が来る映画というのは、学生がみたい映画なんです。ヌーベルバーグですね。
学生運動とリンクし、アジテーションするような。

ただ、70年代になると、それもうまくいかなくなっていって、そんななか出てきたのがATG。絞死刑なんて、絞首台がずっと映ってるような映画なんですが、そんなのがこんなのがヒットしたんです。
邦画が傾いてきたときに、ATGを利用して、運動を巻き込んだ興行をしたんですね」

「ただ、それも70年代前半まではよかったものの、日本の経済成長にしたがって、運動の熱とともに映画も冷えていって。そのなかで、映画をどうすればいいかと模索するわけ。
その流れの中に、ポストモダン的なテーマを探すんです。
運動の次に、自分たちは何で気持ちをつないで、連帯していくのか。
映画も演劇も、連帯するものを探していたんです」

藤津「上がっている作品のなかで、気になったものはありますか? リアルタイムのものだと、『ヒポクラテスたち』とか、『家族ゲーム』とか」

幾原「話題になりましたね。映画というジャンルが行き場をなくして困っていた。
この時代、YMOも出てきて、音楽が一気に垢抜けるんです。
そんな中で、映画はマスに向ける(=共感を獲得しようとする)ほど、その対象が戦中の貧困などになってしまい、湿っぽくなっちゃうんです。そして若い人から離れていく」
「『家族ゲーム』は受験戦争の話だよね。そんな戦争のなかで、気づいたら家族がこうなっていました、というような。受験戦争のディティールを表現しているんだけど、ドキュメンタリー的でエッジが効いている」

藤津「『ときめきに死す』も、不思議な話ですよね」

幾原「原作者(丸山健二氏)の作品をいくつか読んでますが、すべてテロの話なんですよ。運動の時代の人で、そういう作家なんです。
『ときめきに死す』では、テロリストの日常のディティールを描いてますよね。若い人にとって重いであろう情念をドライに表現している」

藤津「森田芳光監督だとどれがお好きですか?」
幾原「どれも好きですが、『39条』には驚きました」

藤津「そのほかでは、『人魚伝説』は?」
幾原「あの作品は、業界人みんな好きですよね。
政治的でアンタッチャブルなテーマゆえに、スポンサーもつきづらい。
女優さんのアクロバットも体当たりですごいし…。
今ならタイトルは『あまちゃん』だと思うんだけど」

藤津「自分の体をエサにするような、艶っぽいシーンも多いですね」

幾原「復讐という行為と海に潜っていく海女さんという仕事に、いい嫁感が…愛が深くて。
ただ、見た当時はパワーに圧倒されました。『太陽を盗んだ男』の続きっぽいかな」

藤津「『さらば箱舟』は寺山修司の遺作ですね」
幾原「マルケスって南米文学じゃないですか。当時、よくわからなかったんです。
南米は、植民地時代を経て、政治運動に翻弄されていく。日本人の歴史観とかなり違うんです」

藤津「ATG以外でも、他に気になった作品はありますか? 『台風クラブ』とか」
幾原「相米監督は、演劇的手法が得意ですよね。ワンシーン・ワンカットみたいな。
しかも、そこに情念が篭っているんです。
相米監督は『セーラー服と機関銃』がウルトラヒットして、若手映画監督の中心的な存在になりました」

3-2.80年代の角川映画(一部)

幾原「そんななかで、角川は唯一”当たっていた”邦画ですね。かつての映画はTVを敵にしていましたが、角川はTVスポットを撃ちまくって、TVを映画に巻き込んでいった。クロスメディアの始まりです」
藤井「映画のキャッチコピーが流行することも多かったですね」

幾原「今考えると、『犬神家の一族』から始まって、戦後の総括をしているのかな。
自分たちを何を失ったのか」

藤津「アニメはご覧になっていましたか?」
幾原「業界に入るまでは見てました。
アニメがあまり一般的でない時代で、『宇宙戦艦ヤマト』の登場で、みんな『アニメ』という言葉を知りました。
アニメというジャンルのスタートはここですね」
藤津「学生にとって趣味としてのアニメもですね」
幾原「それまでにもアニメはもちろんありましたが、若い人の心の中心にはなっていなかったように思うんです。ところが、食事中でもずっとヤマトを見ているような”ヤマトだけで生きている人”が登場する」

藤津「アニメ業界に行こうとは考えられていましたか?」
幾原「いやー…好きだったけど、やれると思っていなかったです。
田舎で、距離も合ったので」
藤津「大学でもですか?」
幾原「やはり距離があったので、ギリギリまで考えてなかったです」
藤津「ではなぜ東映に…」
幾原「本当にたまたまなんです。銭湯帰り、夜中までやっている本屋でキネマ旬報を立ち読みして。そこに出ていた求人に応募しただけ。
というか、大学をやめて東京に行きたくて。その口実ですね。
実は、大学生のときに就職説明会で、記録映画の会社に行ってみたんです。そうしたら、倍率が何百分の1と聞いて…心が折れた。
とにかく運が良かったんです」
藤津「東映だと2期なんですよね。1期に佐藤順一さんが」
幾原「偶然ですね…しかし、アニメ業界に行くとは思っていなかったなあ…」

3-3.TV局主導の映画

藤津「アニメ以外でも、他の映画はご覧になっていますか?」
幾原「この時代になると、メディアミックスが一般化しました。製作委員会のはしりですね。
そして、動物映画が大流行」

藤津「『南極物語』、『子猫物語』の前には『キタキツネ物語』もあって」
幾原「動物、とくに犬は当たる!となったんでしょうね。
当時、日本人の南極到達は一大イベントだったんです」
藤津「だけど、南極観測隊が帰るときになって、犬が置いて行かれてしまって。当時はメディアからバッシングされていました」
幾原「なぜバッシングされたかというと、”高度成長の犠牲”だったからなんです。成長の裏では、こんな残酷なことが起きていたなんて…自分たちは何か見失っているのではと。
ただ、いざ迎えに行ってみたら2匹生きていて、今度は絶賛の嵐。
そんななかで、当時大人気の高倉健さんに犬を加えれば、SWも超える!と。
実際、もののけ姫に抜かれるまでは邦画で1位でした」

幾原「時代的に、TVというメディアは60~70年代で実験をしてきたんです。
ただ、その人たちは”途中から”TVが登場した人たち。
80年代になると、はじめからTVがあった層が現れました。
それが日本の経済状況とリンクしていて、結果的に、日本は世界でも例がないくらいTVがウケた国になりました」
藤津「民放の局数も多いですからね。ちなみに、学生時代TVはご覧に?」
幾原「あんまり見てなかったですね。大学の友だちと遊ぶほうが楽しかったし。
高校時代が、アニメも含めていろいろ見てました」

4.マンガや小説

上田「前回の講義でもマンガや小説について伺いましたが、そのときにあまり聞けなかったよしもとばななさんについて。よしもとばなな作品の衝撃とは?」
幾原「ディティールですね。ちょっとシュールで、SFで。その表現が少女漫画的なんです」
上田「どんなポイントが良かったんでしょうか?」
幾原「当時、少年漫画では”心の機敏”を扱ってなかったと思うんです。
少女漫画出身のあだち充さんがヒットするまでかな。
それまでは『あしたのジョー』のような、スポ根というか番長というか…。
あしたのジョー』は好きですが、少年漫画はダサいというイメージがあって。

岩館さんの作品なんかは、劇的な話ではないけど、ディテールがリアルで。
美しいものやそれが壊される瞬間を描いているんです。
そこはよしもとばななさんも同じですね。

村上春樹もそうですが、あくまで男性なので。
よしもとばななさんは女性ならではのディテールですね」
上田「ディテールというのは…」
幾原「心の中の表し方ですね。
『キッチン』であれば、性同一障害を彩りであり、美しいものとして繊細に表現することが新しかった」
上田「それが自分に届いていく」
幾原「『アオイホノオ』でいう俺はわかる感!ですね。そんな上からじゃないですが…」
上田「よしもとばななさんは”あなたに届く作品”と言われていますね。
それは、運動などではなく、家族の話だからかもしれません」
幾原「文学的でもあり、少女漫画的でもありますね。
むしろ、僕は文学の意味はそこにあると思っている。
脈々とつづく、若い人の心の中を描いていく流れ」
上田「青春モノですかね」
幾原「よしもとばななさんは、当時漫画的だとも言われていますね」
上田「今ではあまりないような、広い世代で読まれた小説でした」

幾原「ポストモダンを探した時代でした。
村上龍なんかは、アナーキーでかっこいい話でした。
栄えた時代の喧騒なかで、革命を起こしてやる! みたいな」
上田「『TUGUMI』や『キッチン』では永遠の少女的な存在が出てきます。こういう存在は、村上龍さんにはいないですね」
幾原「いないですね。
村上春樹にはいるけど…男性の妄想だから」

上田「前回の講座で、村上春樹作品はほとんど読まれているとのことでしたが、よしもとばななさんの作品もですか?」
幾原「全部じゃないけど読んでるよ。『白河夜船』や『とかげ』…短編が多いかな」

上田「新しい作家はいかがでしょう?」
幾原「最近だと『コンビニ人間』の作者の村田沙耶香さんの『消滅世界』。あれはリアルで怖かったなあ」
上田「そうですか?」
幾原「あれって要するに、”人生ずっとおそ松さん大好きでもいいよね!”って話ですよね?」
上田「樹璃さんみたいな人も出てきます」
幾原「誰かに勧められて読んだんだよね」
上田「私です!」
幾原「そうだった。良かったよ、恐ろしいけど……」

上田「村上龍さんについても伺います。当時はやはりエッジーなところに衝撃を受けられました?」
幾原「村上龍は時代を意識していて…こう言っては失礼だけど、ライブラリとして読んだらわからないんじゃないかな」
藤津「当時性が強いですね」
幾原「それを意識しているからね。その時に読むと、すごく良いんだけど…『半島を出よ』とか。アナーキズムを感じるよね」
藤津「体制なんか蹴っ飛ばしてやる、というような」
幾原「若い人へのアジテーションがあって良かったけど、人によっては合わないんじゃないかな」

藤津「『69 sixty nine』のあとがきでも、アナーキズムを肯定していました」
幾原「”俺はまだ運動をやめてないぜ、若いやつにもアジテーションしていっちょやってやろうぜ”といった檄ですよね。
時代のトピックの突き方がうまいんです」

藤津「一番インパクトがあったのは?」
幾原「(?)と『コインロッカー・ベイビーズ』ですね」
藤津「それもトピックですね」
幾原「(話を要約しつつ)SFで、アナーキーで、革命を起こしてやる…という」
藤津「そう要約されると、めっちゃ『AKIRA』ですね…。
後のいろいろな作品に影響を与えていますね」

幾原「『愛と幻想のファシズム』なんかも、大人から既得権取り戻すという…やはり、運動時代の夢なんですよ」
藤津「リアリズムすぎず、SFっぽいのもポイントですよね」
幾原「ご本人は言わないだろうけど…若い人のルサンチマンを刺激しているんですよね」
幾原「要するに、世間の流れとは真逆のアプローチ。乗れない人たちが支持しているんじゃないかな」
藤津「運動が消えていくなかで、1人で運動を続けている」
幾原「ご本人は言わないだろうけどね。勝手な想像だけど、言いたくないのかも」

幾原「若い人はピンと来ないかもしれないけど、石原慎太郎は大人を仮想敵として描いた初めての人なんです。モラルハザードというか、大人社会への宣戦布告というか。
メディアでの振る舞いも、その名残なんじゃないかな。メディアは騒いだもん勝ちってわかってる。
それは村上龍もそうなんだよね。
そして、この"もっとぶってくれ!"には僕も影響を受けているかも」
藤津「アニメ監督のグラビアとか」
幾原「物議を醸したいんですよ」

5. まとめの質問

藤津「今日は80年代についていろいろと伺ってきましたが、今の幾原監督からみて、80年代から変わったこと、逆に続いていることはなんですか?」
幾原「メディアが完成したのが80年代で、その後はずっとカスタマイズだと思っているんです」

藤津「TVのカタチとか」
幾原「想像になるけど、60〜70年代は、カルチャーが政治に支配されていたんじゃないかな。吉本隆明なんかは、反体制でありメディアのヒーローだった。そこから、糸井(重里)さんが現れて、中心になっていく」

藤津「突然ですが、昭和が終わった日を覚えていますか?」
幾原「覚えてます。東映で働いていた頃で。先輩が『ひみつのアッコちゃん』で演出デビューするってことでTVを見ていたら、最初の5分だけ流れたところで崩御のニュースに変わって……」
藤津「声優さんでもありました。『キテレツ大百科』で、ゲストキャラに出演すると言っていた方がいらしたんですが、放送が飛んで…しかも時事ネタだったので、お蔵入りに。やはり影響は大きかったですね。
幾原監督は、昭和の終わりについて思うところはありますか? 混乱した時代でしたが……」
幾原「昭和…あんまり昭和って感じがないなあ…」

藤津「昭和は、昭和XX年西暦(19XX)年と
表記することが多かったですが、平成は西暦が前に来ることがほとんどになった気がします。
戦中から始まる昭和のストーリーが終わりました」
幾原「昭和は3段階に分けられるけど、僕らはその最後の世代ですね」
藤津「ベルリンの壁も崩壊し、 冷戦終了で時代が変わっていきます」

藤津「幾原監督は、80年代に何が変わって何を得ましたか?」
幾原「いろんなメディアが衰退しては新しく登場して、作り手がポストモダンを求めた時代だった。運動というマスへのテーマがなくなったからね。
戦後の総括をしてはいるけど、若い人はテーマが見つけられないから、模索しながらいろいろな実験が行われた。それを見られたのは良かったかな。
当時の状況は、今と似てるんです。
今は、ネットが登場して、スマホのアプリなんかも出て、装置がリセットされた状態。そこから若い人のフロンティアが生まれていくんじゃないかな。これからいろんなヒーローが出てくるはず。

今思うと、80年代にこんなものは小説じゃない、映画じゃない、カルチャーじゃないって言われながらも、残った人がカルチャーの中心になった。いろんな人が登場して批判され、淘汰される時代。
映像も、装置によってその体験が変わってきている。TVなら、ドキュメンタリー、ドラマ、ニュース…映像を作る側も、装置やデバイスの変化で変わっていく」
藤津「変化の中でテーマを見つけていく」

幾原「カンブリア紀のように、爆発的に変化が起きている。スマホにしても、スマホの中だけでなく、その外側に広がっていく変化があるとおもしろい。僕は、映像には世界を変える装置であってほしい」

◆質疑応答

Q1. 80年代というと、お立ち台やジュリアナのようにバブリーなイメージがあるが、そのあたりと運動からのカルチャーの流れは分断されていたのか?

藤津「あれは90年代ですね」
幾原「ディスコブームは70年代後半にありました。といっても、僕はお立ち台に乗れず、端っこでキーッ!ってやってるタイプで…。

当時の風俗というか、たとえばクリスマスはカップルで高級ホテルに…みたいな流れには乗れなかったですね」
藤津「そのキャッチコピーは83年だそうですよ」
幾原「良い悪いではなく、運動の歌からJ-POPになっていって。そのはじまりが吉田拓郎なんです。運動は連帯を歌ったもので、J-POPは彼氏彼女の歌。その中間が『神田川』。逆に、J-POPの流れの究極はユーミンユーミンも好きだし流れには乗りたかったけど…」
上田「幾原監督は、流行っているものにはアンチに構えてしまうタイプ…?」
幾原「乗りたいんです! 流行っているもの大好きですよ!
90年代だと、グルーブや渋谷系小室哲哉なんかかな。僕はニューウェイブが好きだったので、ズレていたかも。

寺山修司やJ.S.シーザーの影響かも。YMOみたいなテクノと、寺山修司が合体しないかって妄想していて。その果てが初音ミクだと思っているんだけど」

幾原「80年代は本当に忙しくて、きらびやかななかに混ざりたい、でも忙しいと思っているうちに、気づいたらその流れが終わっていて。努力はしてたんですよ」

Q2. 80年代に育まれた価値観は、幾原監督の作品にもいきていますか?

幾原「僕の人生で印象深いイベントは、万博とTVの普及。TVが変化するのを見てきた。
若い人がチャレンジするのを目撃して、世間の喧噪に乗った人もそうでない人もいて、それらを通り過ぎて今思うのは、自分の中に残っているものと、そうでないものがあるんですよね。世間では騒がれたけどピンと来なかったものがある一方で、今も惹きつけられるものもある。そういったものへのファンとしての憧れがありますね。その衝動が僕のものづくりの中心にあり、支えでもあります」
藤津「今日挙がったなかだと、どの作品ですか?」
幾原「TVや映画ならポストモダンかな。
森田監督は、成り立ちや背景が軽やかで、その軽やかさが批判されることも多いけど、その批判までかっこいい」

Q3. 80年代と今とで、アニメの作り方に違いはあるか? 制作面、企画面など

藤津「以前はスポンサーが玩具屋でしたね」
幾原「東映は厳しかった…厳しいところにいたのは良かったと思います」
藤津「厳しくて硬いのに、型破りな演出家ばっかり」
幾原「採用で変なやつを採ろうとするんでせよ。アカデミックな方向で。
以前聞いたんですが、東映は"幅"で採ってるらしいです。僕はどの幅だったのか……」

藤津「スポンサーの違いは大きいですね」
幾原「スポンサーからのオーダーはすごかった。正直、早く他の仕事を見つけてやめいと思ってました。自分には向いてないと」

藤津「製作委員会方式になると、TV局も深く関わってくるようになりました」
幾原「そこは変わりましたね。僕たちの話を聞くのが人たちが90年代から現れたと感じました。世代的なものかもしれない。
メディアもまた変化していて、たとえばテレビ東京はローカル放送でBSもネット配信もなくレンタルだけだったから、それがかえって製作委員会方式を支えました。それで若い人にも企画や制作のチャンスが来ました。それが90年代半ばかな」

幾原「制作の話をすると、作り方自体はセル時代はほとんど変化していません。ただし、
00年代のデジタル化(SD化、HD化)は劇的でした。30年分くらいの変化が一気に起きたと思います。
幾原「実は今、映像デバイスと共に、作り手の環境もものすごい勢いで変化しているんです。デバイスの変化なんか、2、3年先が想像できない」

幾原「今年は、業界人から見ると『君の名は。』『シンゴジラ』『この世界の片隅に』といった、TV局が中心でない作品のヒットが続いています。
これは、視聴者が(作品を)享受するときのフィーリングが変わってきているからのような気がします。ポップカルチャーの意味は、つながることですから」

幾原「現在、かつてないほどパッケージビジネスは困窮しています。作品を作るためのお金が集まらないので、これからの人はより困難になるかもしれない。
一方で、音楽で言うと、CDは売れなくても、みんな音楽自体はかつてないほどよく聞いている。そういう意味で、表現したい人にとっては良い時代だと思います」